MR-S② ミッドシップ継続のために「MR2(SW型)」

MR-S② ミッドシップ継続のために「MR2(SW型)」

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本トピックはトヨタのライトウェイトスポーツ「MR-S」の小特集シリーズです。なお、トヨタでは当時「MR-S」を「ライトスポーツ」としていましたが、当サイトでは「ライトウェイトスポーツ」の表現に統一しています。

日本初のミッドシップカーとしてライトウェイトスポーツを志し1984年にデビューしたトヨタ「MR2」は、2代目にフルモデルチェンジすることとなりました。今回はそこからコンセプトカー「MR-J」に至るまでの流れをご紹介します。

前回の記事はこちら→https://mx-5nb.com/2023/08/14/mrs_1/

モアパワー!2代目「MR2(SW型)」


1989 TOYOTA MR2

初代「MR2」のスーパーチャージャー仕様を手掛けた2代目開発主査の有馬和俊氏は、そのまま2代目「MR2(SW型)」の開発を引き継いでいました。なお、当時におけるクルマのフルモデルチェンジは、豪華装備もしくはモアパワーなどの【性能向上】が当たり前で、前作と何が違うかを競うような時代でした。

80年末~90年代初頭の日本はバブル経済真っ盛り。クルマにおけるフラグシップカーは「280馬力(自主規制)」ギリギリまでのパワーをいかに達成するかに明け暮れ、2リッター前後のミドルグレードはそのフラグシップカーに下剋上をするのを競いました。

その具体的なベンチマークは「筑波〇分切り」というもので、スポーツカーはいかに他メーカーのクルマをぶっちぎれるかを競う、まさに「スペック至上主義」でした。

そんな時代に生まれた2代目「MR2(SW型)」のテーマは、【90年代をリードする「ミッドシップしかないスタイル」のトレンドセッターを目指し、大人のアソビ心を表現する】と、当時のバブリーな香りがプンプンするポエムは残されています。

事実、初代「MR2(AW型)」の販売7割がスーパーチャージャー仕様だったことからも、フルモデルチェンジにおいてモアパワーがユーザーニーズに応える正解とされ、2代目「MR2」はライトウェイトから脱皮してミディアムスポーツカーへ進化する道を選んだのでした。具体的な目標スペックはMRレイアウトのトラクションを武器にした「日本一の加速力」へ挑戦することです。


2代目「MR2」のシャシーは、T180型セリカ(5代目)をベースに進行方向を前後逆にして、初代ではスペースの都合で断念していた、当時のトヨタラリーカーにも搭載されたヤマハチューンの名機「3S-G」系の2リッターエンジンを採用。

自然吸気(NAエンジン)の3S-GE型は165ps、ターボの3S-GTE型は225psと初代より大幅なパワーアップを果たしました。ターボの強力なトラクションを受けるため、タイヤは前後異形サイズを採用。開発コンセプト通り、当時のゼロヨンにおいて「MR2」は2リッタークラス最強の座を誇りました。


スタイリングも先代のエッジが効いたウェッジシェイプから一転、(当時の)トヨタのデザインテーマ「パワーサーフェース(POWER SURFACE)」を採用しています。スポーツ選手の鍛え抜かれた筋肉をイメージしつつ、色気のある流麗なオーガニック・シェイプ(有機的)なボディスタイルへ仕上げてあります。

また、大幅な剛性アップによりクーペはもちろん、サンルーフ、タルガトップ、Tバールーフ、フルオープンと様々なバリエーションが実現できました。ロングホイールベースの伸びやかなプロポーションとともに、前後トランクはクルマの見た目以上に容量を確保しています。

リトラクタブルヘッドライトの低いノーズ、MRらしいバットレスタイプのCピラー、そしてリアフェンダーに設けられたエアインテーク、そして世界初のステアリング連動型フォグランプ。いわば和製フェラーリといっても違和感のない、素直にカッコいいスポーツカー・スタイリングは、スペシャリティとして上がった車格を十分に満たす存在になりました。


販売価格は自然吸気のベースグレードで182万円、ターボのトップグレードで278万円。旧MR2(AW11)が149万円〜234万円だったことを考えると、車格相応の値上げになっています。(※当時の大学初任給は15.3万円)

TOYOTA MR2(SW20)NA 1989
車格: クーペ・スポーツ・スペシャリティ 乗車定員: 2名
全長×全幅×全高: 4170×1695×1240mm 重量: 1,160kg
ホイールベース: 2,400mm トランスミッション: 5MT/4AT
ブレーキ: ベンチレーテッドディスク タイヤ: F:195/60R14 R:205/60R14
エンジン型式: 3S-GE 種類: 水冷直列4気筒DOHC
出力: 165ps(121kW)/6800rpm 燃費(10・15モード) 11.6km
トルク: 19.5kg・m(191.2N・m)/4800rpm 燃料 無鉛プレミアムガソリン
TOYOTA MR2(SW20)Turbo 1989
車格: クーペ・スポーツ・スペシャリティ 乗車定員: 2名
全長×全幅×全高: 4170×1695×1240mm 重量: 1,240kg
ホイールベース: 2,400mm トランスミッション: 5MT
ブレーキ: ベンチレーテッドディスク タイヤ: F:195/60R14 R:205/60R14
エンジン型式: 3S-GTE 種類: 水冷直列4気筒DOHCターボ
出力: 225ps(165kW)/6000rpm 燃費(10・15モード) 10.4km
トルク: 31.0kg・m(304.0N・m)/3200rpm 燃料 無鉛プレミアムガソリン

ミッドシップの悪癖を修正せよ


しかし「MR2」初期型(Ⅰ型)のターボモデルにおいては、大幅に増加したパワー(凄まじいトラクション)に対して足周りが追いついていないことが、すぐに問題となりました。

真っすぐ走る分には問題ないのですが、リア寄りの重量配分による前輪の接地感不足と、安定志向のロングホイールベースからもたらされるハンドリングレスポンスの悪さがあり、アンダーステアからいきなりオーバーステアに挙動が変わりました。プロでも前兆が読めないのでコーナー中に舵角を修正する忙しさで「スポーツ走行では唐突にスピンする危険な車」と揶揄されていました。

特に初期型は前後異形とはいえ14インチを履いていた時代なので、雨の日に「何もない」交差点でスピンしているジャジャ馬なSW型をよく見かけたものです・・・ある意味では調教し甲斐のあるクルマなんですけどね。

なお、黄色いフォグとメッシュタイプのリアガーニッシュであれば、ある意味で超有名な「Ⅰ型」です。


1989 Ferrari 348ts

ただ、この挙動は当時の市販ミッドシップカー全般にいえたもので、フェラーリ「F40」や「348」等も同じようなセットになっていました。つまり、ビッグパワーを受け止めるセッティングのノウハウが業界全体に蓄積されていなかったのです。結果としてミッドシップの特性を活かした【ハンドリング】のクルマは少なく、「トラクションを活かした直線番長」であることが当たり前になっていたのでした。

実は、初代から完成度の高いとされたホンダNSX(NA1型:1990年~)でさえも、初期型はリアのセッティングが限界域でピーキーとされていていました。電子デバイスの進化などで、その克服が世界のミッドシップ・スーパースポーツのレベルを底上げをしたのは、また別の話で・・・


そんな状況を横目に、ローパワーであるにもかかわらず予想外にハンドリングの出来が良かったロードスターや、FFスポーツとしてほぼ無敵の地位を築いたシビックなど、テンロクのスポーツカーでも峠やミニサーキットでそこそこ走れてしまう状況がありました。

一方で、トヨタはこの前後に「スープラ」初期型のブレーキ容量問題や、「レビン/トレノ」のFF化など、ユーザーの不評を買うフルモデルチェンジが続きました。

「MR2」も単にパワーを上げただけとネガティブに捉えられ、優等生のトヨタはスポーツカーが分かっていない・・・なんて悪印象は「プリウス」や「ヴィッツ」などの環境性能車がメインになる2000年代まで尾を引くことになります。

しかし、「MR2」の状況はトヨタも十二分に分かっていて、1991年のマイナーチェンジ(通称Ⅱ型)では【フルモデルチェンジ】といえるほどの、通常ではありえない大幅な足周りの再設計(特にリアセクション)を行いました。15インチタイヤの採用と共にジオメトリーの再セッティングが敢行されたのです。Ⅰ型ではオプション設定もされていなかったことでLSDも、ビスカス式LSD(ターボのみ)が標準装備されたりと、たゆまぬ熟成を重ねたことでハンドリングの評価は一変するに至りました。


なお、この際に現代のほぼすべてのスポーツカーで採用されている「スポーツABS」が初めて「MR2」に搭載されています。開発には2012年にトヨタ「ハチロク(ZN6型)」を担当した多田哲哉氏が関わっているのも面白いエピソードですね。

更に、1993年のマイナーチェンジ(通称Ⅲ型)では動力系の強化がおこなわれ、ターボは245ps(+20)、NAは180ps(+15)とそれぞれパワーの向上を果たしました。※なお、ターボエンジン3S-GTE型は当時「セリカ」がWRCで活躍していたこともありノウハウが蓄積され、他車種では最終的に260psに至ります。

これを手掛けたのは80年代から「セリカ」を担当し、後に「MR-S(ZZW型)」のチーフエンジニアとなった中川齊(たかがわただし)氏。1992年から「セリカ」と同時に「MR2」の担当主査になっています。

しかし、この時期の日本はバブル景気が崩壊して経済状況が一変し、完全なお通夜状態に・・・


不景気となった世の中では、実用向きでないスペシャリティクーペやスポーツカーの需要が大幅に低下し、そのうえでミッドシップ車の趣味性の高さは販売台数に大打撃を与え、MR2は受注生産車扱いになってしまいました。

クルマでモテる時代は完全に終わり、残ったのは「スペック至上主義」のみ。これからの市場で生き残るには、トップクラスの速さを追求するか、新たな道を模索する必要が出てきたのです。

1995「MR-J」コンセプト


1995 TOYOTA MR-J Concept

バブルの陰りが見える直前の1992年、主査を引き継いだ中川齊氏を中心とした開発チームは「MR2」Ⅲ型マイナーチェンジ開発直後、今後のMRスポーツにおける可能性を探るための実験車にとりかかりました。

理由は単純で、ミッドシップの245ps(Ⅲ型)はハイパワーすぎてごく一部のユーザーにしか扱いきれず、「このままでは先がない」という危機感があったからでした。

「絶対的な速さ」を追求するとハイパワーエンジンが必要になって、結果的にクルマが重くなる。重くなるとボディや足周りを強化する必要がありさらに重くなる。そうなるともっとパワーが必要になる。


そんな「負のサイクル」から脱するために得た結論は「ロングホイールベースと軽量化」をおこなうことでした。ミッドシップ特有のコーナリング特性を活かしつつ、安定性を確保することが目的です。


そこで2,400mmあった「MR2」のホイールベースを2,500mm、2,550mmと伸ばしつつ、軽量化のためにオーバーハングはばっさり削り、エンジンはS型で最も軽量でパワーを使いきれる3S-FE型(140ps)に換装(ショーモデルでは4A-G改 170psとされている)、徹底的なボディの軽量化を行った実験車を2台作成し、結果1,100kg(-110㎏)までのダイエットに成功しました。


また、全体のサイズはひとまわり小型化。3,995mm×1,695mm×1,240mmと、いわばユーノスロードスターに近いサイズでありながら2+2シーターを実現しています。これはヒットしていたロードスターの不満点が「二人乗り」であったことに対する回答でもあります。

かつ、まだ市販された事例はまばらだった【電動ハードトップ】を備え、ニュージェネレーション・ミッドシップライトスポーツ「MR-J」として、1995年の東京モーターショーおよび、1996年のシカゴオートショーへコンセプトカーが参考出品されました。

AW SW MR-J MX-5
全長 3,950 4,170 3,995 3,970
全幅 1,665 1,695 1,695 1,675
全高 1,250 1,235 1,240 1,235
ホイールベース 2,320 2,400 2,550 2,265
重量 960 1,210 1,100 940


エクステリアデザインは6代目「セリカ(T200型)」を手掛けた稲田真一氏。そこへ元ミケロッティメンバーで構成されたイタリアのデザインスタジオFORUM R&Pが技術協力し、チェコンプというカロッツェリアが動体試作を手がけています。


ホイールベースを伸ばしてオーバーハングを切り詰めた結果、「MR2」よりもトランク容量は確保できず、リアシートのスペースをシートバックから取り外して「荷物置き場」として利用できる、割り切った設計になっています。このスペースはエンジンのクラッシャブルゾーンとしても機能するのですが、そうなるとリアシートに人が座っていたらぐしゃっとなってしまいますね・・・


従来トランクスペースとなる部分は【電動ハードトップ】のルーフ格納部分として割り切っており、ここに2分割されたハードルーフが格納されるようになっています。


イタリアの血が流れている情熱的なデザインではありますが、当時のフォーマル寄りなトヨタデザインには距離がありすぎるため、当時からこのまま市販化されることはないだろうとされていました。実際、サイドインテークなどは完全に見た目重視で、冷却性能は不足していたそうです。

ちなみに販売価格試算では350万〜400万圏内で「スープラ」に余裕で手が届きます。また「動力性能として満足できる結果を得ることができなかった」と後に回顧されており、同じ主査が手掛けて同時開発されていたスペシャリティクーペ・7代目「セリカ(T230系)」とキャラクターがかぶることも、「MR-J」の方向性を断念したと類推できます。

ハイパワーは「スープラ(FR)」に任せればいい、スペシャリティは「セリカ(FF)」が控えている。MRに残された道は何なのか、商品化に向けてよりコンセプトを明確化する必要がありました。

なお、このモーターショーではホンダ「SSM」(S2000)、マツダ「RX-01」(RX-8)も出品され、ハイパワーターボの道ではなく、レスポンシブルで環境対応も可能な自然吸気のスポーツカーを成立させる手段を他メーカーも模索していたのでした。

MR2を継承するために


一方、SW型「MR2」はⅣ型で終わるとされていましたが、最終的にはⅤ型まで熟成され、特に自然吸気モデルにはVVT-i(可変バルブタイミング、ホンダでいうVTEC)が搭載されています。

ここまで総じての「MR2」マイナーチェンジは外観の変更は最小限であり、あくまで「走る・曲がる・止まる」に徹したスポーツカーらしい進化を貫いたのでした。

特に最後期NAモデル(自然吸気モデル)の足周りは、トヨタ・マスタードライバーの故・成瀬弘氏も「世界一のストラット・サスペンション」と語っていた出来栄えで、実際にポルシェからも「安いクルマでなんでこれができるんだ?」と賛辞を受け、徹底研究されていたエピソードが残されています。


1993 TOYOTA MR Spyder

2代目「MR2(SW型)」は、初期型の悪癖を磨き上げたことにより解消し、特にⅤ型のNAモデル(自然吸気エンジン)は隠れた名車とされていますが・・・10年と長い販売期間にもかかわらず時代に翻弄され大きなヒットには繋がりませんでした。なお、これは他のスペシャリティカーも同様で、日産「シルビア」、ホンダ「プレリュード」、マツダ「MX-6」など、このクラスはほぼ全て厳しい状況になっていたのでした。


なお、激レアなバリエーションとしてトヨタテクノクラフトが製造したオープンモデル、「MRスパイダー」が92台存在しています。(Ⅲ型ベース74台、Ⅳ型ベース7台、V型ベース8台、試作車両3台、いずれもNA(自然吸気のみ))


一方で、次世代車MR車の開発は「MR2を残したい」というエンジニアのパッションにおいて、ライトウェイトスポーツとして「原点回帰」する道を歩むのでした。

MR2(SW型)1989-1999

総生産台数 114,559台
国内販売台数  68,769台

続く→

MR-S③ 原点回帰、ライトウェイトスポーツへ

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