NCはなぜキジマじゃないのか(D-1)

NCはなぜキジマじゃないのか(D-1)

貴島孝雄さんインタビューの続きです。今回はNC型、第三世代ロードスターのエピソードに入ります。

ご存知の通りNCロードスターは完全新規、ゼロから再設計することになったロードスターです。ただ、フルモデルチェンジを行うのは一枚岩ではなかったそうで、一部メディア等でも有名なエピソードが出てきます。でも、それをご本人から聞けたことに意義があります。ちなみに、NC企画開始は2001年5月、NB2の頃の時代から始まっていました。

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NCロードスターの開発経緯


繰り返すが、ロードスターのフルモデルチェンジは基本的にレギュレーション対応になる。燃費や歩行者保護などの規制に対して、現モデルで対応出来なくなったら区切るという選択しかやっていない。NCも、本当にどうしようもなくて変えた。

NCの主査も最初はやる予定がなかった。RX-7(FD)の販売終了が決まっていて、後継にNAロータリーのRX-8が作られることになっていた。でも、4人乗りのスポーツカーなんてありえないので全くやる気がなかった。


NBロードスターもひと段落して、あこがれのスポーツカー主査だから「後継に譲って欲しい」という社内の声もあった。私はホンダのハシケンさん(※)みたいに技術広報をやりたいと上程していて、広報からもそのポジションが用意されることになっていた。

※橋本健氏:ホンダF1車体技術開発責任者として知られる

しかし、マツダの幹部会議でNCの話が出た時に「なぜ主査はキジマじゃないのか」という議題がでた。それで誰も答えることが出来なくて(笑)、その会議の後に上司から「NCも頼む」と話がきた。

それで、NBから継続したスタッフは半分くらいだったか・・・だいたい定年近くの人はいい仕事をしてくれたけれど、キーになるような人は殆ど入れ替わってしまって、特に若手に変わるとガタっと質が下がってしまう。だから、ここからのスタッフにはコンセプトから順番に伝えなければならなかった。

困ったのは、サプライヤーも世代が全部変わっていて、NBの事なんて知らない(笑)。マツダのロードスターといっても、開発費は全体で5~6%ほど。つまり、開発費の大半はCX-5とか売れるクルマに充てているから、サプライヤーとしての優先度、絶対値は低くなってしまう。だから、間にあわせのような開発者がいたりするとスピリッツが伝わらない。

感性エンジニアリングの論文


そこで、NAのサスペンション設計は私だったけど、全体は平井さんが統括したから、退職していた平井さんにお願いして、一緒にロードスターのコンセプトを形にした。そこで「貴島くん、国内に出しても仕方がないのでSAE(※ソサエティ・オブ・ オートモーティブ・エンジニアズ 米国のモビリティ専門家非営利団体)に出そう」となり、当時フォードから来ていたネイティブな子が通訳や表現の添削してくれた。

それをデトロイトまで行って、英語で20分くらいの発表を行った。先方から「この内容は「サスペンション」でもなければ「プラン」でもない、論文の入るカテゴリーがない」といわれたが、最終的にはHMI(ヒューマンマシンインターフェイス)カテゴリーに入れてもらえた。

参考:

ロードスターの人馬一体とは(前編)


また、感性エンジニアリングと一緒に「コンセプトカタログ」というのをやった。コンセプトをベースに共有・展開するのがマツダの開発における特徴だったから「このクルマはライトウェイトだから、1グラムでも無駄にしてもらっては困る」という、ロードスターの初代から変わらない思いを形にして、400部くらい刷って関係者に配布した。カタログ的なものは以前からあったけれど、配布をしたのはNCが初めてだった。

方向性のエビデンス


また、開発前にポールフレールさん(※)を始めとした海外ジャーナリストに、「3代目も人馬一体で行こうと思うけど大丈夫だろうか?」と手紙を書いた。すると「世界中どの雑誌を見ても、オープン2シーターでロードスターが楽しさで負けるなんて記事を見たことがない」という答えをいただいた。予想通りではあったけど、本当に嬉しかった。

※ポールフレール氏:元レーシングドライバーの世界的ジャーナリスト 参考リンク

実はマツダ社内からも、価値観や経験の差からか反対意見をいってくるのがいた。「人馬一体?軽量化?ヨー感性?そんなのが儲かるのか?」二言目には「トヨタはやっているのか?」なんていってくる。だから、これらのメッセージを開発エビデンスにして、社内で通した。

大部屋活動


色々な仕事のやり方があると思うけれど、あの時は開発の初めに「人馬一体」と書いてある大部屋を作って、部門に関係なくこれから関わるスタッフ100人くらいの大部屋活動を1年半ほど行った。クルマの方向性や、自分たちの分野の設計が見えてきたら、古巣に持って帰って詰めて行くやり方だった。

その後は定期的に各部門の代表、それこそエンジニアだけではなく営業から経理まで2~30人位が全部集まった陣立会議というものをおこなって、いろいろ指示をしていった。

次回に続きます

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