鬼島『オニジマ』(A-2)

鬼島『オニジマ』(A-2)

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今回は貴島さんがスポーツカーに関わるまでの背景や、開発主査のスタンスをご紹介します。ビジネスを行う上でのリーダーシップと「軽さは性能」であるライトウェイトスポーツをどう主導していったのか。

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エンジニアとしての礎(いしずえ)


学生時代はブルドーザーのキャタピラが大好きで、コマツの建機を作りたかった。東洋工業がロータリーエンジンのマツダとは知らず、実は入社前に少し躊躇した(笑)。

ご存知の通り、私は高卒だから人脈ゼロ。そういう立場で大学教授をやれているのは異例中の異例になる。マツダに入っても、私たちは学歴がゼロの立場から始まった。

学歴が無いところでやらなければならないのは、実績しかない。仕事を効率よく、クオリティを高く、どれだけアウトプットしていけるか。それをやらないと何も残らないと思ったから、来る仕事は全てこなした。すると上司が、コイツに仕事を任すと「確実な仕事」やると目をつけてくれた。


幸いだったのは、入社半年で阪大出身の先輩の元へ配属されたことだった。マツダは日本でも早めにコンピュータを導入していて、軽自動車におけるリーフスプリングの振動研究をやっていた。それをIBMのフォートランで技術計算や事務計算をおこなう助手をやることになった。プロッターでデータを読み込んで、振動結果を全部グラフに変えて提出していく。すると、上司がとても喜んでくれた。


当時はカードを読み込んでから計算するので夜中に仕込むのだけど、そういったデータを毎日2,000枚くらい持っていく。コンピュータを扱えるので簡単なプログラムも組めるようになれたし、おかげで理論とか技術的なことを身に付けるチャンスを得られた。

三輪トラック以外にも軽トラックをやって、トラックもボクサーとか全部扱ってきた。ロータリーエンジンのプロシードはトラックのくせに180km/h出るけれど、操安性が悪いのでその対策を行ったり、キャロルロータリー(※未発売)の開発も担当した。

ダブルタイヤのボンゴもやった。ビールケースを積むためにフロアをフラットにしたいから、12インチのダブルタイヤを付けたいと要望が来て、それは一輪パンクしても走れるのが評判で、バカ売れした。

RX-7をトラックグループで引き取った


当時のクルマ開発は、新技術開発部門と先行部門、量産部門に分かれていた。1973年頃はタイタンの設計をやっていたけれど、会社でRX-7(SA22)を作ることになり、当時は理論のみで量産に使えていなかった「操縦安定性の研究テーマ」をセブンでやるとなった。そこで「貴島を出せ」と配置転換がきたけれど、私の上司が貴島は出せないとケンカをして、ならばトラックグループでセブンを引き取れとなった。

つまりRX-7の操縦安定性は、理論のみだった解析プログラムを使うことになった。それまでのセッティングは部品を沢山作って、それに合うものを選ぶというやり方だったけれど、私は今までの経験から全て計算で特性を導いた。スタビライザーはこうで、サスバネはこうと決めてセットしたら、そこそこの性能が出たものだから、コイツはこんな仕事が出来るんだっていわれて(笑)、これも実績になった。

開発主査を引き継いで


主査に初めて選ばれたのはFDのRX-7だった。FDの開発初期に、NCロードスターで私がやった大部屋活動のようなタスクフォースチームを作った。小早川さん(※)からは、ロータリーエンジンはお門違いだから別になるけれど、ボディ、シャシー、内装など全てのリーダーをやってくれと頼まれて、片腕をやっていた。

※小早川隆治氏:2代目、3代目RX-7開発主査 

すると途中でル・マンの仕事も入ってきて操舵安定性の悪い787Bの解析を行って、サスペンションの軽量化や剛性アップをおこなったら、優勝までしてくれた。しかもFDは筑波(サーキット)でNSXを超えるタイムが出たとか、そんな実績も積み重なり、小早川さんがセブンの後継主査へ推薦してくれた。

主査の任命は学歴とか色々問題があったけれど、それまでの実績で認められた。1992年は年齢的に40ちょっとだったが部長クラスの主査をやらせていただいて、平井さんが辞められる時にロードスターも引き継いでNBもNCもやって、これもそれまでの実績により成せた事だと思う。こういってはなんだけど、学卒の幹部社員とほぼ同じくらいの役職になれた。

主査の仕事とは


クルマというのは、当然一人で作ることはできない。25,000〜30,000点もある部品を、私が全てチェックすることは不可能になる。どうやって意志統一をするかというと、それは哲学やコンセプトを伝えることにある。「このクルマはこういう思いで、お客さんにこう感じて頂けるような、こういった商品を作るんだ」ということスタッフが理解してくれて、彼らの領域の達成がトータルされることで、やっとコンセプトが実現できる。

だから、その「考え方」を徹底することが、私のような立場には一番大事なことになる。スタッフが別々のコンセプトで仕事をしていたら、お客さんは乗ってみるとすぐに分かってしまう。たまに他所で「エンジンが強いクルマ」とかが出てしまうのは、そういう事だろうと思う。

私は、仕事で技術に対して鬼でないと絶対に駄目だと思っている。「これで大丈夫です」って部品に荷重をかけたら、たわみが出て壊れる・・・では話にならない。解析すると数字が出るのに、そういう点で甘い人間がいる。私は「嘘」や「いい加減なこと」には絶対にOKしないから、「アンタお金を出してこれを買うか!」と本気で怒ってやる。技術に対して絶対に許してもらえないから、貴島のキは鬼のキ、オニジマなんていわれた(笑)。

鬼で全然かまわない


軽さなんて、計測したら数値が出るから「嘘つくな」ってなるけれど、「頑張ります」ではなく、結果を出さなければいけない。だからNCのホワイトボディを1.6キロ(※NB比)軽くした連中(スタッフ)は発売してしばらく経ってから、その理由を分かってもらえたと思う。

プランが無いのに「軽量化します」っていうけれど、どうするのか。板厚を薄くするの?どうするの?って聞くと、それは今から・・・とかいってくるから、鬼になる。だってお客さんはお金を出すのだから、その人たちが絶対にいいと思ってくれるもので実績を示さないといけない。

ずるい人がいて、最初からからマージンを持っているやつがいる。ターゲットアグリーメントでの見積もりは「10kgになります」というけれど、実際の実力では9kgで出来る。それで頑張って9kgになりましたといってくる。

しかし、正直なやつは9kgを「8.5kgで頑張ります」といってくる。こいつはコンマ5赤(マイナス)を出すかなと思うと、予想通り8.5では出来なくて8.8kgくらいで出てくる。でも、そういう方が尊い。「マージンを持つやつ」を許さず、本質を見抜く力がないと開発責任者なんて務まらない。

要は、自分が判断できる情報を持ちながら適切に対処しないといけない。そういうこと把握しないで、実力よりも大きな目標をやったら歪(ゆがみ)がくる。

私はサスペンションのプロだけど、ボディもシートもインパネも全ての情報をティアダウン(※参考車種の分解)などで知っていなければならない。開発要件を変えてこうなるならば、これは9kgで出来るはずだとデータを持って、部門ごとのシビアリティ(※厳しさ)バランスをとりながら、全体でも統括をおこなう。


例えばエンジン部門との関係も、彼らは外から来ているから上司の承認を取らなければならない。上司の反応を考えたらマージンを持っていたくなるのも分かる。それを「ほっとけ」ともいえないから、参考になるものを見せて、これくらいは出来ないと困ると伝える。

市販で活かせるものは4〜5年前に基礎が出来ていることだし、ライバルの会社は伸びていくから、我々の新車が出る3年後には負けているかもれない、そんなことを読みにいれる。

だから、9kgを8.8kgくらいでやってもらわないと、1t(トン)台のクルマは作れない。鬼の貴島、オニジマで全くかまわない。

次回に続きます

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