続・ロードスターのルーツ、プリプロトタイプ「V705」

続・ロードスターのルーツ、プリプロトタイプ「V705」

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「DUO101」から「V705」へ

マツダ北米スタジオ(MANA)のアドバンスデザイン「DOU101」をベースに発足した「P729」オープンスポーツプロジェクト。社内デザインコンペを勝ち抜いたとはいえ、量産化の道のりはまだ先が見えない状態でした。しかし、有志の計らいで当時マツダで新設された技術研究所における「樹脂ボディ開発」の名目を得ることにより、可動プロトタイプが制作されることになります。

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しかし、いつ立ち消えになるか分からないプロジェクトに人員を割くわけにはいきません。そこで、デザインは引き続きMANAが行い、メカは英国IAD(International Automotive Design)社へ設計委託されることになりました。ちなみにIAD社はさまざまなインダストリアルプロダクトに関わっており、有名どころな他のクルマではデロリアン(DMC)も手掛けています。

プリ・プロトタイプ「V705」


1985 MX-5 Miata Concept Duo101 V705

「V705」のデザインソースはもちろん「DUO101」ですが、走行可能な状態にするためボディラインは現実的なものにリファインされ、車体寸法も若干増しています。リデザインはもちろんカリフォルニアチーム(トム俣野氏、マーク・ジョーダン氏、ウー・ハン・チン氏の名が挙げられています)が手掛け、デュオにあったボンネットの「ふたこぶ」バルジはV705にも引き継がれています。


また、トノカバーにもふたつのバルジを設けて、統一感のある流麗なフォルムになりました。赤いボディの特徴的なアクセントから、デザインチームでは「りんごちゃん」と呼ばれていたそうです。


パワートレインは既存のコンポーネントを流用するコンセプト通りの造りになっています。

F4A型ファミリアバンを流用したFR駆動で、サスペンションやステアリングまわりはSA22C型サバンナです。これらを組み合わせたバックボーンフレームにFRPボディをかぶせる、まさに旧来のエランのようなLWSを彷彿とする仕様でした。また、排気音は意識してMGBの排気音をエミュレートしています。


もちろんリトラクタブルヘッドライトも可動します。リトラはコストも重量もかさむ存在なのでデザインチーム内でも賛否両論ありましたが、スーパーカー(スポーツカー)の象徴としてアイコン的に採用されました。


特徴的なのは、ハードタイプのトノカバー。前方を跳ね上げて幌を格納する仕組みになっています。量産型(ロードスター)ではコストをかけられず泣く泣く断念しましたが、3世代目のNCロードスターRHTでこの機構が実現されました。


インテリアは、クレイモデルで制作された赤いものをそのまま型抜きして、樹脂で再現しています。ラジオのみのオーディオや、中央で縦に並ぶエアコンの吹き出し口など、今の時代ではなかなか見ることない味のある機構です。もちろんグローブボックスやシガレットソケットも備えられています。


ツーシーターのシートは情熱的な赤。幌もきちんと造り込まれていることが分かります。

サンタバーバラの冒険


1985年8月に英国で完成した「V705」は、カリフォルニアの日差しのもとでどう見えるかを検証するため、北米経由で広島に輸送されることになりました。


実は、北米デザインチームは一向に進捗しないP729プロジェクトにやきもきしながらも、DUO101のデザインをさらに煮詰めた2台目のアドバンスデザイン「MX729」を造り込んでいる最中でした。※奥に見えるのが、造形途中の「MX729」


同年9月「せっかく届いたV705を街で走らせてみよう」と、カリフォルニア州サンタバーバラ周辺でのドライブが決行されました。その際、企画推進をおこなった技術研究所の松井雅隆所長もステアリングを握っています。また、後ろにはプレゼン用のビデオ撮影班が写っています。


その時の様子は様々な逸話が残っています。クルマをトレーラーから降ろすとたちまち人垣ができ、あらゆる人から「どこのメーカーのクルマか?」と問われるだけでなく、いつ出るのか、値段はいくらか、今すぐ売って欲しいと声をかけられること多数。バイクで追いかけられているショットからも、街の興奮が伝わってきますね。

 
極めつけは、後日「写真を撮ったので雑誌社に売り込む」と来た電話だったそうです。マツダは「そんなことをするとプロジェクトは潰れて、折角のオープンカーも日の目を見ない結果になる。むしろ、その写真を10年後に売り込んだ方が高く売れる」と切り返したそうで、電話の主も納得したとか。

この日に撮影されたビデオは広島で改めてプレゼンテーションされ、それがある意味で決定打となりました。そのビデオは、紙のレポートや市場データをはるかにしのぐ明確さでLWSの可能性を示し、いつ消えてもおかしくないP729プロジェクトが大幅に前進することになったのです。

今も現存する「V705」


そんな「V705」は長年関係者の尽力により廃棄を免れ、現マツダR&Dセンター横浜(旧横浜研究所)に保存され、2011年に催行された「ロードスター展」において、初めて一般に披露されました。今では様々なイベントに駆り出されるので、目にする機会を得ることが可能です。


チルトボンネット(逆アリゲーター式)はスポーツカーのロマン!ボディパネルの裏面からも外板はFRP(プラスチック)で出来ていることが分かります。垂直に切りかかれたバルクヘッドからも分かるように、このクルマはフレームにボディを載せていることも分かります。


ハードタイプのトノカバーの下には、幌が奇麗に格納されています。なお、タン色に写っている幌は内張で、外生地は黒になります。


ウインドレギュレーターはもちろん手動式。この時代のパワーウインドウは贅沢品で、ライトウェイトスポーツにそんなものは必要ない・・・となったそうです。くるくる回すのが一周回ってお洒落ですよね。また、何気にインテリアは全てカーペット加工されています。「保管 デザイン業務革新Gr」と、絶対に処分しないように警告が貼られているのはご愛敬・・・

メーターの走行距離は約300kmちょっとで、スピードメーターは130マイル(約209km/h)まで刻まれています。高速走行のテストも行っているようです。

画像提供:H氏

「V705」が決定づけたもの


大幅に遅延していた「P729」プロジェクトは、サンタバーバラの反響をもとに1986年初頭の役員会に上程され、やっと「量産も考慮する」として1986年1月18日、再始動することになりました。

同時に、やっと動き出したP729プロジェクトの陣頭指揮には、ロードスターの初代主査である平井敏彦氏が任命されました。その際の平井氏の回顧録は以下のように残されています。


最初の難関は、開発委託会社から送られてきた設計図面をみて、いかに好意的な評価をしたとしても、とてもそれをベースに量産車の開発が可能な設計図とは考えられなかったことである。

改めて「生産を前提としたクルマの開発」が社外の開発委託会社に任せられるほど簡単ではないことを痛感させられるとともに、早急に開発業務を社内に切り替えないと取り返しのつかないことに気づいたのである。

平井敏彦:日本製ライトウェイトスポーツカー開発物語(三樹書房)より引用

そこで、平井氏の最初の仕事はIADとの契約解消で・・・1986年3月にタフな交渉の末に実現できました。なお、プロジェクトの違約金は「最小限の開発委託費用」にとどめることができ、同時にゼロリセットされたP729プロジェクトは「J58」という新たな開発コードを獲得しました。

アドバンスデザイン・2台目「MX729」


1985 P729 2nd Concept MX729
一方、社内における「V705」の話題性と同時期に、デュオ101のブラッシュアップ案である「MX729」の制作がカリフォルニアでは進んでいました。主張するフォグランプは、リトラクタブルヘッドライトを閉じたフェイスに「表情」を付ける意図が込められています。


2台目はデュオのコンセプトを踏襲しつつも、V705で見られたFRファミリアベースによる車高とベルトラインの高さを調整していきました。「初代RX-7にみられるキュートで小さくとも存在感のあるイメージが欲しい」といった命題のもと、MX729は今後のマツダデザインの方向性を示すアイデンティティが求められました。左右テールランプのあいだに大きく「MAZDA」と刻印されているのが、レトロカッコいいですね。


ただ「エキサイティングでコンパクト、低く、走りそうな感じ」という要件は達成しつつも、新しいアイデンティティに繋がるようなものまでは至らなかったと、デザイナーの林氏は回顧しています。

アドバンスデザイン・最終案


新型LWSにおけるIADとの開発委託解消も終えた1986年、平井氏はカリフォルニアに足を運び比較競合車種のLWS一気乗りや、現地メンバーとのディスカッションを行いました。

量産の仮承認を得ていた「J58」は既にデザインの前提条件がありました。ベルトラインの高さ、エンジンと外板のクリアランス、ボンネットの高さ、バンパーのクリアランスなどが提示され、ミリ以下の精度を求められつつも「納期」も設定されました。特にホイールベースは想定よりも長くデザインチームは猛反発。なかば確信犯的にルールを無視して短くデザインを仕上げ、結果的にそれが採用されています。


1986 P729(J58)3nd Concept
3台目のデザインテーマは2台目「MX729」で達成できなかった、次世代マツダデザインのアイデンティティを示すこと。特に、リトラクタブルヘッドライトによる無表情を避けるためハッピースマイルを示唆するグリルとともに、「目」としてウインカーを配置しています。

なかなかブレイクスルーできないところで何枚も撮影していたクルマの写真を見て気づいたのは、よく見ると同じ形でも「光と影」の移ろいで表情が変わったことでした。


つまり、スタジオではなく「外」でみると、様々なリフレクション(写り込み)が生じ、その面に抑揚をつけていくことでダイナミックに、そしてエモーショナルに表情を変えていたことで、余計なキャラクターラインを廃してフォルムで魅せる、のちに続く伝説のマツダデザイン「ときめきのデザイン」誕生の瞬間になりました。

そして完成したこの「3台目」は無事に広島へ輸送され、プロダクトデザイン(量産デザイン)のデザインソースとなるのでした。

P729(J58) History
1981 ペーパープラン
1983 オフライン55・コンペ
1984 5~6 アドバンスデザイン1台目「DUO101」制作
9 「P729」プロジェクト開始
1985 8 自走プリ・プロトタイプ「V705」制作
9 サンタバーバラの冒険
9~11 アドバンスデザイン2台目「MX729」制作
1986 1 「P729」量産計画承認
2 「P729」は「J58 」として再始動
3 IAD契約解消
1986 4~6 アドバンスデザイン3台目制作
1987 1 プロダクトデザインクレイモデル
4 プロダクトデザイン市場調査(クリニック)
7 デザイン凍結宣言
1989 5 「MX-5 Miata」販売開始

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