打倒ロードスター「MGF」

打倒ロードスター「MGF」

この記事を読むのに必要な時間は約22分です。


「素直にヨーロッパの自動車メーカーたちは、マツダが本質的魅力に満ちたスポーツカーを作ったことを認めざるを得ない。これを上回るためには、それにない魅力を持たせる、新たな要素を付け加えなければならなくなった。(ニック・フェロー:MGFプロジェクトリーダー)」

1989年に発売されたMX-5/ミアータの衝撃により、英国の自動車メーカー・ローバーでは所有しているブリティッシュ・ライトウェイトスポーツの老舗ブランド「MG(エムジー)」を復活させる【フェニックスプログラム】が発足されました。プロジェクトの目的はMG製スポーツカーの伝統を引き継ぐ、Fナンバーのクルマ「MGF」の完成です。

MGFがミッドシップになった理由


MGFのミッドシップレイアウトは「デザインとエンジニアリングの観点から導き出された」とアナウンスされましたが、要は(スポーツカーとしてオーソドックスな)FR駆動プラットフォームを新規開発する原資が得られなかったことでもあります。どうしても後輪駆動のスポーツカーを目指すのならば、ミッドシップしか選択肢がなかったのです。

このあたりの背景を探っていくと、当時は蜜月関係とまでいわれていたローバーとホンダの関係が瓦解したあたりに行き着きます。


1993 Honda Crossroad(Rover OEM)

イギリス公社だったローバーは悪夢の低業績を乗り切るため、1979年からホンダと技術提携を開始。90年代初頭まで多くの支援を受けており、ホンダもローバーのOEM供給を受けていました。

結果、大幅な品質向上およびコスト削減が実現し、さらには共同開発車両の開発・生産にまで関係は実っていきました。結果、ホンダがローバーの株式20%を取得するに至り、世間ではホンダ傘下になる直前とされていました。しかし、水面下でローバーはBMWと交渉を行っていました。結果、1994年にローバーの親会社であるBAe(British Aerospace)はホンダとの提携を解消し、ローバーグループ全体がBMWに売却されました。

電撃的な関係解消の政治劇は横に置いたとしても、当時ホンダからエンジン供給を受けていたローバーは自社開発のパワーユニット(のちのKシリーズ)を最優先する必要があったのでした。そこで、売れるかどうかわからないスポーツカーのために、新たなFRプラットフォームを作ることは経営的にも現実的ではありませんでした。


1989 Lotus Elan(2GN)

もちろん、MGFの検討段階では「FF案」「FR案」もあり、スタイリングもリークされていましたが、MX-5とほぼ同じ時期に登場した2代目「ロータスエラン」の失敗をみたことで、FF案は完全になくなりました。(※当時の価値観では、本物のスポーツカーは「後輪駆動」という勢力の声が大きかった)


そこで、シャシーベースに選ばれたのがスーパー・ミニカー(Bセグメント)として開発された「ローバー100(3代目メトロ)」でした。フィアットX1/9やトヨタMR2と同じく、このクルマのFFシャシーにおける進行方向を前後逆することでミッドシップレイアウトを実現したのです。

なお、ホンダとの関係解消はローバーの一方的な裏切りにみえましたが、その実情はお互い様だったようです。大衆車市場を中心に展開していたホンダよりも、BMWのプレミアムブランド路線を株主(BAe)が好んだことや、尻に火が点いていたローバーの財政支援にホンダは慎重姿勢だったとされています。また、自動車文化の中心とされる欧州車メーカーが東洋の新参メーカーに買収されるのは、プライドが許さなかったこともあるでしょう。

余談ですが、BMWは傘下となったローバーはラインナップの刷新を試みますが、文化的な違いや経営上の課題により大失敗し(暗黒時代とされています)、「ミニ」「トライアンフ」のブランド権利のみを手元に残して、他の英国車ブランドは細切れにして他社に売却しています。えぐい・・・

MGFのメカニズム


1995 MG MGF(Mk.1)

MG MGF mk.1(RD18K)
車格: オープン 乗車定員: 2名
全長×全幅×全高: 3915×1640×1260mm 重量: 1090kg
ホイールベース: 2,330 mm トランスミッション: 5MT
ブレーキ: ベンチレーテッドディスク(F)
ディスク(R)
タイヤ: 185/55VR15(F)
205/50VR15(R)
エンジン型式: 18K 種類: 直列4気筒DOHC16バルブ
出力: 120ps(88kW)/5500rpm 燃費(10・15モード) 11.4km/l
トルク: 16.8kg・m/3000rpm 燃料 無鉛プレミアムガソリン


エンジン
MGFのミッドシップに横置きされる4気筒1.8Lエンジンは、89年に登場したローバー100などに搭載された「Kシリーズ」の最新型でした。ノーマルユニット(標準車)のスペックは120ps/5500rpm:16.8kgm/3000rpmであり、同時期にマイナーチェンジを果たしていたユーノスロードスター(NA8C)に近しいスペックとなっています。

さらに、高性能版にはVVC版(バリアブル・バルブ・コントロール)を搭載した1.8Lエンジンも用意されました。こちらはローバー独自の可変バルブタイミング機構を備えたもので145ps/7000rpm:17.7kgm/4500rpmといったスペックです。ただし、可変バルブといってもホンダVTECのようにふたつのカムを切り替えるものではなく、4000回転以上で吸気カムの開閉をコントロールするシステムとなっています。また、こちらは98年にデビューするマツダロードスター(NB8C)エンジンのスペックが近しく、マツダがベンチマークのひとつにしていたと類推できます。

最高速度は標準車は195km/h、VVC仕様では210km/h。トランスミッションは5MTが基本で、後のマイナーチェンジにおいて6速CVT(STEPTRONIC)版が追加されました。

Kシリーズユニットは総合的には軽量ハイパワーの優れたエンジンですが、初期にはヘッドガスケットのトラブルが多発しました。これはミッドシップ特有のレイアウトによる「シリンダーヘッド周りに発生するエアポケット」が原因であり、オーバーヒート対策のため水温管理が重要とされていました。また、部品単位でも「VVCエンジンはカムシャフトを止めているねじの定期的な増し締め」が義務付けられたりと、信頼性の担保に時間を要しました。

一方で、英国のバックヤードビルダーでは数多く愛用された実績もあり、初代ロータス・エリーゼやケータハム・セブン等にも採用された純英国製エンジンでした。


シャシー
ベースとなったローバー100に由来して、ボディシェルのねじり剛性は3ドア・ハッチバックに相当する、オープンカーとしては異例に強固なボディに仕上がっています。当時のレギュレーションなのでロールバーの義務はありませんが、EC基準のクラッシュテストは楽にクリアし、55km/hのオフセット衝突でも基準値を上回る性能を持っています。

シェル生産はランドローバーやジャガー、アストンマーチンも手掛けたメイフラワー・モーターパネルズが行い、その後バーミンガムのロングブリッジ工場で組付けが行われました。


サスペンション
足周りは前後ダブルウィッシュボーン式で、サブフレームを介してボディにマウントされます。独自の機構としてはコイルスプリングではなく「ハイドラガス・システム」の採用が挙げられます。このメカは各輪毎に液体(水、アルコール、防腐剤)と窒素ガスが密封されるチャンバー室を設けるもので、この「水とガス」のアブソーバーにより積載物に左右されることなく車両姿勢の確保が可能となり、乗り心地とスポーツドライビングに成功しています。

なお、このユニットは車両と同じくらいの寿命を持つとメーカーが公言していますが、定期的な車高調整が必要な作業になっています。

MGFのデザイン


エクステリア
チーフデザイナーはジェリーマクガバン。同氏はクライスラー、プジョーを経て82年からオースチン・ローバーグループのロイ・アックス(デザインディレクター)へ就き、MGブランドではコンセプトカー「MG-EX(MGE)」も手掛けています。なお、MG所属の後はフォードを経て、現在はジャガー・ランドローバーの取締役となりデザインの全体指揮を行っています。

そんな彼が手掛けたMGFのテーマはブリティッシュらしさ。これを「タイムレス(永遠性)、力強さ、個性」ととらえ、MGFにおいては当時トレンドだったエッジの効いた造形ではなく、旧来から継がれるなだらかなボディ、オーガニックフォームを採用しました。

また、意図してミッドシップではありながらも「エンジンがどこに入っているか分からない」形状を狙いました。さらに、ダミーダクトなどの小手先の小細工は全て排除、デザインが全て機能に繋がる美しさを目指しました。これは偉大なるイギリスの名車(ジャガーXJ6、Eタイプ)がシンプルな造形でも成立していることをリスペクトしたものです。


ただしMGであることを主張するために、グリル中央に冠するオクタゴンエンブレムは外せない要件となりました。また、ミッドシップはリアデッキが必然的に高くなるので、フェンダーからボンネットの繋がりにおいてバランスを取るために、コンセプトカー段階のスラント形状を廃止て、結果トラクタブルヘッドライトも不採用としました。

一方で、従来のMGBと比較して全長が短く、幅とホイールベースが広かったことから、オクタゴンエンブレムがなければ「ホンダ・ビート」の大型版にみえる(特にリアビュー)という評価も、当時は少なからずありました。


ボディカラー
標準カラーはソリッドの白(ホワイト・ダイヤモンド)、赤(フレームレッド)の2色。メタリックカラーは特別色(+4万円)として黒(チャコール・ブラック)、深緑(ブリティッシュ・レーシング・グリーン)、マルーン(ボルケイノ)、青(アマランス)の4色が用意されました。いちいち色名がカッコいいのは流石ですね。なお、後期型(Mk.2 )まで含めると全18色のカラーラインナップがありました。


ソフトトップ/ハードトップ  
アクリル繊維製の幌は外注デザインで、ピニンファリーナが担当をしています。トップを上げるのに30秒、下げるのは1分程度かかり、スクリーンはビニール製となっています(※Mk.2以降はガラススクリーン)。


特徴的なのは畳んだ姿で、ミッドシップのエンジンルームではベルトランの内側に幌が収納できないことを逆手に取って、格納時には前進感が強調されるような形状を取っています。つまり、屋根を空けている方が「速そう」にデザインされているのです。


また、デビュー段階から幌のイメージとほぼ変わらない秀逸な形状のハードトップも用意されました。当初は下半分(ボディカラー)の印象を弱めるという理由で黒色しかありませんでしたが、のちに主要ボディカラーがバリエーション入りしました。


インテリア&ユーティリティ
インテリアのデザインテーマは「デュアル・コックピット」。センターコンソールから左右対称(シンメトリーモチーフ)になっており、中央にはMGの証であるオクタゴンエンブレムが造形されています。企画当初は既存車種の流用を前提としていましたが、デザインチームが「MGの個性を表現できない」と猛反対し、流用はスイッチの共用程度になりました。

シートは標準車でファブリック、VVC(高性能版)ではレザーとなります。センターコンソール後端(後部バルクヘッド)に備わるグローブボックスは、空けるとカップホルダーになっているオープンカーらしいユーティリティを持っています。


フロントフード内はスペアタイヤが収まるためほぼスペースはありませんが、リアトランクは縦置き(縦積み)でゴルフバッグがふたつ入るほど、見た目よりも広い積載性を確保しています。これは、リアオーバーハングをほぼ全てラゲッジルームにしているからです。ただしエンジンの熱をモロに受けるので、ナマモノは避けたほうが賢明といえるでしょう。

MGF、当時の評価


カタログスペックではパワー不足にみえますが、ボディの軽さを活かしたライトウェイトスポーツらしく軽快に走れるのが大きな特徴です。

Kシリーズユニットは低回転から立ち上がることと、トルクフルであるため街乗りであれば2000回転を目途にしたシフトアップでも事足りるし、レスポンスがいいため早めのシフト操作を求められます。もちろん本気で踏めば元気に走ってくれるし、それが結果として軽快感に繋がっているのです。何よりも従来のMGを知る方からすれば、総じて「速いクルマ」であるとレビューされていました。


前後重量配分は45:55でミッドシップらしいトラクションが効く一方で、コーナーでは破綻が起きないように安定志向(弱アンダー)寄りのセットとなっています。ハイドラガス・ユニットを採用したサスペンションはスポーツカーとしては異例のソフトさにもかかわらず、速度を問わずフラットな姿勢を維持する足回りは並みのセダンよりも快適であると高評価でした。スポンジーなペダルフィールではありつつも、制動力は必要にして十分とされました。

結果、ビギナーにも安全に楽しめてしまうことに物足りなさはありつつも、期待以上に完成度の高いスポーツカーであることは明白であり、ワインディングロードの楽しさは折り紙付きとされました。「スポーツカーの入門書」とされたMGの血統は、MGFにも引き継がれたのです。


なお、開発段階からの不安をよそに日本国内デビューはポジティブに捉えられ、1995-96のCOTY(第16回 日本カーオブザイヤー)ではアルファロメオ・スパイダーやクーペ・フィアット、メルセデスEクラスなどを打ちやぶり、インポート・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。


余談ですが、当時の週刊少年マガジン読者であれば名作「サイコメトラーEIJI(原作:安童夕馬 作画:朝基まさし)」でヒロインの美人刑事、志摩亮子さんが愛車としてMGFを駆っていたので、記憶に残っているのではないでしょうか。

マイナーチェンジと生産台数


2000年にMGFはマイナーチェンジをおこない、通称「Mk.2」となりました。

トピックとしては、Kシリーズユニットの1.6L版が追加されたことや、VVC版は160hp(Trophy160)へパワーアップを行いました。何よりも大きなトピックは、3年もしくは10万キロまでのエンジン保証がついており、修理代への懸念が払しょくされたことです。また、電動アシストステアリング(EPAS)が改良され、ガソリンタンクが二重壁構造となるなど、初期型(Mk.1)の問題点も潰されています。


また、CVT版も追加されていたり、ピラーのボディ同色化や幌スクリーンがガラス化していたりと細やかな商品改良がおこなわれました。しかし、クルマ自体の高評価はあれども、MGローバーのお家騒動もあったことから日本国内へのマイナーチェンジモデルの正規輸入は行われませんでした。なお、カラーバリエーションは最終的に18色にまで至り、国内販売価格は239万~292万円でした。

MGFは英国製で最も売れたオープン2シーターとして計77,269台が製造され、一旦その歴史の幕を閉じることになりました。

フルモデルチェンジ?「MG-TF」


2002年、ローバーの身売り先だったBMWが英国ブランドの経営に失敗、持っていた資産の切り売りを行ったことで英国投資グループ・フェニックス・コンソーシアムがローバー部門を購入、新たにMGローバー(MG Rover Group)が設立されました。

同社はスタート段階から資本不足、経営陣の年金不正、工場稼働率の悪化などのネガティブ情報がマスコミに盛んに報道される厳しいスタートとなりました。新型車の開発力を補うためインドのタタ・モーターズと提携、その後、中国の光輝自動車と資本提携を行っていきました。


そんなお家騒動の中、MGブランドの担い手として型式も同じであることからMGFの実質マイナーチェンジモデルとなるのが、同年にデビューした「MG-TF」です。この”TF”というネーミングは、50年代の名車「TFミジェット」にちなんで名付けられたものです。

MG-TFはエクステリアの大幅な変更をおこなうだけではなく、MGFの目玉とされたハイドラガス・ユニットを廃止して従来型のコイルスプリング型サスペンションを採用、高出力のエンジンやボディ剛性の向上など、MGFの持っていた素性をさらに磨き込んだモデルになりました。グレード構成はエンジン出力に合わせたものになります。

立ち位置としてはNAロードスターに対するNBロードスターに近しい存在になります。国内販売価格はMGFから大きく上がり295万円~373万円になりました。


2002 MG TF

MG TF(RD18K)
車格: オープン 乗車定員: 2名
全長×全幅×全高: 3950×1630×1260mm 重量: -kg
ホイールベース: 2,380 mm トランスミッション: 5MT
ブレーキ: ベンチレーテッドディスク(F)
ディスク(R)
タイヤ: 195/45 ZR16(F)
215/40 ZR16(R)
エンジン型式: K 種類: 直列4気筒DOHC16バルブ
出力: 160ps(118kW)/6900rpm 燃費(10・15モード) 9.5km/l
トルク: 17.7kg・m/4700rpm 燃料 無鉛プレミアムガソリン


生産中止から再開へ
企業としての延命を健闘しつつも、2005年4月にMGローバーが倒産をむかえてしまいました。

イギリスでは5万人以上の会員を持つMGオーナーズクラブが政府に対して援助を求めるデモをおこないましたが、MGのクルマは有無をいわさず生産中止となりました。2002年から2005年まで39,249台のMG-TFが製造されていたので、企業規模や体制の割には「売れていない」わけではありませんでした。


そして、紆余曲折あり「MG」のブラントは最終的に中国の南京汽車(NAC)が1億ポンド(約200億円)で経営権を獲得しました。なお、ローバーの商標はフォードが獲得することになります。

南京汽車(NAC)はMGが製造していた車両をリファインして販売を再開し、2007年には本家イギリスのロングブリッジにおいてMG-TFの再生産を決定します。同年末に南京汽車は上海汽車(SAIC)に買収され、翌2008年にMGFはマイナーチェンジが行われ、Kシリーズユニットから環境規制強化に合わせて改良したNシリーズユニット(エンジン)へ載せ替えられました。

その後、細々と生産と停止を繰り返していましたが、中国資本となったMGブランドのイメージは急落が激しく、2011年に需要不足と部品供給を理由に生産終了が発表されました。MGFシリーズは1995年のデビューから2011年まで16年間の生涯をついに終えたのです。

中国資本での生産総数は906台、日本市場には正規導入されませんでした。そして、今後のMGブランドにおける方向性により、MGFシリーズの継続車種が作られることはありませんでした。

MGFの最終レビューと、MGブランドの現在


MGFシリーズの最終的な評価は以下の通りです。製造母体の経営状況が幾度も変わった混乱のおかげで大幅なアップデートは行われず、結果として素性を磨き込む道しかなく、15年という年月は「好きな人はハマる」タイプのクルマに仕上がっていきました。

そしてMGFの終了は、真の意味で本家となるブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーが終焉を迎えた瞬間でした。

長所
・ロードテストでは高スコアを獲得した実績
・スタイリング、ハンドリング、ブランドの伝統
・美しくて手頃な価格
・装備が充実していてコンパクト
・ハンドリング、性能、実用性でライバル(MX-5やZ3)に匹敵する

短所
・時代遅れの内装、ばらつきのある製造品質、信頼性の低さ
・運転姿勢とステアリングが、スポーティではない
・マツダMX-5よりも高価なのが気に入らない
・1995年以来ほとんど変わっていないため、古い車と間違われる
・ディーラーサポートがライバル(日本やドイツ)に比べると劣る

現在、MGは上海汽車(SAIC)傘下において、タイやインドなどの新興国市場を開拓する役割として国際主力ブランドと指定しており、2019年以来MGは中国最大の単一ブランド自動車輸出業者と成長しています。


2024 MG Cyberster

2023年には売上高の88%が中国国外のものとなり、親会社であるSAICがMGブランドのために設計したクルマを販売する以外に、グループ貴下の荣威(Roewe)、大通(Maxus)、上汽通用五菱(GM-Wuling)などのリバッジ車両を扱い、特にSUVやEVなどの新たなカテゴリーを担うブランドとなっています。

また、2024年には70年代のMGスポーツカーをリスペクトしたとされる「サイバースター」を発表しています。イギリスの伝統を現代風に解釈したEVスポーツカーとして、300ps級のEVスーパースポーツとしては破格の5万5000ポンド(約1000万円)とアナウンスされました。

プレミアム路線として舵を切り直したMGブランドは、復活を果たしたのです。


それ自体は喜ばしいことですが、ライトウェイトスポーツの本家が、意地とプライドを持ってロードスターと競っていた時代を鑑みると、少し寂しいものがあります。

立場を置き換えてみると、仮にNA、NBロードスターと続いたクルマがいったん終了し、数年のちに300psのスーパースポーツをもって「ミアータの哲学を継承した」なんてプロモーションをされたら・・・(そういえば、シビックもMR2もそんな感じですね)

先代のMGBは1962年~80年まで18年、MGFは1995年~11年まで15年。スポーツカーは熟成を重ねることでより研ぎ澄まされていきますが、MGのライトウェイトスポーツは、本当の意味で英国由来のスピリットを持っていた最後のクルマになってしまいました。

偉大なる先輩と、そしてライバルの雄姿を、改めてここに称えたいと思います。

Maker Brand Gen Year Sales quantity Total
MG MGF mk.1 1995- 77,269 117,424
mk.2 2000-
TF mk.1 2002-05 39,249
mk.2 2007-11 906

関連情報→

NBロードスターの競合車(ライバルたち)

ロードスタークルーカテゴリの最新記事