NAロードスターが割り切ったもの

NAロードスターが割り切ったもの

次世代(NC)ロードスター開発のために書かれた、NA/NBロードスターの「感性エンジニアリング」論文。今回は補足エピソードを幾つかご紹介します。

NAロードスター(J58G)の開発は、有志の「残業と休日出勤」で進められました。限られた資源を有効活用するために、車庫に使われていたワンフロア(リバーサイドホテル)に集結し、手弁当での作業になりました。多段この場所は開発部署を横断した情報共有が可能になったことと、外部のネガティブ意見をシャットアウト出来たという効果を得ることもできました。

では、外部のネガテイブ意見がどんな内容かというと・・・これが中々鋭いものだったようです。

開発に関する反対意見

・世の中のクルマがFFに進化してきたのに、なぜFRに逆戻りするのか?
・FFでもいいからスポーツカーらしくして、早く販売してほしい
・今更二人乗りの不便なクルマを作って買う人がいるのか
・資源の大切さが問われるこの時代に、あまりもに効率が悪いクルマだ
・21世紀も間近なこの時期に、幌付きのクルマを本気で考えるなら時代錯誤だ
・マツダ過去2度のコンバーチブル開発経験から、コストも重量も大きくかさむ
・こんなクルマがマツダに必要なのか?
・田中(デザイン主査)が好き勝手にやっているあのデザインで大丈夫か?

もちろん悪意があって反対しているわけでは無いでしょうが、LWS(ライトウェイトスポーツ)自体が理解されていなかったことと、企画自体が商品開発部ではなく技術研究部の発案だった事も背景にあったそうです。

もちろん平井主査(※NA開発主査)は理解を得るために、あらゆる手段で調整をかけました。それこそコンセプトの理解を得る、そもそものところから多くの時間を費やしていったのです。しかし最終的には「FR」「2シーター」「幌付きのオープンカー」、このうちどれか一つでも外せとなれば、このプロジェクトは解散すると開き直ったそうです。

プロジェクトの転機


試作モデルまで完成したにもかかわらず米国、日本、ドイツ3大販社による「LWSの需要無し」という意見は変わらず、プロジェクトは頓挫の危機まで見えていました。しかし、生産にGOサインが出たきっかけは、1987年4月に行われた米国での市場調査でした。

原寸大のプラスティック・レプリカ(ラクマスモデル)をコンベンションホールに持ち込み、市場対象者245名を30グループに分け、プロの司会者のリードでインタビューをおこなった、その結果です。レビューが想定以上にポジティブで「1日も早く市場導入を!」というコメントまで得ることになりました。

その後、和田副社長(当時)より「現地がそのように望んでいるのなら、それを実現するのが主査の務めである」とアナウンスがおこなわれ、社内の不協和音はピタリと止まったそうです。

コストと割り切り

これは平井主査の回顧録からの引用です。

遮音材を入れると重量もコストも増えてします。静かなクルマが欲しければセダンに乗ればいい、LWSは欲をかいたら完成しない。拘るところ以外は割り切って捨てる。エリートは誰も満足できるようなクルマを作ろうとして、切り捨てる勇気を身につけていない。だから私が手を挙げた

ロードスターは純正アルミパーツの採用や、世界一の幌を開発するなど、こだわりを実現していきました。また「社内基準に満たないことに対する責任は全て自分が取ると」平井主査は断言して、プロジェクト推進していきました。では、その「こだわり」と「割り切り」をご紹介していきます。

インテリア
スポーツカーの基本性能「走る・止まる」を優先すると、トータルコストからインテリアには軽自動車クラスの予算しか取ることが出来ませんでした。したがって、デザイン範囲は黒一色の平板トリムとインナーハンドルのみになってしまったそうです。

この件、デザイナーを説得するために「シンプル・イズ・ベスト」を繰り返したとか。また、部品を全世界共通にするため、サイドブレーキやセンターコンソールの開口部は助手席側になっています。

バッテリー搭載位置
バッテリーは当初、重量配分の観点から助手席後方の配置を想定していました。これはリアホイルアーチの前に蓋をして、横から滑り込ませるという設計だったそうですが、組み立てラインでの生産性が悪く、結果としてトランクへ異動になりました。

既にスペアタイヤが存在している所にバッテリーも来たので、ゴルフバックを積むことは諦めてもらうことにしたそうです。

スペアタイヤ
当時は現在のような「修理剤」ではレギュレーションがクリアできない国が多く、テンパータイヤの採用になりました。ただ、国によっては純正と同じサイズのスペアタイヤを積まなければならないという規制もあり、その国での販売は諦めました。

また、パンクしたタイヤをトランクにどうしても積むことができず、破損タイヤ用の収納袋まで考えていたそうですが、デザイン上の丸みを出すためにボディの四隅を削ったことでトランク中央部が伸びて盛り上がり(オーバーハング上は問題ないそう)、結果パンクしたタイヤが収納できることになりました。


エクステリア
通常はデザインを内示する際に、ある程度の時間的な修正マージンがあるそうですが、ロードスターはデザイン凍結(その日以降、デザイン変更を認めない)を行ないました。結果として、部品金型製作の無駄(作り直し)を省くことにつながり、コストダウンに繋がりました。

対象ドライバー
オーストラリア販社が噂を聞きつけ原寸大モデル(ラクマスモデル)を見にきた際、彼らの体格には室内が窮屈であることが既にわかっていたそうで、案の定「デザインは気に入ったが室内が少し狭い。なんとかならないか?」という意見が出ました。

しかし「このクルマは貴方のような大きい人は対象外で、我慢して乗ってもらうか諦めてもらうしかない」と伝えたそうです。(先方は我慢して乗る!となりました)

パーティングライン
1980年代後半からプレスや車体の技術が向上し、パネルの隙間が小さくなっていくのが一般的でした。当時のマツダ車も4mmを標準としていたのですが、ロードスターはオープンカーであることもあり、剛性計算すると悪走路によっては隙間が動いていることが判明しました。そこで、生産部門には5mmのマージンを取ることに納得してもらいました。

また、リアフェンダーのプレス深絞りに関し、プレス技術の担当者から改善要望が出ましたが、デザイン的には譲れませんでした。そこでトランクリッッドのパーティングラインを12ミリ外側にずらし、デザイン的には事なきを得ました。その影響でフェールリッドが真円でなく、楕円になりました。


ホイール
オリジナルデザインは8本スポークでしたが、軽量化・コストダウン目標のために7本スポークになりました。また、目標からかけ離れて高い部品があり、それを分析調査すると運搬中の緩衝材の方が、本体部品よりも高価だったこともありました。

最低地上高
社内基準の最低地上高は150mmでした。しかし、それでは「走る楽しさが出ない」と135mmを譲りませんでした。ホイールベースが普通のクルマよりも短いことに加え、世界各地を試走した上でいける(擦らない)と断言し、そのまま進めていきました。

まとめ


これらは平井主査をはじめとした初代NA開発時のエピソードですが、平井主査はロードスターの後に引退する予定が、某軽スポーツカー開発を命じられ、こちらは商業的に爆死して生産中止になります。その結果、2代目主査を貴島さんに託すことになりました。そして引き継ぎの際には「このクルマのボンネットの下にはオイルでなく血が流れている」とお伝えしたとか。

今でこそマツダのブランドピラーとして、かつてない程の優遇を受けているロードスター/MX-5ですが、これだけ魂込めて造られたホンモノであるから、30年以上生き残れたのかもしれません。

以上、「人馬一体」達成の裏にあったエピソードのご紹介でした。

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