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今回から複数回に渡って、ロードスターデザイナーの悲願とされたロードスターの「クーペ」を紐解きます。
クルマにおける「クーペ」とは二人乗りの「箱馬車」が語源になっており、現在は2枚ドアの乗用車を指す言葉になっています。
オープンカーのロードスターをオプションの「脱着式ハードトップ」ではなく、「固定ルーフ」のクーペ化をおこなうという構想は、開発段階からデザイナーサイドの案として存在していました。
したがって、比較的初期段階から固定ルーフを活かしたプロポーションのコンセプトカーが発表されていた歴史背景があります。
1992「Miata M Coupe」
NAロードスター開発当初の企画案をもとに、MANA(北米マツダ)が作成した「フィクスヘッド・ノッチバッククーペ」です。
「フィクスヘッド」とはオープンカーに固定式の屋根を取り付ける制作方法で、「ノッチバック」とはボンネット・キャビン・トランクルームの3ボックススタイルになることを指します。
より強調されたサイドベルトのコークボトルラインと流麗なルーフラインと、ルーフとキャビン面積のバランスを稼ぐためにウインド後端にブラックアウトしたダミーウィンドを付けているが特徴です。また、サイドシルはNAロードスターオリジナルと同じくシンプルな造形になっています。
このデザインコンセプトは完成度が高く、後年リファインされることとなります。
1993「F010」
「M Coupe」に対して日本側がおこなった提案です。当時のデザイン本部長、福田成徳氏によるデザインで「ファストバッククーペ」というスタイルになります。クオーターウィンドを広く取り、リアガラスが寝かされたポルシェなどで見られるデザイン手法の構成になります。「F010」はリアガラスがハッチバックドアになっており、ガバッと開いてトランクスペースにアクセスすることが可能です。
こちらは商品化検討までいったそうですが、ガソリンタンクの位置とオーバーハングの補強コストが解決できず、断念したそうです。近年までデザイン非公開のままマツダR&D(横浜)の倉庫に収蔵されていました。
1993「M2 1008」
「M2」社とはマツダの商品企画を事業目的とする会社で、「趣味クルマ」をユーザーの意見を取り入れながら市販化検討をおこなう夢のような事業を行っていました。※現在はバブル後のマツダ業績不振で休眠会社となっています。
そこで発表された8番目のコンセプトカー「1008」は、「1001」に通じるディティールを垣間見ることができます。しかしフロント周りは未完成のままであり、一般ユーザーからも多岐にわたる要望が集まっていたそうです。
リア周りは「コーダトロンカ」という、ザガートを起源にするスパッと切り落とされたテールラインが特徴です。なおオリジナル車両は存在せず、この車体は有志の方が制作されたレプリカです。
クーペの種類としてはボンネット・キャビン・トランクルームの3ボックススタイルになるので「ノッチバッククーペ」となります。ちなみにリアガラスはAZ-3のものです。
1996「Miata M Coupe(Refine)」
こちらは92年の「M Coupe」のリファインになります。ボディサイドをワイド化し、ダミーウィンドをガラス化するなど、より熟成されたデザインになっています。よく見ると「RX-7」と同じく「バリオルーフ(中央が若干凹んでいる)」化されていて、より色気のあるフォルムになっています。
リア周りもこのまま街で走っていてもおかしくないくらいの完成度です。ダックテールのトランクはNBロードスターよりもNCロードスターRHTに近しいラインになります。
ちなみにこの「M Coupe」はいまだに人気であり、実走車がイベント等で展示されることがあります。
2002「RSクーペ」
東京オートサロンに参考出品された「M’s IF」シリーズのひとつで、同時に「コスモ21」というロードスターベースのロータリーエンジンコンセプトも公開されました。
デザインは「F010」と同じくマツダE&Tに出向していた福田成徳デザイナーで、そのコンセプトは「50年代のイギリスGTカー」とされています。
コンセプトの段階から完成度が高く、トランクが独立している「ノッチバック」スタイルのクーペとなります。NBロードスターはもともとサイドにボリュームを持たせるデザインということもあり、サイドシル(フレア)部分のリファインはありません。後に生産されることになる「ロードスタークーペ」は、ほぼ同じ形で市販されることになりました。
コンセプトの内装は「VSコンビネーションB」に準じていますが、上品なアルミパーツの使い方は流石です。
次回に続きます。