MR-S⑤ 検証、なぜ売れなかったのか?

MR-S⑤ 検証、なぜ売れなかったのか?

この記事を読むのに必要な時間は約26分です。

本トピックはトヨタのライトウェイトスポーツ「MR-S」の小特集シリーズです。なお、トヨタでは当時「MR-S」を「ライトスポーツ」としていましたが、当サイトでは「ライトウェイトスポーツ」の表現に統一しています。

同じ【哲学】でも売れる・売れないの差は何だったのか?

・先代モデルより小さく、軽くしました。
・必要十分なパワーでよく、排気量は下げました。
・積載性は最小限でいいと割り切り、全力で軽量化しました

このスポーツカー開発におけるフィロソフィ【哲学】について、お気づきだと思いますが・・・近年まれにみるヒットとなった第4世代「ロードスター(ND型:2015~)」と、「MR-S(ZZW型:1999~)」で、実は全く同じことが語られていました。

加えるなら、軽スポーツカー「ビート」のキープコンセプトだったという点で、ホンダ「S660(JW5型:2015~2021)」も同じ割り切りを行っています。2020年の新型感染症による【趣味】に関わる需要が高まったとはいえ、「S660」は中古市場でプレミアがつくほどのヒットになったのは、記憶に新しいかと思います。

そこで状況を再認識するために、【2022年末】段階での関連車種の生産・販売データを並べてみました。

2022末時点 生産台数 国内販売台数 販売年数 国内販売年平均
MR2(AW) 160,000※ 40,826 6 6,804
MR2(SW) 114,559 68,769 10 6,877
MR-S(ZZW) 77,840 21,039 9 2,338
NBロードスター 274,200 30,713 8 3,839
NCロードスター 230,597 19,283 10 1,928
NDロードスター 234,055 51,448 8 6,431
S660 38,916 7 5,559

※MR2(AW)生産台数は概算

「MR-S」の商業的な観点では、国内販売において月販売目標が1,000台のところ、デビュー月の受注は平成不況の時期とはいえ2,500台と高調なスタートを切りました。しかし、製造年ベースの割合でみると初代および2代目「MR2」シリーズから「MR-S」の国内販売台数は1/3に落ち込み、不人気とされたライバルの「NBロードスター」ですら、「MR-S」の1.6倍売れていました。

驚くべきことは、バブル経済を挟んだとはいえ、「NDロードスター」や「S660」よりも「MR2」シリーズの方が売れていた事実です。昭和から平成初期の【スポーツカーブーム】はそれだけ凄まじいものでした。

そして、ほぼ同じ開発哲学を持った近代スポーツカー(ND、S660)と比較しても、明らかに「MR-S」は数が出ていないことが分かります。


もちろん「MR-S」はグローバルカーなので、世界市場に目を向けなければいけませんが・・・モデル末期の2006年には年間生産台数が1,000台程度に落ち込み、2007年(最終年)に至っては限定仕様(Vエディション・ファイナルバージョン)のみの販売となりました。

少し時間を戻すと、2005年には同じジャンルにおけるライバルとなる「NCロードスター」の販売がスタート。この時代は280馬力スポーツカーがどんどん死滅していく状況でしたが、初期の「NCロードスター」販売は好調でした。2005年~2007年・・・つまり「MR-S」後期型と同じ時期にNCロードスターは世界で約107,000台売れました。

一方「MR-S」は、次期モデルが提示されなかったからか、先がないクルマとなってしまい、ユーザー離れが加速していったと思われます。

なお、「MR-S」の販売9年間の総生産台数は77,840台。うち、マニュアルトランスミッションは39,720台(51%)、シーケンシャルマニュアルトランスミッション(SMT)は38,120台(49%)でした。当時のロードスターのマニュアル比率は約75%ですから、SMTはユーザーの敷居を広げる企画意図通りであったことが分かります。

余談ですが、日本国内において2000年当時のMT率は約10%、2010年代で1.6%、2020年代で1%になっています。

「MR-S」の不満とされたもの(概要)


「MR-S」はシーケンシャルマニュアルトランスミッション(SMT)において一部リコールがありましたが、トヨタクオリティが担保されているので、(経年劣化は別として)基本的には日本車らしく【信頼性が高い】クルマに仕上がっています。また、当時はオープンカーも一般化していたことから、幌車のセキュリティが不安視されることもありませんでした。

実際、クルマは所有してみないと分からないし、オーナーであれば不便を乗り越えて愛車にするので、当時も今も間違いなく根強いファンは存在しています。それでも商業的に厳しかったのは、いくつかの複合的な要因が類推されます。


そこで、ひとつだけ断言するとすれば「クルマの楽しさ」が伝わらず、当時の価値観に合致しなかったことです。当時の経済状況(時代背景)は前項でお伝えしたので、今回は当時の【価値観】について記憶をたどっていきたいと思います。

基本的に「不満」とされるものは、ファンからすれば「味」であり「こだわり」です。売れなかったことは現在の「希少性」に繋がっています。あくまで当時の価値観であることと、ライバルのロードスター乗りから見た視点になりますので、それをご留意いただければ助かります。

当時の経済事情についてはこちら
https://mx-5nb.com/2023/09/04/mr_s4/

日常で使うイメージが湧かなかった


軽量化のために開発段階から割り切っていたことではありますが、荷物は助手席に置けばいいと「トランク」を廃止したことは、日常性がスポイルされるイメージに直結しました。

もちろん、「MR-S」には驚くくらい隠しスペースが配されています。フロントフード(ボンネット)にあるラゲッジスペース(27リットル)、シート背面にあるラゲッジスペース(63リットル、オープン時は50リットル)、コンソールの各種カップホルダー、ドアポケット、ダッシュボードのグローブボックスとセンターボックス、そしてドアポケット・・・

当時のクルマにあった価値観のひとつに「ゴルフバックが入るか?」というものがありましたが、実はオープン状態であってもシート背面のラゲッジスペースに1セットを収めることができました。しかし、その荷物の出し入れをするにはシートを倒す必要があり、長物は当然として、助手席に人が乗っていたら普段使いでは手間が増えてしまいます。


そもそも独り身であれば関係ないし、それを「儀式」と笑ってくれる彼女であればいいのですが、一般的には「めんどくせー」となるでしょう。一般的には2ドアクーペのサブシート(+2席)ですら拒否反応があります。


仮にキーレスでフロントフード(ボンネット)が開けば、買い物袋を収納するくらいはできたかもしれませんが、重量配分の関係でスチールボンネットは重いし、そんな無駄な装備で価格を上げるのは、クルマのキャラクター(LWS)からしてナンセンスです。


ヨー慣性モーメント低減という設計思想が分かっていれば「ミッドシップのロマンだ!」となりますが、よほどのファンでないとそこまで踏み込むことはありません。

「日常を気軽に楽しむ」ことを目指したクルマなのに、普段使いがめんどくさいと思われるのは、ニッチなターゲットしか狙えなくなってしまいます。たかが「トランク」と些細なことかもしれませんが、普段使いがイメージできない大きな理由になるのです。


ちなみに、ベンチマークになった「NBロードスター」のトランクは144リットル、参考までに同じミッドシップスポーツの「MG-F」が209リットル。あえてニッチなユーザーを狙った「MR-S」と同じエンジンを積むミッドシップスポーツ・ロータス「エリーゼ」であっても幌を格納するためのトランクがあり、熱問題はあれど手荷物程度は入ります(115リットル)。

もちろんスポーツカー乗りであれば軽量化は大歓迎です。しかし、本気で走る時はトランクを空にしますし、買い物袋をドカドカぶち込める積載性は「日常域でも使える理由」に繋がるから、彼女や奥さんに言い訳ができます。つまり、あって困るものではないのです。ファッション感覚でオープンカーを買いにいったら、トヨタよりもマツダの方が荷物が乗った・・・それだけで天秤の重さは変わります。


しかも、デフレ時代の売れ筋は燃費カーもしくはコンパクトカー。「小さいクルマなのに、こんなに運べる!」とお得感満載のユーティリティ性が重視されるなか、趣味性が高く実用性がないイメージは「2台持ちしなければならない」となり、購入対象が絞られる結果に繋がりました。

なお、「NDロードスター」はゴルフバックを積むことを諦めて、軽量化のためにダッシュボートも廃止し、カップホルダーはオマケみたいなものです。「S660」もトランクなんて付いてないし、積載性はほぼゼロ。つまり、当時と現在との間で価値観の差が大きく現れている部分でしょう。

オーナー移行が望めなかった


先代「MR2」は日本一のトラクションを持って、ゼロヨンや信号レースでぶっちぎるためにパワーアップを続けてきました。ただ速いクルマならゴマンといるなか、あえて「ミッドシップ」というレーシングカーやスーパーカーが採用するニッチな選択肢を選び、そしてWRCで戦うクルマと同じエンジンを積んでいるロマン。

ガソリンとオイル、そしてタイヤの焼けた匂いが似合うその素性から、現存個体でもノーマル仕様は非常に少なく、ゴリゴリとチューニングをされたスポーツカーを街道チューナーはいかに速く、そしてカッコよく仕上げるか・・・先代「MR2」はそんな「部活感」が強かったモデルでした。


ただ、開発陣はそれに「先がない」と感じ、「MR-S」では意図的にハイパワー路線をやめました。

つまり【2リッターターボ245馬力(フルチューン630馬力)】から、【1.8リッター自然吸気140馬力】となった点で、先代オーナー達からは「俺たちのクルマじゃない」「別のクルマだな」とそっぽを向かれたことは明らかでした。スペック至上主義時代に、特に排気量ダウンは系列車種としてはありえない選択だったのです。


セクレタリーカーの持つファッション性や流行性を備えた初代「MR2」からは16年が経過しており、当時20代~30代だった初代オーナーの年齢は子育て真っ最中(中年世代)・・・先々代オーナーのセカンドカー需要として見込めたかといえば「MR-S」のデザインは新しく、モダン過ぎました(※この感覚は、自分がその年齢になれば分かります)。

だから「MR2」ではなくて「MR-S」なんだ!と名前が変わったのですが、宮下あきら先生の「男塾」(ハード路線)から高橋留美子先生の「うる星やつら」(ラブコメ路線)とでもいいますか、「Zガンダム」から「ZZガンダム」の路線変更といいますか(例えがアレでスイマセン・・・)、どちらもミッドシップという魅力は同じだけど、大幅な路線変更は明らかで、味方になるはずだった先代オーナー達に、クルマの良さを訴求することがなかなかできませんでした。

余談ですが、当時のトヨタは継続車種のモデルチェンジでユーザーの求めるものと若干ずれてしまう悪い癖がありました。同じようなパターンは「MR-S」と同じNBCプラットフォームの「bB(車格を下げた)」や「イスト(車格を上げた)」のフルモデルチェンジでもやらかしています。

デザインが気に入らなかった


近年こそキーンルックやハンマーヘッドシャークという共通テーマを用いているようにみえますが、トヨタは従来より意図的にデザイン統一を行なわず、それが伝統になっています。ただ、若干「時代性(トレンド)」に寄り添う傾向があり、デザイン需要にアタリ・ハズレが生じてしまったことも事実でした。


初代「MR2」はスーパーカールックのウェッジシェイプ、先代「MR2」はパワーサーフェスをテーマに、どちらもロングホイールベースを活かした伸びやかなスポーツクーペとなりました。

一方、新世代ミッドシップスポーツとなる「MR-S」は【他の何にも似ていないクルマ】を目指し、極力余計なスペースを削ぎ取って、彫刻的なモダンさを持つ【塊感】のあるシンメトリーデザインを採用しました。つまり、クラシックなスポーツカーラインから一気に近代化したのです。

そこに、当時のコンパクトカーが好んで採用していた大きいヘッドランプや(※目が大きいとフレンドリー寄り、逆に若く見える)、よく見ると有機的ではありますが、一見(いちげん)では直線的に見えるボディライン、そしてアフォーダブルな価格自体にもケチが付き「価格に応じた安いデザイン」と捉えるアンチ勢が生まれました。


特に、先に市場投入されたポルシェ「ボクスター(986型:1996~)」とは、ミッドシップスポーツであることとシンメトリーなデザイン要素が重なり、「MR-S」はポルシェをぎゅっと固めて「箱」にしたようにみえたことから「プアマンズポルシェ」と国内外のメディアに書かれ、一部でその印象が定着してしまいました。


なお、当時のスポーツカーデザインにおいて評価が高かったのは、従来型のモチーフを上手く引き継いだ「フェアレディZ(Z32)」「RX-7(FD)」でした。

「MR-S」は軽量化のためにオーバーハングをバッサリ削ったことから「伸びやかさ」を表現するのが厳しかったとはいえ、先代までの「MR2」デザインアイコンを継いでいたら、話は違ったかも知れません。結局、エンブレムの【鷹のモチーフ】に気づく人なんて、ファンしかいなかったのです。

つまり、見たことのないモノに対する拒否反応だったので、デビューから20年以上経った今の目で見れば「見慣れて」いるので、かなり印象が違ってくると思われます。


実は、デタッチャブルハードトップ(DHT)を付けると驚くくらいセクシーに変貌するのですが、そもそもDHTのニード自体が減退していたため街で目にする機会が少なく、正当な評価になかなか至りませんでした。

「80点主義」の曲解(アンチトヨタ)


近年は「もっといいクルマをつくろう」というフレーズを持って世界有数のカーガイ企業になり、ユーザーから圧倒的な信頼を勝ち得ているトヨタ。これは2009年以降の豊田章男社長(現会長)がおこなった経営改革の賜物です。

しかし、2000年代前後のトヨタは保守的な経営イメージがありました。

それは、「クラウン」や「プリウス」のような伝統や革新に満ちたブランドピラーを持つ一方で、営業色の濃すぎるラインナップが悪目立ちをしていたからでした。

ステーションワゴンのスバル「レガシィ」に対して「カルディナ」、上級ミニバンの日産「エルグランド」が売れれば「アルファード」、露骨といわれたホンダ「ストリーム」に対して投入された「ウィッシュ」。もちろんマツダ「ロードスター」に対して「MR-S」。しかも、基本的に後出しジャンケンなイメージのトヨタ車の方が出来はいいし、売れるのです・・・

マーケットは決まっているパイを取り合うので、ある程度のキャラ被りは仕方ないとしても、どうしても「オリジナリティ」や「メジャーを嫌う」層からは拒否反応が生まれ、特に個性を主張するスポーツカー勢にはその空気が濃くありました。

「他社が売れたらその市場を掻っ攫う」「おじさんのクルマをつくる会社」「俺たち(若者)は関係ない」「儲け主義」・・・ひどい言葉の羅列ですが、こんなイメージを集約するものがあるとすれば、トヨタ「80点主義」という言葉がありました。でも、それは曲解されていて・・・

今だに「完璧じゃなくてもいいので、安くてそこそこで壊れないクルマを作って、市場を制圧しようぜ」と間違った解釈をしている方がいますし、メディア記事でも「当時のトヨタは・・・」なんて内容が散見されます。しかし、これは大きな間違いです。

本当の「80点主義」は、初代「カローラ(1966年)」開発時に掲げられた、「80点主義+α」という考え方です。

80点主義とは、「100点である必要がないもの」という意味ではなく、実はトータルバランスに優れ、さらに90点以上の突出した性能も持ち合わせていることを目指した言葉。その結果、長く乗り続けることができるという、「実用車作りの神髄」を表わした言葉である。

参考:トヨタイムズ→https://toyotatimes.jp/report/corolla_50million/164.html


ただ、90年~00年代にかけて、熟成がままならないまま投入された初期の「MR2(SW)」「スープラ(A80)」や、レビン・トレノをオワコン化してハチロクの再来といわれたのに皆がずっこけた「アルテッツァ」、ハードなWRCベースマシンから一転してアメリカン・スペシャリティに変貌した「セリカ」などが続いてしまいました。

すると、スポーツカーファンの界隈では「やはり80点主義」じゃないか」「トヨタはスポーツカーが分かってない、100点じゃないものを平気で出す」というイメージに繋がっていました。トヨタに限らずクルマの初期型にはネガ要素があるし、年次改良でそれを解消してどんどん良くなっていくモノなんですけどね・・・


「MR-S」に話を戻すと、曲解された「80点主義」のままにレビュアーは「クルマ作りが分かっていない」「ワクワクしない」と平気で書く始末だったので、価値観が変わった現在ではどうせ「あの頃は良かった」と書かれるでしょう。

忖度しない意見は望むべきですが、そんな一方的な情報発信を「ロードスター(マツダ)までつぶしに行くのがトヨタらしい」とアンチの格好な餌になっていました。

「日常使いできない」「既存ユーザーに訴求できない」「デザインが嫌い」の元を辿ると、結局この話に集約されます。「乗ればわかる」タイプのクルマなのに価値観の相違というか、情報が遮断されることが多かったことが「MR-S」の商業的に厳しくなったことに繋がったと、個人的に類推しています。

フルモデルチェンジの火は途絶えた


負のイメージを脱することができなかった「MR-S」は次期型が提示されることはなく、その火は2007年を持って消えてしまいました。

クルマの開発には4年かかるとされていますが、途中で2代目「ヴィッツ」がBプラットフォーム(2005年~)に刷新されたり、パワーユニット「ZZ-FE型」エンジンが「2ZR-FE型(2006年~)」にアップデートされていることから、次期「MR-S」の検討機会は少なからず存在したはずです。

しかし、2004年(MR-S 後期型)の段階で生産台数が厳しかったことは明白であり、骨のあるチーフエンジニアだった中川齊氏も2006年時点で既に退職となっていました。なお、「MR-S」と同じパワートレインを持ち、中川氏が担当していた「セリカ」も、2006年4月に7代36年の歴史が終了となっています。


ちなみに、「MR-S」「セリカ」のエンジンを積んでいたロータスエリーゼは、この時期に2ZRエンジンへアップデートされています。もし、トヨタでキープコンセプトのミッドシップ・ライトウェイトスポーツを続けていたら、4代目「MR2(MR-S)」は型式命名ルールから鑑みると【ZRW40】だったのでしょうか。


そして、トヨタスポーツカーは2012年の「ハチロク」デビューまで、5年間ランナップから消滅をしました。

その「ハチロク」では、社内で途絶えてしまったスポーツカー開発のノウハウを再構築するのに苦労し、担当チーフエンジニアの多田氏は「かわいそうに」「気の毒に」と社内で目が向けられていたのは、また別の話で・・・

余談ですが、トヨタ「ハチロク」は開発報道がされるたび「FR-S」というペットネームになると噂されていました。国内名は最終的にAE86型をリスペクトする形になりましたが、北米では「MR-S」と同じ市場(ジェネレーションY)向けの「Scion(サイオン)」ブランドにおいて「FR-S」の名が付けられました。

「MR-S」アーカイブ・まとめ

ハイパワー化によりユーザーの手に負えなくなった「MR2」の継続は、商業的な観点からも厳しかった。でも、新しいスポーツカーの開発自体は許されたことから、コンセプトカー「MR-J」を作ってみて、次世代のミッドシップスポーツにおける可能性を探った。でも、このままでは350万~400万のクルマになってしまう。ハイパワーはスープラに任せればいい。スペシャリティにはセリカがある。

若者に気軽に乗ってもらい、クルマが本当に楽しいものだと伝えるためには、200万を切るエントリースポーツカーの存在が大切になってくる。だから、馬力を追うのはやめて必要十分なものでいいし、徹底的な軽量化で【素性】から楽しいものを作りあげる。だからオープンカーにして、トランクはきっぱり諦めた。

親を真似しているだけでは、結局は親を超えることはできない。

ひとことで言うならニュージェネレーション。21世紀の若者のクルマであり、それに応える発展性を持ったクルマ。だから一番最初のモノはプリミティブにしたいと思っていた。軽くて、扱いやすくて、価格も安くて、という分野も追及した。

実は、インパクトという部分は捨てていたところもあったのだが、それが功を奏したと思っている。イメージとしては今までのMR2の延長ではないというところを表現できたと思っている。そのために名前も変えた。

「MR-S」チーフエンジニア 中川齊氏(メディアインタビューより引用)


かつて【スポーツカーがモテる】時代に誕生した初代「MR2」をベンチマークに、同じ市場を開拓する名目で開発許可を得た「NAロードスター」。そして、スポーツカーの火が消える前に「若者向け」のライトウェイトスポーツとして、トヨタでは早すぎる登場をした「MR-S」。そして、そのライバルになった「NBロードスター」。

「MR-S」は乗ればわかるタイプの、感性性能を目指したクルマでしたが、先行したネガティブイメージが尾を引いて、なかなか日の目を見ることはありませんでした。しかし、中川氏のインタビューがもっともっと浸透していたら・・・と思うと、残念でなりません。

ロードスターシリーズがラッキーだったのは、最初に出たNAロードスターが爆発的に売れてたことと、それに次ぐシリーズが「変えないために、変える」とキープコンセプトの【歴史】を重ねたことでした。

特にNDロードスターは、デビュー前に1年間かけて「排気量と馬力を下げたのは、ロースペック化ではなく軽量化である」と唱え、それが多様性を認める現在の価値観と合致して、新たなユーザーに恵まれることになりました。

つまり、ライトウェイトスポーツとして【哲学】や【信念】を持ったキャラクターチェンジだったのに、その浸透有無が「MR-S」と「ロードスター」の分水嶺になったのではないでしょうか。


歴史にIFはありませんし、現実的に全く同じクルマを販売することはできませんが・・・仮に「MR-S」が「NDロードスター」や「S660」と同じ2015年以降まで続いていたら・・・現在ガチンコでスポーツカーを作っている【今のトヨタ】であれば、かなり多くのファンから歓迎され、よりクルマの魅力が磨かれていったのではないでしょうか。


今回の「MR-S」を深堀するシリーズは、こういった資料がネットに残されていない現状をみて、【モデル継続していれば話は変わったかもしれないな】・・・という思いから、アーカイブを作成しました。実際、今のトヨタの考えるミッドシップライトウェイトスポーツ「GR MR-S」とかあったら、ワクワクしませんか!?

そんな妄想とともに、改めて、ロードスターと同じ時期にしのぎを削った偉大なライバル「MR-S」に、敬意を表したいと思います。

補足:トヨタミッドシップスポーツのDNA


2010 Lexus LFA
2005年のコンセプトカー「LF-A(Lexus Future Advance)」から始まるヤマハ製パワーユニットを備えるレクサス「LFA」は、幾度かのショーモデルを経て2010年に限定500台で販売されました。奇しくも、コンセプトカー「MR-J」でいったん検討したスーパースポーツの道をレクサスブランドで体現したモデルになります。「LFA」の味付けを行ったトヨタマスタードライバー・成瀬弘氏は、初代「MR2」「MR-S」の担当もされていました。


2021 TOYOTA SPORT EV Concept
2021年12月14日にトヨタが開催した「バッテリーEV戦略に関する説明会」の場において突如発表された16台のEVコンセプトカーのなかに、GRバッジを付けたミッドシップスポーツが提示されました。その姿、まさに「MR2」シリーズを彷彿とさせるもので、「ハチロク」「スープラ」がブランド復活し、さらに「セリカ」も示唆されていることからミッドシップスポーツの期待値が上がっています。

また、噂レベルではありますがトヨタ・ダイハツ・スズキの協業によりミッドシップシャシーが開発中と報道されており(おそらく商業車)、それをベースにしたミッドシップ・コンパクトスポーツの登場が期待されています。トヨタブランドを持って「MR-S」の復活に繋げて欲しいところです。

さらに、ポルシェもしくはロータスと協業して、ハイパワー路線の「MR2」復活を期待するメディア記事が定期的に発信されています。どれも憶測の域を出ないものではありますが、皆トヨタのミッドシップ・スポーツが好きだったんですね!

MR-SのDNA


デザイン開発チーフをされた永津直樹氏は「ポルテ(2012~)」や東京五輪でも活躍した「C+pod」を手掛けています。

エクステリア担当の藤原裕司氏は現行型「プリウス」を担当されています。

同じくエクステリアを担当された金子唯雄氏はスズキへ移り、「キザシ」「ワゴンR(2017~)」を担当されています。

もちろん、クルマのテーマによってガラッと違うデザインになりますが、なんとなく「MR-S」で感じた先進性やフレンドリーさが現在も続いていて、嬉しくなってしまいますよね!

そうはいってもスポーツカーは乗らなければわからない。
「MR-S」乗り味のレポートは下記のリンクをご参照ください。

トヨタ MR-S最終型(ZZW30)試乗記

ロードスタークルーカテゴリの最新記事