鉄に戻ったロードスター

鉄に戻ったロードスター

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このトピックはクルマ好きの方であれば気持ちいい内容ではありません。とりわけマツダファンであればスキップして頂いた方が賢明かもしれません。あくまでロードスター・アーカイブとしての記録です。

マツダは世界各地で生産拠点を所有していますが、主に国内(広島・山口)工場が中心の拠点になっています。ほぼすべての車種がグローバルで販売されることから、世界各地に完成車が船積みで出荷されています。

巨大な貨物運搬船にできるだけ隙間を空けず整然と車両が並べられ、そして出荷されていく姿はオフィシャル公開されているムービーを見るだけでも職人技に唸ってしまいます。社会貢献活動として年に一回「船積み見学会」を小中学生向けに開催していますが、応募者が殺到する大人気企画であることも納得できます。いわば究極の車庫入れですから、永遠に見ていられますよね。

しかし、プロフェッショナルが万全を期していても事故が起こってしまうのでした・・・

2006年7月24日 海難事故発生


2006年7月24日。三井商船が所有する自動車運搬船「クーガー・エース(COUGAR ACE)」はアメリカ合衆国アリューシャン列島付近で海難事故を起こしました。

事故発生時、クーガー・エースはバラスト水(船体の安定を保つため船内の専用タンクに積む海水)の調整作業中でしたが、その過程で誤ってバラストタンク内の海水を排出し過ぎたため復原力が不足し、強い波のうねりにあおられて一気に横転したのでした。

もともと自動車運搬船は船体重量と比較して喫水(船が水に浮かんでいる時の、船の最下面から水面までの距離)が高いので横風の影響を受けやすく、重心の調節が重要になってきます。そのためバラスト水を注・排水するのですが・・・その最中に台風などの大きな風で流されてしまうと、座礁のリスクがあるのです。

さらに、運搬車両を積載するデッキはかなり大きな空間です。船の構造上、ここに浸水が起こると沈没を避ける手段がないことも災いしました。

不幸中の幸いだったのは、乗組員23名は1名が脚を負傷した以外は無事で船内で待機、事故当日中に沿岸警備隊および米空軍のヘリコプターで救助されました。当時のレスキューレポートはムービーとして残されています。

積載されていたマツダ車たち


クーガ・エースにはアメリカ合衆国に向けて輸出されるはずだった約5000台の日本車(新車)が搭載されていました。


細かい内訳は「マツダ車」4,703台と「いすゞ自動車」110台。貨物の価値は1億1,700万ドル、当時のレート(116円)で約136億円になります。

<マツダ車 内訳>
MAZDA  4,703台

2,804台 Mazda3(アクセラ)
1,329台 CX-7     
295台 MX-5(ロードスター)
214台 RX-8
56台 Mazda5(プレマシー)
5台 Mazdaspeed6(マツダスピードアテンザ)

※いすゞ車はエルフ(トラック)

事故のあと、クーガー・エースは点検および応急修理により浸水の復旧はできましたが、発電機の不調により自力航行を断念。曳航により同年9月12日にオレゴン州ポートランド港に到着、本格的な復旧・修理が行われたのでした。

事故を受けたMX-5の状態


事故当時、クーガーエースに積載されていたMX-5は、2005年にデビューしたNCロードスター(NCEC:NC1)でした。時期的にはRHT発表直前であり、全て幌仕様になります。

カーゴルームでは幾重にも固定されることから、見た目には大きな被害はないように見えます。新車状態なのでボンネットやフェンダーに保護シートが貼られており、運搬時にしか見られない貴重な姿です。


ただし、陸に降ろされた姿は異様な光景が目に入ります。全てのMX-5の、運転席、助手席、サイドと全てのエアバッグが展開しているのです。座礁時の衝撃の大きさが分かります。


細かい話になりますが、2006年春に国内でカタログ落ちしていた「ウイニングブルーメタリック(青)」「ノルディックグリーンマイカ(緑)」の姿がなく、国内ではRHT導入時に追加された「ストーミーブルーマイカ(紺)」の車体が確認できます。ホイールが違うのは16インチと17インチの違いになります。

米国マツダの対応


クーガー・エースが寄港する前日の9月11日、マツダ本社および北米事業統括会社マツダ・ノース・アメリカン・オペレーションズ(MNAO)は、積載していた米国およびカナダ向けのすべてのマツダ車を販売しないと発表し、同年12月15日に、対象となった【全てのマツダ車を廃棄する】ことを発表しました。

MNAOのジム・オサリバン社長兼CEOのコメントは以下の通りです。

米国と日本のR&Dセンターのエンジニアが車両の損害状況を厳しく検査した結果、お客様の最善を考えた最適な処置として、全積載車両4,703台を市場に流通させないという結論に至った。この決断がマツダブランドの維持向上につながると確信している。

クーガー・エースに積載されていた車両の中には長期間に渡って、急傾斜の状態で固定されていたにもかかわらず、外見ではまったく損傷のないものや、その程度が僅かなものもあったが、お客様の安心と安全を最優先とし、中古車としても一切販売しないこととした。


実は、完全に修復不能だったのは米国沿岸警備隊によると「41台」でした。実際、海難事故保険が適用されるでしょうからある程度の補償や、望めば修理費用を得ることも類推できます。

しかし、マツダは事故車を販売するようなブランド棄損になりえる行為よりも、顧客からの信頼を得ることを重視して、全てのクルマを廃棄する英断を下しました。搭載されていたマツダ車のVINコード(車台番号)を全てウェブサイトに掲載、市場流通を完全にシャットダウンしたのです。

 
荷役されたすべての車両のエアバッグを展開、油脂類を抜き、タイヤなどのパーツを外し、プレスでスクラップ化、粉砕機にかけられ鉄に戻されていきました。そして、事故から約20か月後の2008年5月6日、最後のマツダ車が鉄屑になりました。


愛すべきマツダ車が鉄に戻る様子は、ファンとしては言葉にならない悲しさがあります。

ただ、鉄鉱石から鉄を作る場合は鉄鉱石産出国(ブラジルやオーストラリアなど)から原材料を輸入するコストが必要になります。だからこそ廃自動車は貴重な資源であり、鉄スクラップが鉄が精製されることは、大きなエネルギーの削減にもつながるのです。

そして現在


それでも、見慣れたロードスターなどのピカピカの新車がそのままスクラップにされる姿は寂しいものがあります。

特に2000年以降のマツダはよりクラフトマンシップを謳うようになり、特にロードスターはNCから質感が劇的に向上したので「クルマはただの工業製品ではない、魂がこもっている」なんて思うと、道路を走ることのできなかったロードスターの無念を感じてしまいます。

ただ、鉄に戻った彼らの魂は、新たな工業製品の一部として生きているでしょう。
 
なお、修復されたクーガー・エースは貨物船をして任務を全うしていましたが、世界的な景気減速による運賃低下と能力過剰を受け海運会社は保有船舶の削減を余儀なくされ、2020年6月にインド・アランにおける船舶解体場にてその役割を終えたのでした。

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