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国産最後の5ナンバーFRクーペとして、わずか179台のみが生産されたNBベースの「ロードスタークーペ」。しかし、その歴史の裏側には、さらに希少で、技術者たちの執念のエンジニアリングによって生み出された「もうひとつのロードスタークーペ」が存在しました。
それは、マツダのデザイナーが描き出した究極のレトロ・コンセプトでありながら、自動車メーカーの「法規と採算の壁」に阻まれ市販化を断念。しかし、時代の潮流とアフターパーツメーカーの大胆な決断によって、奇跡的に公道へと放たれた特異なモデルです。
今回は、生産台数わずか「十数台」ともいわれる幻のカスタマイズドクーペ「monoCRAFT mm1」と、そのルーツである「TSコンセプト」の運命を紐解いていきましょう。
2002 MAZDASPEED RSクーペ コンセプト

2002 MAZDASPEED RS Coupe Concept
「mm1」を語るには、まず2002年の東京オートサロンまで時計の針を戻す必要があります。当時、カスタマイズカー市場の反応を見るための市場調査として、マツダスピードブースには2台のコンセプトカーが展示されました。ロータリーエンジン搭載を想定した「コスモ21」と、レシプロエンジンベースの「RSクーペ」です。
本格的なカスタマイズカーのブーム到来が予想された時代背景と、来場者からの極めてポジティブな反響を受け、より現実的なパッケージであった「RSクーペ」は、後にロードスタークーペ(Type E)として正式に市販化へ舵を切ることになります。

なお、コンセプトカーの「RSクーペ」はペールグリーンの美しいボディカラーと、ワンオフのテールライトベゼルを装着していましたが、量産時のコスト要件等により、これらがそのまま市販車(Type E)に再現されることはありませんでした。
2004 MAZDA クーペTS Concept

2004 MAZDA Coupe TS Concept
そして2年後の2004年。東京オートサロンにてロードスタークーペの市販バージョンのお披露目とともに、ひっそりと、しかし確かな存在感を放って発表されたのが、このロードスタークーペをベースにした「クーペTSコンセプト」です。
デザイナーはロードスタークーペと同じく、初代NAからマツダのデザインを牽引してきた福田成徳氏。制作はマツダE&T(特装車部門)が担当しました。ロードスタークーペ自体が、NBロードスターのルーフからリアボディにかけてクーペボディをスチールで作り変える意欲作でしたが、この「TSコンセプト」はさらにフロントフェイスにまで大掛かりなモデファイが施されたことが大きな特徴です。
ライトスポーツエンスー向けの究極のコンセプトモデル。週末にはクラブマンレースに参戦し、帰りにはカフェで仲間と語らう。レトロなスタイリングが、ちょっと小粋で刺激的。眺めているだけでも至福の時間を過ごせそうな、存在感溢れる一台。

特徴的な丸目のフロントマスクに目を奪われがちですが、実はリアビューも徹底して作り込まれています。丸型テールライトはベゼルの表面処理で誤魔化すのではなく、イタリアンスポーツ「クーペ・フィアット」の純正パーツを流用していました。
また、マフラーは当時流行のセンター出しに変更されていますが、リアバンパーの下部には、NBロードスターターボ用の純正リアアンダースポイラーが装着されています。実はこの純正スポイラー、もともとはデュアルマフラーやセンター出しマフラーへの変更時に違和感が出ないよう「後から穴あけ加工すること」を前提とした裏デザインが施されていたマニアックなパーツです。こうした細部の流用テクニックに、マツダE&Tの高度な設計思想が光ります。
1965 Abarth Simca 1300

1965 Abarth Simca 1300
テーマにある「クラブマンレース」や「カフェレーサー」といったキーワードが示す通り、TSコンセプトのデザインソースは1960年代の欧州スポーツカーにあります。
丸目のヘッドライトに、大きく口を開けた楕円形のグリル。この顔つきを見て「ACコブラかな?」と思う人もいるかもしれません。しかし、マツダのデザイナーが意図したルーツはもっとマニアックなところにありました。その正体は「アバルト・シムカ 1300(Abarth Simca 1300)」です。
1960年代、フランスのシムカ製シャシーにカルロ・アバルトがチューニングしたエンジンを載せ、空力に優れた流麗なクーペボディを架装したこのマシンは、レース界で「小排気量のライトウェイトスポーツカーが大排気量の怪物たちを食う(ジャイアントキリング)」という伝説を作りました。フェラーリでもアルファロメオでもなく、「軽量コンパクトな車体で格上を追い詰める」というアバルトの反骨精神を、ロードスタークーペのキャラクターに重ね合わせたのです。

2016 Abarth124 Spider
余談ですが、この約10年後、NDロードスターのシャシーを使ってマツダ広島工場で本家アバルトの完成車「アバルト124スパイダー」が生産されることになります。このTSコンセプトの存在を思うと、不思議な巡り合わせを感じずにはいられません。
マツダから市販できなかった理由

この「TSコンセプト」は、オートサロン会場でやはり大きな反響と好評を得ました。当然マツダ内部でも市販化を模索する動きがあったはずです。しかし現実的には「このままの仕様」でカタログモデルとして販売することは不可能でした。理由は、完成車メーカーが背負う「安全基準(コンプライアンス)」と「量産品質」の壁によるものでした。

①衝撃吸収構造(クラッシャブルゾーン)の壁
TSコンセプトのエクステリアをよく見ると、フロントウインカーがバンパーから少し「浮いた」位置に設置されています。これはデザインの意図ではなく、ウインカーの裏側にあるバンパー・レインフォースメント(衝撃吸収部材)とのクリアランス(隙間)が確保できなかったための苦肉の策です。
丸目でクラシカルなノーズを実現しようとすると、当時の歩行者保護や衝突安全基準を満たすための内部構造(クラッシャブルゾーン)が収まりきらず、市販化するにはシャシー先端の「内部構造(骨格)の再設計」という莫大なコストが必要になりました。

②素材と耐久性の壁
コンセプトカーの専用外装パーツ(左右フェンダー、ボンネット、フロントバンパー等)は、加工が容易なFRP(繊維強化プラスチック)で成形されていました。しかし、これを「マツダの純正市販車」として売る場合、FRPでは経年劣化や衝突時の安全性担保が難しく、アルミやスチール鋼板でのプレス成形、あるいは高度な樹脂成形(TSOPなど)に変更する必要があります。
さらに、メーカー純正となれば、補修用リペアパーツの長期ストック義務、極寒・酷暑での耐久テスト、実車を使ったクラッシュテストなど、数億円規模の「見えない開発費」が重くのしかかります。
販売数がごく少数しか見込めないニッチな趣味車に対しこれほどの投資が回収できるか。マツダが市販化を見送ったのは、企業として極めて論理的で、ロードスターというブランド全体を存続させるためのシビアな判断でした。
2004 monoCraft mm1

マツダ自身が市販化を断念した「TSコンセプト」。このままお蔵入りかと思われましたが、ここで「時代の潮流」が救いの手を差し伸べます。2004年当時、法改正(規制緩和)により、日本国内でも本格的なカスタマイズカー事業への参入障壁が下がっていました。そこに目を付けたのが、日本最大のカー用品チェーンを展開する株式会社オートバックスセブンです。
彼らは自社のオリジナル・カスタムカーブランド「monoCRAFT(モノクラフト)」シリーズの立ち上げにあたり、その象徴(フラグシップ)となるモデルを探していました。そして白羽の矢が立ったのが、この「TSコンセプト」だったのです。マツダが自社のカタログモデルとして売れないのなら、オートバックスが「架装車両(改造車)」として売ればいい。オリジナルモデルから最小限のリファインを行うことで、市販化への目処が立てられていきました。

2004 monoCRAFT mm1
ロードスタークーペ(NB6改、NB8改)ベース(※うち1台はSGリミテッド1600ベースの幌車)
ブランドコンセプト
「monoCRAFT」は「乗る楽しさ、眺める楽しさをテーマに、個性的な車をより多くの方に楽しんでもらいたい」ということをコンセプトに、コンプリートカーの提供製作・販売を行うカスタムカーブランドとして誕生しました。
価格
1.6リッター(NB6C改)315万円(税込)
1.8リッター(NB8C改)357万円(税込)
<主要諸元>

「mm1」というネーミングは社内コードネームを採用したとされていますが、当時のロードスター専門誌には「M(マツダ)の魂(Mind)を込めた第一号」という意味がある、と記されていました。
市販化に至るモデファイ

「mm1」は、マツダがクリアできなかった安全要件やコストの壁を「アフターパーツメーカーによるカスタマイズカー(構造変更登録)」という特例的な立ち位置を利用することで突破しました。具体的には、完成したロードスタークーペの新車をオートバックスセブンが一度購入し、それを自社の工房で改造して販売するという手法です。
最大の懸念であったフロントの内部構造(レインフォースメント)は「オーバーハングの金属部材を切削して短縮する」という、量産メーカーでは実施が難しい大胆な手法で対処しました。外装も高価な金型を作らず、コンセプトカーと同じFRP成型(ただし高品質なハンドレイアップ)のままで良しとしたのです。

フロントフェイスに注目すると、「mm1」のグリル開口部はオリジナルの「TSコンセプト」よりも一回り大きくなっています。これは、車検(保安基準)で定められた「牽引フックの牽引角度(45度以上)」を確保するためフック用の穴を広げる必要があったからです。しかし、結果としてウインカーの凸部が消え、より洗練された「mm1」のフロントバンパーはコンセプトモデル以上にレーシーで魅力的な顔つきへと昇華されていました。

一方で、リアセクションに関しては、工学的な妥協を強いられました。丸型テールランプやセンターマフラーは採用されず、リアビューはノーマルのロードスタークーペと全く同一のままで市販されたのです。

実は、TSコンセプトで流用されたフィアットのテールパーツは奥行きがあり、装着するにはリアパネルのフレーム部分を大きく切除・再溶接する必要がありました。そこに莫大な工賃をかけるよりも、すでに豊富なアフターパーツが存在するロードスターの特性を活かし「リアの仕上げはユーザー自身の手に委ねる」という現実的な設計判断を下したのです。


発売時からリアセクション「アフターパーツも販売予定」とされていた通り、幌モデルのNBロードスターのフェイススワップ対応パーツをはじめ、さまざまなMM1専用のオプションパーツが用意されました。
mm1、その後の展開

2005 MAZDA ROADSTER COUPE CIRCUIT TRIAL Concept
2005 MAZDA ROADSTER COUPE CIRCUIT TRAIAL Concept
翌2005年の東京オートサロンでは市販化された「mm1(NB6ベース)」の1号車をベースに、デザイナーの福田成徳氏自身の手によって更なるカフェレーサー・アレンジが施された「ROADSTER COUPE CIRCUIT TRIAL」コンセプトが発表されました。

Abarth Simca Le Mans Paint
フェンダーアーチとヘッドライト回りに施されたクラシカルなホワイトの塗り分けは、まさにアバルト・シムカのル・マン参戦カラーを彷彿とさせる見事な仕上がりでした。

しかし、現実はシビアでした。本来であればこの「mm1」の予定販売台数は100台でしたが、ベース車両を供給するマツダ宇品工場の火災によりクーペ(というかNBロードスター)自体の生産がストップし、わずか「30台限定」へと縮小されたのです。さらにその30台ですら「即完売」とはなりませんでした。下記の通り、ロードスタークーペ自体の販売状況は極めて厳しいものだったのです。
・最新のロータリースポーツ「RX-8」が約240万円から買える時代に、「mm1」は1.6Lモデルで315万円、1.8Lモデルで357万円という、非常に高額なプライスタグが付いていた
・完全新設計となる第3世代「NC型」ロードスターの発表がすでに予告されていた

この重なる要因により、デリバリー予定の30台にも満たず、実際ユーザーの手に渡ったのは16台となっています。かつ、売れ残っていた個体はしばらくの間、オートバックスの旗艦店の隅で特別展示(という名の値引き販売)をされていた時代もありました。
しかし、時代は回ります。現在、このクルマの類稀なる希少性と、NBクーペという素材の真の価値に気づいたエンスージアストの手に渡ったことで、もはや「mm1」が中古市場に出回ることはほぼ皆無となりました。
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【後継車】monoCRAFT mh1
「mm1」が遺したクラシカルな特装車の系譜は、ベース車両を第3世代のNC型ロードスターへと移し、正統な後継モデルへと受け継がれました。それが2006年にオートバックスセブンから100台限定で発売された「monoCRAFT mh1」です。
デザインを手掛けたのは、mm1に続き福田成徳氏。最新鋭(当時)のNC型プラットフォームをベースにしながらも、1950〜60年代の欧州ライトウェイトスポーツが放っていた「ネオクラシック」な意匠を、見事に現代の車体へと落とし込んでいます。
エンジニアリングの観点でも非常に大胆な造りこみで、フロントバンパーだけでなく、フロントフェンダー、さらにはボンネットに至るまでを専用のFRP製パーツへ丸ごと換装し、象徴的な丸目ヘッドライトをマウントしています。NC型特有のグラマラスでマッシブなボディラインと、クラシカルなフロントノーズをシームレスに繋ぎ合わせる造形美は、マツダの骨格を知り尽くしたデザイナーならではの妙技といえるでしょう。

さらに特筆すべきは、NC型の象徴ともいえる電動格納式ルーフ「RHT(パワーリトラクタブルハードトップ)」モデルもベース車両として選択できた点です。これにより「流麗なクーペフォルム」と「オープンカーの開放感」、そして最新の安全・快適性能を完全に両立させるという、ひとつの理想へと到達しました。
販売台数は限定100台と謳われましたが、実際は80台ほどとされています。また、現在ではmm1同様、中古車市場でお目にかかることは極めて稀なモデルとなっています。「古き良きスポーツカーの情景」を現代の技術で甦らせる。mm1から産声を上げたモノクラフトの熱きスピリットは、このmh1を通じて確かに次世代へとバトンを繋いだのです。
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ESQUELETO BRISA(エスケレート・ブリサ)
ここで物語は終わりません。現在、もしNBロードスターを所有しているなら、この「mm1」ルックを再現することが可能です。ロードスター界隈ではおなじみのフルバケットシートブランド「エスケレート」を展開するファトラスタイリング社より「ESQUELETO BRISA(エスケレート・ブリサ)」というボディキットが販売されているのです。
実はファトラスタイリング社は、当時の「mm1」のパーツ開発・製造に深く協力していた企業でした。彼らはmm1の設計思想を引き継ぎ、自社のボディキットとしてこの美しいフォルムを継続提供してくれているのです。※なお、同社からはNCロードスターをベースにした「mh1」(エスケレート・クリマ)のキットも販売されています。

この「ブリサ」のキットで特筆すべきは、フロントフェイスの再現度だけではなく、「mm1」の市販化の際に断念された「丸型二灯式テールライト」も継続提供されています。当時の開発陣が思い描いた「完全体」の姿が、アフターマーケットの力によって維持されてる素敵なパーツといえるでしょう。
全国16台のクーペボディ

ロードスターをベースにしたクーペボディの市販化は初代NA時代からの悲願でした。この「ルーフを閉じる」という系譜は、第3世代NC型の「RHT(海外名:MX-5 Roadster Coupe)」、第4世代ND型の「ロードスターRF(Retractable Fastback)」と、電動ハードトップという形で引き継がれていきました。
しかし、その進化の過程において、オープンボディに鉄の屋根を職人が手作業で溶接し、さらにクラシカルな顔面を架装するという、採算度外視ともいえる複雑な製造工程を持つのは「ロードスタークーペ」と「mm1」だけです。

(写真提供:ザクザク氏)
当初100台の目標に対し、実際に公道へ出たのはわずか16台。一からデザインを興し、ショーモデルを作り、プロモーションを行ったビジネスとしては、非常に厳しい結果だったのかもしれません。しかし、そんな希少なクルマであるにもかかわらず、幸運なオーナーたちはこのクルマをガレージに仕舞い込むことなく、量産時に割愛されたオリジナルデザインへ「戻す」カスタムを楽しみながら、今も日本のどこかのワインディングを駆け抜けています。

特に「mm1」は、単なるワンオフのショーモデルで終わるのではなく、幾多の法規とコストの壁を越えて「ナンバー付きの市販車」として公道へ出たという事実そのものに、マツダとオートバックスの技術者たちの計り知れない情熱を感じます。

(写真提供:関西在住Y氏)
それは単なる希少車ではありません。日本の自動車史において最後に生まれたアナログスポーツカーであり、そして、手に入れた者が二度と手放すことのない「アガリの一台(人生最後のクルマ)」になり得る、国産車最後のコンパクトFRクーペです。もし街角やミーティングで、この丸目の流麗なクーペを見かけたら、その洗練されたスタイリングと、背景にある技術者たちの矜持に、ぜひ思いを馳せてみてください。
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