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NB20周年インタビュー、引き続きフォード資本時代のエピソードです。マツダファンにとってはお馴染みの悪夢・5チャンネル体制ですが、「中の人」がこの時代に触れることは意外に少なく、あえて聴いてみた話でもあります。
ご存知の方も多いと思いますが、それまでのマツダ歴代スポーツカーはトラック部門が担当しており、貴島さんもそちらの出身でした。しかし、フォードが経営再建を行う中でトラック部門は廃止、軽自動車や商用車も廃止します(OEM販売)。マツダのブランドメッセージ「Zoom-Zoom(=走る歓び)」に併せて、経営資源を集中していったのです。
さて、趣味性が高いスポーツカーなのに「儲かっていた」ロードスター。そこでフォードが下した決断はどのようなものだったのか。以下、貴島さんインタビュー再開です。
参考:貴島孝雄氏プロフィール
→ https://mx-5nb.com/2019/12/29/kijima2017-0/
「ロードスター」という会社経営
主査は「ロードスター」という企業の社長と思ってもらうと分かりやすいと思う。
投資額を決めて、デザイン、性能、販売価格から、品質を保ちながら製造を行って、ディーラー輸送のタームから、販売計画、収支までをみる。さらにJDパワー(※品質調査会社)のスコアも来るからクレームに対処して、次のスコアまでの目標を立てる、そんな全てを統括する。
その権限は、役員を招集して会議に上程できるもので、株主に対する会社役員の関係に近しい。役員へ販売計画を上程して、そのギブンで300億使っていいと許可が出る。
実際、クルマ作りのエンジニアリングで悩むことはなかったけれど、組織を動かして賛同を得るためのマネジメントの方が大変だった。社内だけでなくサプライヤーもいるし、出来ないといわれるのを説得しなければならない。
団塊世代は学歴偏重があって、社内には東大・京大といるなか、私は学歴がないものだから妬む人もいたけれど、そういう連中までマネジメントをしなければならない。ファイナンスや購買品質、管理、生産など各部門に副主査がいるので、彼らと課題はいつまでに解決するかなんて、喧々囂々とやっていた。
主査としてはRX-7もロードスターもダブっていたので、休む暇や息抜きの時間なんてなかった。スポーツカーはマツダのなかでも開発出来る人間が豊富にいないから、兼任が多い現場だった。現行車をやりながら新車開発をおこない、新車発表のタイミングでは2年後のマイナーチェンジもプランを始めている。セブンのマイナーをやりながらNBロードスターを開発しているような状況だった。
ただ、フォードからは余計な口出しはあったけど、モデル廃止なんて話は一切なかった。
それよりもマツダ時代に手がけたクルマで収益を上げたら手柄になるわけだから、ロードスターなんてやりたいクルマになる。そこでアメリカ市場で売れるには、「アメ車の様なマッチョなスポーツカー」にすればもっと売れると勧めてくる。開発内部にまでそういう者がいるから、私が苦労したのはそこだった。
クルマ好きに国境はない
フォード出向者もクルマ好きが多いから、自分のマネジメントで自分好みのロードスターにしたいといってくる。しかし、そこでは好みを聞くのではなくて、コンセプトに合致したもので選ばないと喧嘩になって話が進まない。今までの伝統もあるし、こういう顧客がいるから「これがいい」と、間違いない方向性を示す。それが主査の大事な役割だった。
例えばカーデザインの世界になると芸術センスも必要だから、デザイナー同士が仕事をするのは難しい。尊敬するデザイナーのスタイルを見て、全体でいいという人もいれば、部分(ディティール)で評価する人も混ざる。だからこそ、リーダーは意見を一つにしなければならない。
福田さん(※)は初めてデザインに塊(カタマリ)という表現をした。それまでのクルマは上面と平面を作って張り合わせていた。そんなパーツ単位ではなく、動物の持つ躍動感や抑揚のあるラインを塊(カタマリ)から削りだす。NAロードスターの時代あたりから、そういったフォルムの評価を行った。
また、フォード・アンブレラの中でキャラクターが競合しないように、マツダデザインのフィロソフィーを「ファイブポイントグリル」と決めて、98年~2000年頃から実行していった。アッカー(※)は組織をまとめようと、名前に鏑(カブラ/コンセプトカー)などの意味合いを付けて、イメージを統一していった。
今後のロードスターを見越して
ロードスターのデザインは「ファン、フレンドリー、シンプル」が基本であることを私は確信して守った。
それに照らして選ばないと、皆が勝手な事をいってくる。「それはフレンドリーか?楽しいか?ファンに思えるか?」なんて聞くと「ラインが硬いかもしれない」となっていく。テールの分かりやすさは、ランプのキャラクター(造形)にある。ロードスターは初代から小判型だけど丸いイメージをもっているし、2代目、3代目も丸を共通モチーフとして採用した。
同じように911(ポルシェ)もデザインを大きく変えてくることはない。なぜあの恰好を伝統にしているのかというと、あのフォルムがいいものとして【不文律】になっている。彼らも924、944、928と色々迷ったけれど、やはり911の良さがあると復活させたし、あの形、あの路線はもう変えてこないと思う。BMWの味を入れてくることなんて絶対ないだろう。
ロードスターもこれから5代目、6代目とやっていく時に、911の様なものが築けていけるかどうか。10年、15年経った時に歴代車を並べてしっくりいくか。会社なんて50年そこそこでは終わらないし、マツダは2020年に100周年を迎えるけれど、こういう伝統は150年先まで見てやらなければならない。
要は911のような哲学を、マツダがきちんと持つことが出来るかになる。ロードスターは初代があれだけセンセーショナルに売れたけど、理由は絶対あるはずだった。ファーストカーとしてはアメリカ人の9割、ほぼ総スカンだった仕様であっても、セクレタリーカーとしては「日本らしくていい」と何十万台も売れた。
それでもアメリカマツダからは「マッチョなNBコンセプトカー」を送ってきたけれど、ロードスターの本質を理解せずにそれを採用していたら、ロードスターは2代目で終わっていた。
フォードから学んだもの
フォード出向者は他所から来ているから、規律通りの事を発言できるけれど、当時の社内は身内の甘さ、日本人の甘さで苦労していた。経営者の影響力が大きく間違っているとはいえずにイエスと聞いてしまう。当時の経営では身を潰してしまったし、賢い経営者ならば影響を与えないで退陣する。一般企業はきちんと外の血を入れることもあるし、創業者一族だったとしても、外を知ってから帰ってくる。
だから、マツダが自分たちでやれていれば、フォードが来ることもなかった。日本人は利益を上げる為に「指標」を徹底できない、そんな常識的な事で甘かった。根回しもなぁなぁだし、切磋琢磨なんてやらない。フォードは基準通りのことを根回しをしてでもやり切るし、同じ一派だからなんて甘いこともやらない。互いの部門で役割を達成していくので、全体がうまくいく。品質を良くするのは当たり前なのだ。
ポリシーを守らずにものを作るのは楽だけど、それはブランド構築にならない。継続することによって築かれていくものの重さが、それまでのマツダには無かった。お人よしの甘さ、「これでいいか」という雰囲気がなくなったことが、現在の躍進するマツダを生んでいる。
フォードが残したものは、まさにここだと思う。(続く)
近年は、マツダからの発信でも目にする「フォードからの学び」。エンジニア視点から語っていただいた話は如何だったでしょうか。特に大きいのは、フォードが実践した「マツダらしさとは何か?」というブランド構築で、ロードスターはそれに合致していたことも、モデル存続として救われた部分があったと思われます。(なお、リーマンショックによる不況を皮切りに2015年には資本関係を解消しています)
スポーツカーは売れないし、儲からない。だから継続されることもない。誰が最初にいった言葉かは不明ですが、これは自動車愛好家のなかではステレオタイプなイメージでした。
実際、現マツダ経営陣のインタビューでも「経営が苦しい時にもロードスターは止めなかった」という発言があります。しかし、実はフォードは敵ではなく、むしろ「やりたいクルマ」であったというエピソードは、「何故ロードスターが継続できたのか?」という理由を知りたかった私としては、衝撃的な内容でした。
そのうえで「ロードスターの本質を理解しなかったら、二代目で終わっていた」という貴島さんの話も、とても興味深いものがありました。では、そのロードスターの本質とは何なのか。次回の開発インタビューに続きます。
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