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マツダ・ロードスターの歴史を語る上で、決して避けては通れない、甘く、そして少しほろ苦い「IF(もしも)」の物語があります。それは、オープンカーの代名詞であるこのクルマを、あえて「固定ルーフのクーペにする」という夢の系譜です。
そもそもクルマにおける「クーペ(Coupe)」とは、フランス語で「切られた」を意味し、二人乗りの「箱馬車」が語源になっています。現在では主に、流麗なルーフラインを持つ2枚ドアのスポーティな乗用車を指す言葉として定着しています。
ロードスターは初代(NA)の開発当初から「オープン専用設計」としてシャシーが作られました。しかし、オプションの「脱着式ハードトップ(DHT)」ではなく、ボディと一体化した「固定ルーフ」を持つクーペモデルの構想は、実は開発の初期段階からデザイナーやエンジニアの頭の中に常に存在していたのです。
今回は、市販化の悲願が達成されるまでの10年以上にわたる試行錯誤の歴史を、歴代の「クーペコンセプト」を通じて紐解きます。
「屋根を切る」の逆を行く矛盾

1986 MAZDA Familia cabriolet
歴代のコンセプトカーを紹介する前に、「ロードスターをクーペ化」することの特異性を定義しておきましょう。通常、自動車メーカーがオープンカーを作る際のアプローチは「クーペ(またはセダン)の屋根を切る」という手法が一般的です。いわゆるカブリオレ系のモデルですね。
しかし、剛性の要であるルーフ(屋根)を切り落とすと、ボディは「靴箱のフタを開けた状態」となり、ねじり剛性や曲げ剛性が壊滅的に低下します。それを補うために、フロアやサイドシルに分厚い鉄板やブレースバーを溶接し、何十キロ、時には百キロ単位の補強材(重量物)を腹下に抱え込むことになります。結果として「オープンカーは重くて鈍重」という不名誉なレッテルを貼られるのが常でした。
しかし、NA/NBロードスターは違いました。彼らは最初から「屋根がない状態(オープン専用設計)」で、いかに軽く、いかに高い剛性を確保するかに全精力を注ぎ込みました。センタートンネルを背骨に見立て、ドア自体も剛性パーツと捉え、バスタブ状で緻密に計算されたバルクヘッドの造形などにより、初めて「屋根がなくても剛性感」のあるスポーツカー」だったことが、伝説になれた要因のひとつだったでしょう。
では、この完璧なオープンボディに、あえて鉄(あるいはFRP)の固定ルーフを溶接したらどうなるか?
フタが閉まることで完全な「箱(モノコック)」になり、剛性は数十パーセント跳ね上がります。サスペンションが設計通りに動き、タイヤの接地圧が劇的に安定します。
空力の最適化
パラシュートのように風を巻き込むキャビンが塞がれるため、空気抵抗(Cd値)が下がり、最高速や巡航時の静粛性が向上します。

しかし、同時に致命的なデメリットも発生します。車両の一番高い位置(ルーフやリアガラス)に重量物が追加されるため、ロードスターが命がけで削り出してきた「低重心」と「慣性モーメントの低減」が相殺されてしまうのです。
「せっかく屋根なしで軽く作ったのに、なぜわざわざ重いフタをするのか?」「それはもはや、ロードスターの哲学に反するのではないか?」
オープン専用設計のクルマをクーペ化することは、この矛盾(パラドックス)と戦うことと同義といえます。歴代のデザイナーとエンジニアたちは、このジレンマに苦しみながらも、「ロードスターの魂を失わない、最高に美しいクーペ」を模索し続けたのです。
ポルシェ・ボクスターとの決定的な違い

この「オープンか、クーペか」という議論において、必ず引き合いに出されるのがポルシェのミッドシップスポーツ、ボクスターとケイマンの関係です。ボクスターもロードスターと同様に「オープンカー」として世に出ましたが、ポルシェの開発陣は最初から「将来的に固定ルーフのクーペ(ケイマン)も作る」という前提でプラットフォームを設計していました。

そのため、ルーフを被せるための土台(ピラーの強度やボディの接合部)が予め計算されており、クーペ化に伴う重量増や剛性バランスの変化も、想定内のモジュールとして処理されています。非常にクレバーで合理的なドイツ的エンジニアリングです。
対してマツダ・ロードスターは、そんな器用な真似はしていません。「屋根の付くことなど、これっぽっちも考えていない」というほど、オープンカーとしての純度にパラメータを全振りしていました。だからこそ、あの圧倒的な軽さとヒラヒラ感が生まれたわけですが、いざ「クーペを作ろう」となった時、その純粋さが仇となります。

後年、ロードスターのクーペ量産モデルとしてNC以降のRHT(リトラクタブルハードトップ:海外名MX-5 COUPE)が存在しますが、ライトウェイトスポーツとして幌モデルと同時開発は無理であると断念し、開発を1年延長して登場した経緯を見ても、オープンとクーペの両立はハードルが高いといえるでしょう。
どこに屋根を接合するのか? 追加の重量をどうやって受け止めるのか? デザインの破綻をどう防ぐのか?ロードスターのクーペコンセプトの歴史は、ポルシェのようなスマートな計画生産ではなく「完成された芸術品に、後から無理やり屋根を架設する」という、泥臭くも情熱的な職人たちの格闘の記録なのです。
1992 Miata M Coupe、北米産ノッチバック

1992 MAZDA Miata M Coupe(1st)
NAロードスター開発当初の企画案をもとに、MANA(北米マツダ)のスタジオが作成したのが、この「フィクスヘッド・ノッチバッククーペ」です。
「フィクスヘッド(Fixed Head)」とはオープンカーに固定式の屋根を取り付ける製作手法を指し、「ノッチバック(Notchback)」とは、ボンネット・キャビン・トランクルームの3つの箱が明確に分かれた「3ボックススタイル」になることを指します。
このデザインの秀逸な点は、ロードスター本来の愛らしさを残しつつ、キャビン後方を絞り込むことで、リアフェンダーのコークボトルライン(抑揚)をより強調している点です。ルーフからトランクへと落ちる流麗なラインを構築する際、2シーターゆえにキャビン容積が小さく見えすぎる(頭でっかちになる)のを防ぐため、サイドウインドウ後端にブラックアウトした「ダミーウインドウ」を設けて視覚的なバランスを取っているのが特徴です。また、サイドシルはNAロードスターオリジナルと同じくシンプルな造形のまま残されています。
このMANAの提案は非常に完成度が高く、後年(1996年)にさらにリファインされてモーターショーに再登場することになります。
1993 F010 Concept、理想と現実のファストバック

1993 MAZDA F010 Concept
「M Coupe」に対して日本側がおこなった提案です。当時のデザイン本部長、福田成徳氏によるデザインで「ファストバッククーペ」というスタイルになります。クオーターウィンドを広く取り、リアガラスが寝かされたポルシェなどで見られるデザイン手法の構成になります。「F010」はリアガラスがハッチバックドアになっており、ガバッと開いてトランクスペースにアクセスすることが可能です。
北米の「M Coupe」に対して、日本側の開発チームがおこなった提案がこの「F010」です。当時のデザイン本部長であり、初代ロードスターのデザインにも深く関わった福田成徳氏によるデザインで、ルーフからリアエンドまでがなだらかな一つの面で繋がる「ファストバッククーペ」スタイルになります。
クオーターウインドウを広く取り、リアガラスが極端に寝かされたこのフォルムは、ポルシェ911やジャガーEタイプなどで見られるクラシカルかつ空力に優れた構成です。流体力学的に見れば、ルーフを流れる空気がリアで剥離(渦巻き)するのを遅らせることができるため、Cd値(空気抵抗係数)を極限まで下げる理想的な形状といえます。また、「F010」はリアガラス全体がハッチバックドアになっており、ガバッと開いてトランクスペースにアクセスすることが可能な、高い実用性も想定されていました。

こちらは商品化検討までいったそうですが、ガソリンタンクの位置とオーバーハングの補強コストが解決できず、断念したそうです。近年までデザイン非公開のままマツダR&D(横浜)の倉庫に収蔵されていました。
この美しいクーペは商品化検討の土俵に上がりながらも、非情なエンジニアリングの壁に阻まれます。ファストバックの広大なハッチ開口部を設けると、リア周りのボディ剛性が著しく低下します。それを補うための補強と、ハッチバック化に伴うガソリンタンク位置の変更(NAロードスターのタンクは座席のすぐ後ろ、トランクの前方にあります)、さらにはオーバーハングの設計変更など、「オープン専用プラットフォームをベースにするには、あまりにも改修コストが高すぎる」と判断が下され、製品化は断念せざるを得ませんでした。
夢と現実の狭間に散った「F010」は、近年までデザイン非公開のまま、マツダR&D(横浜)の倉庫の奥深くで静かに眠りについていました。
1993 M2 1008、コーダトロンカの執念

1993 M2 1008 Concept
1990年代前半、マツダには「M2(エムツー)」というサブブランドを運営していました。マツダの商品企画を事業目的とし、「趣味のクルマ」をユーザーの意見を直接取り入れながら市販化検討をおこなうという、バブル期ならではの夢のような実験工房でした(※現在はバブル崩壊後のマツダ業績不振により休眠会社となっています)。

そこで発表された8番目のコンセプトカー「1008」は、伝説的なチューンドモデル「1001」に通じるディティールを垣間見ることができるクーペモデルでした。この1008における特徴的なデザインは、リア周りの造形です。ルーフからなだらかに落ちてきたラインが、テール部分でスパッと垂直に切り落とされた「コーダトロンカ(Coda Tronca)」(別名:カムテール)と呼ばれるデザインを採用していたのです。

コーダトロンカは、イタリアのカロッツェリア「ザガート」やアルファロメオなどが好んで用いた手法で、流体力学者のヴニバルド・カムが提唱した「空気抵抗を減らすためには、後方に長く伸びる涙滴型(ティアドロップ)の尾部を切り落としても、空気の流れ(後流)は仮想的な涙滴型を維持する」という理論に基づいています。つまり、全長を短く(軽く)保ちながら、最高速を伸ばすためのレーシング直系の空力デザインでした。
なお、クーペの種類としては、ボンネット・キャビン・トランクルームの3ボックススタイルになるので「ノッチバッククーペ」に分類されます。ちなみに、このコンセプトカーのリアガラスには、当時マツダが販売していたコンパクトスポーツ「AZ-3(ユーノス・プレッソの兄弟車)」の部品が流用されていました。
フロント周りは未完成のままであり、一般ユーザーからも多岐にわたる要望が集まっていたそうですが、M2本体の活動縮小によりこのモデルは幻に終わりました。現在、マツダ公式のオリジナル車両は現存しておらず、イベント等で見かける車体は、有志の方が製作されたレプリカだそうです。
1996 Miata M Coupe(2nd(Refine)、ダブルバブルの熟成

1996 MAZDA Miata M Coupe(2nd)
時代は進み、こちらは92年の北米案「M Coupe」のリファイン版(熟成版)になります。ボディサイドのフェンダーラインをグラマラスにワイド化し、以前はブラックアウトされたパネルだったダミーウインドウを本物のガラス化するなど、市販化を視野に入れた現実的かつ洗練されたデザインへと進化しています。
ここで工学的に最も注目すべきは、ルーフの形状です。よく観察すると、兄貴分である「RX-7(FD3S)」と同じく、ルーフの中央が若干凹んだ「ダブルバブルルーフ(バリオルーフ)」が採用されています。これは、イタリアのザガートがモータースポーツ車両で多用した手法で、「前面投影面積(空気抵抗の元)を最小限に抑えつつ、ヘルメットを被った乗員の頭上空間(クリアランス)だけを確保する」という、極めて合理的かつ色気のあるフォルムです。

リア周りの造形も、このまま街を走っていても全くおかしくないほどの高い完成度を誇っています。トランクリッドの後端が少し跳ね上がった「ダックテール」形状になっており、高速走行時のリアの揚力(CL値)を抑えるダウンフォース効果を狙っています。このラインは、後のNBロードスター・・・というよりも、さらにその先のNCロードスターRHT(パワーリトラクタブルハードトップ)に近しい、時代を先取りした流麗さを持っていました。

なお、ドアのパーティングラインやサイドシルのボリュームは、2代目Miata(NBロードスター)へフィードバックされています。この「M Coupe」はマニアの間でいまだに根強い人気があり、北米のイベント等では実走可能なこの車両が展示されることがあります。
2002 MAZDASPEED RSクーペ、市販化への助走

2002 MAZDASPEED RS Coupe Concept
そして2002年、東京オートサロン。チューニングの祭典に参考出品された「M’s IF」シリーズのひとつとして、ロードスターベースのロータリーエンジンコンセプト「コスモ21」と共に公開されたのが、この「RSクーペ」です。
ベース車両はNAからNBロードスターへと進化しています。デザインを担当したのは、かつてファストバックの「F010」を手掛け、当時はマツダE&Tの所属となっていた福田成徳氏です。そのコンセプトは「50年代のイギリスGTカー」。

RSクーペは、コンセプトの段階から完成度が高く、トランクがキャビンから独立している王道のノッチバックスタイルクーペとして仕立てられていました。NBロードスターは、もともとNAに比べてサイドにボリューム(抑揚)を持たせたコークボトルデザインを採用していたこともあり、ルーフを追加してもボディ下部のサイドシル(フレア)部分を大きくリファインする必要がなく、全体のプロポーションも破綻しませんでした。これが、市販化に向けた最大の強み(コストメリット)となります。

コンセプトカーの内装は、当時の特別仕様車「VSコンビネーションB」に準じた上質なレザーインテリアをベースにしていますが、随所に配された上品なアルミ削り出しパーツの使い方は、メーカー直系のカロッツェリアならではの流石の仕上がりでした。

2003 MAZDA RS Coupe E-Type Concept
また、翌年(2003年)のオートサロンにおいて、より市販車に近づけたコンセプトモデルが「参考出品車」として発表されました。こちらはのちの「E-TYPE」ベースとなる仕様です。Eとは「エレガント(elegant=上品)」を表しています。ミラーやホイールに市販版との違いが確認できますね。

2003 MAZDA RS Coupe A-TYPE Concept
こちらはよりアグレッシブなモデファイをおこなった、のちの「A-TYPE」のベースとなる仕様です。よりアグレッシブになったイタリアンスポーツを彷彿とさせるフロントグリルや、オーバーフェンダー、そしてリアスポイラーが架装されています。Aは「オーセンティック(authentic=本物)」を意味します。

2003 MAZDA RS Coupe NR-A Concept
こちらはNBロードスター後期型の純正オプションとなるフルエアロとともに、ロールバーなどNR-A相当の架装を行ったモデルです。ホイールから1600cc(NB6C)がベースであることがわかります。残念ながらこの仕様のままで市販はされませんでしたが、コストをかければ再現が可能です。ロードスタークーペではカタログ選択できなかったNB3の純正色(サプリームブルーマイカ(22A))で塗装されています。
のちに限定生産されることになる市販版「ロードスタークーペ」は、このRSクーペコンセプトシリーズとほぼ同じフォルムで、世に送り出されることになりました。
ロードスター、クーペ化の夢

初代NAロードスターの企画段階から存在し、幾度となくコンセプトモデルとして現れては消えていった「クーペ」の夢。空気抵抗と戦い、コストと戦い、そして何より「オープンカーに、わざわざ重いフタをする」というジレンマと戦い続けたデザイナーの情熱。

デビューから10年以上の時を経て、ボディ剛性が飛躍的に高まり、生産技術が成熟した「NBロードスター」の時代において、ついにその夢が「市販化」という形で結実するチャンスが訪れます。ポルシェのようにスマートにはいかなかったかもしれない。しかし、オープン専用設計のシャシーに固定ルーフを架装するという狂気じみた職人技は、いかにして「マツダ・ロードスタークーペ」という名車を生み出したのか。その歴史は別トピックでご紹介します。
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