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今回は公益社団法人自動車技術会にて講演・寄稿された貴島さんの論文「感性豊かなものづくり 技術者の葛藤(2018)」をベースにした、貴島イズムのエピソードをご紹介します(※論文内容は2018年1月のNBロードスターMTGでも共有されました)。
試行錯誤しながらも、世界的なライトウェイトスポーツのベンチマークにまで昇りつめたロードスター。NA、NB、そしてNCが目指した「乗り味」の方向性が見えてくると思います。
以下、貴島さんインタビュー再開です。
参考:貴島孝雄氏プロフィール
→ https://mx-5nb.com/2019/12/29/kijima2017-0/
あらゆる世界の一流品に触れよ
「道具」の定義とは、生活の利便性を高めるために使う「もの」になる。だから、技術屋だからといってクルマだけ見ていたら視野が狭まり、クルマそのものが受け入れられなくなってしまう。ひとつの物事だけが正しいと思うのではなく、最先端を扱う興味というか、色々なものから「感性」を磨き、時代の変化に敏感でなければならない。
コネクティッドという状況では生活環境が変わることもあるし、スマホの時代はカーナビが要らなくなるかも知れない。つまり、スマホが大前提な今の時代では、カーナビだけを開発するのは失敗に繋がるかもしれない。
感性とは「ヒトの感情」を表すものだから、これを磨くには好奇心旺盛であるべきだ。生活には食べ物もあれば、飲み物もあるし、クルマもあれば、テーブルもある。昨日食べたレストランのカレーは一流なのか三流なのか。身近なスマホでもいいから、一流品に触る機会があれば体験をしておくべきである。
一流品は、【自分の立ち位置】を判断する大きな基準になる。国立博物館に通う人と、その辺をただ歩いている人は「感激」するレベルが違うかもしれない。「道具」を作ることでヒトの感情を支える技術者だからこそ、それが分かる尺度を持っていたい。
一流品に触れると、それが構成されている理由や物事の「本質」がみえるし、自己の分野での「応用」も見えてくる。一流品のレベルを知るにはお金がかかるけど、それは自分への投資になる。
欧州車から学んだ事
私はいつも欧州車を勉強していた。国産でも売れていたクルマもあるけれど、それが技術的に一流とは限らなかった。もちろん「利益を出すため」の技術を使っていることはあったかも知れないが、クルマという分野で極めているのが、ポルシェでありベンツでありBMWだった。
そこにはヨーロッパならではの環境、例えばアウトバーンのような場所で鍛えられた部分がある。足周り一つみても、あんなアームのクルマを日本では作ってこない。某国産車のように、フレームを曲げて、しならせることで剛性を調整するなんて、間違ってもやってこない。
彼らのクルマはどれも「感性性能」が高い「味」を持っている。ポルシェはパワーが違う歴代911のどれでも、エンジン音、ドア閉めた時の感じ、そして座って扱う際に「いいな」と思わせる。乗るたびに感覚を擽(くすぐ)るというか、ああいうモノを作るのが本当にうまい。我々は未だにそこまで行けてないからこそ、努力指標となって仕事のやりがいになる。
世界のオープンカー
ロードスターを作るにあたり、もちろん海外のオープンカーを比較したし、Z3でニュルを走る事もあった。ただし、一流の会社だから一流のオープンカーだったという訳でもなかった。それぞれが、各分野で突き詰めた一流ではあるけれど、マツダのロードスターに対してその技術が一流かというと、そうではなかった。
ロードスターは50:50の重量配分をやりながらもアフォーダブルにするという一流であり、全てのオープンカーが同じコンセプトで作られる訳ではなかった。7シリーズに乗るオーナーが購入するオープンカーだからBMWではアレではないと駄目だし、逆にマツダにはそういった意味での一流はできない。
アフォーダブル(丁度いい・使い切れる)ってのはカッコいい表現で、要は「いかに節約して性能の高いものを作れるか」という事になる。ロードスターに乗る人はストイックだから、パワーウインドーやキーレスなんて必要ないというし、NAのあんな灰皿(※他マツダ車の流用品として有名)が付いていても大丈夫な顧客だったりした。
マツダも将来はFRセダンを出すという話があるから、一流から学んだものを未来のアテンザに反映させていくかも知れない。ただ、そうなると同時に、ロードスターの「あり方」も変わる可能性がある。
もちろん50:50の重量配分や「人馬一体」を止める事はないだろうけど、高級セダンを求める顧客に対しても、同じ感性を訴求できるクルマになる必要がある。プレミアムブランドに足りうるロードスター、新しい「人馬一体」を先の世代ではやっていくかもしれない。
ただ、それを実現するには幾つかハードルがある。顧客の生活レベルを上げようにも、メーカーがコントロールできる範囲ならいいが、従来の顧客が離れていく覚悟も必要になる。プレミアムブランドを求める顧客に切り替わるなかで、収益が見合う計算が出来るかが大事だと思う。
規模は小さくても存在感のあるブランドになりたいというのは30年前から目指していたし、それが実現しつつあるから、それを狙っていくのは大事なことだ。それはある意味で企業としての安定になる。幸か不幸か分からないけれど、マツダのブランドは向上しつつある。
ただ、トヨタはレクサスをどう位置付けたか。マツダ全てがレクサスブランドを目指したら、トヨタにあたるクルマは別会社でやるしかない。服飾系ブランドではGAPもユニクロもベースブランドが存在するように、ビジネスにはそのような側面がある。マツダも今までの「ストイックなクルマ」を欲する顧客へ対する、E&Tやクラタのような関連会社を作る必要があるかもしれない。
己の技術に自信と誇りを持て
エンジニアは「自分の技術は素晴らしい」という思いで、最高の物を市場へ提供する。やり切ってないものは発表しない気持ちが重要であるのと同時に、世間ではそれよりも最良のものがあるという気づき、つまり謙虚さも失ってはならない。オープンカーなら全世界のオープンカーを見て、その中でも自分が関わったものは一流であると「誇り」を持つことが大切になる。
世界のクルマはどんどん進化するので、いきなり出てきたものに驚嘆することを私は幾度となく経験してきた。ファミリアをやっていた時はワーゲンのゴルフをターゲットに勉強していた。それで「これなら行ける」と最高の物を発表した一年後に、我々が大きく置いていかれるようなクルマを彼らは出してきた。
数値には出ない「味」
彼らの開発サイクルは早く、馬力などの数値には出ない「味」というか、道具として感性豊かな領域を底上げしてくる。材料も変更するし足周りも形も変えて、様々なコントロール技術を入れてくる。マツダの誇りを持って発表したファミリアは最高の性能だと評価を得たけれど、それで天狗にはなってはいけない。
ヨーロッパは開発のサイクル、設計プロセス、実験機械、アウトバーンなど、そもそも評価する環境や基準が違う。我々も年に2~3回はあちらへ行くけれど、そんなレベルではおよばない。なにか一個でも部品を変更したら、直ぐ走りに行けるフィールドがある。
我々は1970年頃からニュルに行ったが、彼らはずっと以前からそれをやっている。試験機のクセやスタンダードを判定する工具、工場までがノウハウ、つまり財産になっている。それがある意味の伝統だし、そこに追いつくのは無理だと思った。
ベンツが約130年クルマを作っていて、日本は約50年だから2倍くらいの差がある。今から500年後には600年と550年で比率が狭まるから近い味のクルマが出てくるだろうし、1000年経ったらほとんど差はないかも知れない。つまり、追いつくのはそこまでかかるかも知れない。
欧州車にも引けを取らないクルマを作る。近年のマツダ車はそれが達成されつつあるのか、乗り味もデザインも、世界レベルでの評価を得ています。そして、基幹車種のマツダ・アクセラも名称を「Mazda3」として世界統一したことで、グローバルブランドとしてのステップアップを着実に進めています。
そのようななか、アフォーダブル(手軽な・使い切れる)というコンセプトを達成したからこそ、庶民派スポーツカーとして評価されたロードスターですが、仮に「MX-5」としてプレミアム化の道に向かうのであれば・・・
個人的な意見ですが、某タイプRのようなブランド化(売り方)をするのが「ロードスター」の目指す道なのかどうかは、マツダの中の人もわかっていると信じたいです。
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