この記事を読むのに必要な時間は約15分です。
「ロードスターの楽しさ」を表現するために使われる「人馬一体」というキーワード。これは改めて、NCロードスターを開発する際に発表された論文「感性エンジニアリング」にて定義され、そのコンセプトが明文化されました。
「勘(intuition)」から「感(feel)」へ
ロードスターはNAのデビュー当時から「人馬一体」(※)というキーワードで語られてきました。でも「これってどんな意味なの?」と問われると、スッとは答えづらいのではないでしょうか。軽快なハンドリング?使い切れるパワー?オープンドライブの気持ちよさ?なかなか言語化しづらい気がするのです。※極初期は人車一体と表現されることもありました。
このロードスターの「楽しさ」を言葉にするのは、NA開発当初のひとつの課題になっていたそうです。事実、NAロードスターはそれまでのマツダ・エンジニアリングが蓄積してきた職人的な「勘」で作られた、まさに「奇跡の乗り味」で仕上がったのが実情だったそうです。もちろん、この楽しさはステアリングを握って走り出せば「何となく」は理解できますが、それを言葉で表現するのに知恵を絞ったんですね。
そこで採用されたのが、乗馬用語の「人馬一体」だったのです。
人馬一体とは、人が馬と完全に一体化し、まるで一つの生き物のように調和して動き、馬を自在に操る状態を指します。騎手と馬が互いの動きを理解し、互いを尊重しながら一体となっていくことを意味するのです。その馬をクルマに置き換えたんですね。本当に見事にハマった言葉だと思います。
その後、積み重ねた「勘」鍛えて、磨きをかけていったのが歴代ロードスターであり、特にNBロードスターにおいてはその「奇跡の乗り味」をフルモデルチェンジではなく、事実上の【ビッグマイナーチェンジ】だったからこそ継ぐことができ、ギリギリで成り立っている部分がありました。
つまり、そこまでは結果オーライで「なんとかやれてしまった」のですが、問題が発生しました。それはNCロードスターの開発にGOサインが出たことです。
後継車種の開発は喜ばしいことですが、今までの「勘」を知っていた開発メンバーが、ほぼ総入れ替えになってしまったことや、プラットフォームも新規(SE型(RX-8)と共用)開発の指示が来た際に、ロードスターの「人馬一体」を引き継ぐエビデンスは実車、つまり「クルマそのもの」以外には存在しなかったのです。
そこで、NCロードスターの開発においては、まずはこの「人馬一体」を再定義するところからスタートしました。なお、NCロードスターの開発要望にはLWS(ライトウェイトスポーツ)ではなくGT(グランツーリスモ)寄りにするものもありました。そこで「なぜLWSなのか、マツダが考える人馬一体とは?」を明文化し、開発の方向性に明確な軸を置いたのです。
それが、NA/NBロードスターの熟成してきたた乗り味、コストやデータでは見えない「感覚」を解説した「Vehicle Development through “Kansei” Engineering」(感性「人馬一体」を持つクルマの開発)という論文になります。主たる目的は、マツダ経営陣にロードスターの「人馬一体」を理解してもらい、ライトウェイトスポーツの方向性を守るためのもの。著者は貴島孝雄さんと平井敏彦さん。共に歴代ロードスターの開発主査をされたお二人になります。
感性エンジニアリング
この論文はモビリティ専門家を会員とする北米非営利団体、SAE International(SAEインターナショナル)のWebサイト上で公開されています。アップロードは2003年3月3日(NB3発表直前)なので、NCロードスターの開発タイミングと合致します。
参考サイト:https://www.sae.org/publications/technical-papers/content/2003-01-0125/
一般的な「感性(sensitivity)」とは【印象を受け入れる能力、感受性、感覚に伴う感情・衝動や欲望】とされます。そこで、この論文は「勘(intuition)」を「感(Feel)」へ置き換えて深掘りしたものであり、ドライバーが「人馬一体」を、どんなシーンで感じるのかを言葉に置き換えています。なお、この内容は貴島さんの著書「ロードスター的幸福論」に収録されています。
ロードスター開発コンセプト

ロードスターはスポーツカーでありながら、速く走ることを求めていません。あくまで「運転すること自体を楽しむ」ことが目的で造られています。それは「性能や品質の良さ」といった一般的に定量化されているものではなく「楽しさ」「美しさ」といった、物差しで測ることのできない「感性」をセールスポイントにする、そんな商品開発でした。
したがって「感性」を表現するためにも「モノ創りの思想」を反映した個性が必要不可欠だと開発陣は考えました。そこで日本車としてのアイデンティティ(日本文化)を表現し、顧客の心に訴求していこうというコンセプトが生まれました。機械をただの消費資材でなく、長く使うことで愛着の湧くような道具にする。使い捨ての製品には感じない、そんな感情が湧くような商品、形はなくてもいつまでも心に残るような製品でありたい。
そして、現代にライトウェイトスポーツを復活させるためのキーワードとして、乗馬用語の「人馬一体」をキーワードとしました。乗馬の世界では「騎手と馬がお互いの心までもが通じ合ったとき、最高のパフォーマンスが発揮できる」とされているのです。これは日本伝統の流鏑馬(やぶさめ)の神技に通ずるもので、それをマシンで再現していこうというコンセプトなのです。
Vehicle Development through “Kansei” Engineering
「感性」エンジニアリング より引用
マツダの考えるLWS(ライトウェイトスポーツ)の定義
機械の開発は、アウトプットされる「性能」を目標に進めます。エンジニアはドライバーの指示を忠実に反応するようセッティングをおこない、更に高度なプログラミングでドライバーの意志を予測し、アクセルやブレーキを作動させ、コーナーリングのマージンを確保していきます。その反面、機械が先行(介入)しすぎると、ドライバーの意志とは違った動き・・・つまり違和感が発生する可能性も出てきます。
つまり、スポーツカーで「人馬一体」を実現するには、ドライバーとクルマがどんな走行条件でも「コミュニケーション(意思疎通)が出来る状況」を確保することが重要になります。機械は介入するのではなく「ドライバーと一体になること」でベストパフォーマンスを発揮できるのです。
クルマと一体感を感じるシーンはハンドリングだけではありません。例えば都会の喧騒を離れ、海や山などの「自然」を全身で満喫するシーン。愛車とともに光、風、音、大気の匂いまでも全身で感じることのできるような状況。そんな一体感を得るために、気軽に幌を開閉できる「オープンボディ」も必須条件であると定義しました。
そこで「人馬一体」を落とし込むパッケージは「FR駆動」「2シーター」「オープンボディ」が必須であるとし、これをマツダのライトウェイトスポーツ(LWS)、つまりロードスターの基本パッケージと定義しました。
人馬一体の味付けとは(NCロードスター)
エンジニアはクルマを開発するにあたって、速いクルマ、燃費のいいクルマ、品質の優れたクルマなど、「開発目標」が明確であればあるほど、高い精度で設計を行うことが可能になるそうです。
しかし「人馬一体」はあくまで「感性」をイメージした言葉。つまり、これを具体化にしないと設計に落とせません。そこで、エンジニアが設計図面をイメージできるよう、従来のロードスター(NA/NB)における「人馬一体」は細かくブレイクダウン(分類)されていきました。
スポーツカーらしさを演出するためには、クルマの【パッケージ】に基づいた物理的な動きに加えて、ドライバーはステアリングやアクセル、シフトノブなどの操作インターフェイスからフィードバックを得ることで、よりクルマの一体感を得ることができると、NCロードスター開発チームは考えたのです。
そこで導き出した重点項目を「緊張感」「ダイレクト感」「走り感」「一体感」といったキーワードに分類し、下記のような味付けを検討していきました。
・ステアリングの可逆性を利用して「路面からのキックバック」で路面状況を知らせる
・ブレーキペダル・トラベルを減らしペダル反力を感じながら制動力をコントロールする
これは「誰が操作しても安全で効率よく作動する」といった一般的なクルマとは異なりますが、ロードスターの「個性」としては必須な演出と捉えたのです。
これらを設計図面に反映するうえで【有効なもの】と【そうでないもの】を見極める割り切りも必要になりました。また、従来の量産レギュレーションも「人馬一体」ためには適用しないことを決めました。
これらの開発要件をどうすれば実現できるのか、各分野の技術者チームが【フィッシュボーンチャート】に落としこみ、可視化し、共有することで、チームの意思疎通における重要なコミットメントに繋げたのでした。
緊張感(Tight feel)
戦闘機のコックピットを連想させるような、機能的ではあるが、ある種の狭さがあるインテリア空間で「緊張感」を創る。運転席に座っただけで「さあ、行くぞ!」と気持ちの昂ぶりを感じさせる雰囲気。社内の「居住性設計標準」を無視して開発することで、無駄を省いた機能的な設計をデザインを徹底していく。
・ロングノーズ・ショートデッキのプロポーション、ボンネットバルジで力強さを表現
・毛先の短いカットタイプのカーペット/ソフトトップ構造
・パワートレインや足周りからの応答性(ドライバーへの緊張感)
ダイレクト感(Linear and direct feel)
騎手が愛馬に鞭を入れると間髪入れず猛ダッシュするような、意のままに応えてくれるダイレクト感。これをドライバーとクルマに置き換えて、工学的手法で再現することを目標にする。
・エンジンは自然吸気ユニット、ブレーキアシストはマイルドに(自然な応答性)
・エンジン駆動力をロスなく後輪に伝える(PPF(パワープラントフレーム)で結合)
走り感(Exciting driving feel)
ストップ・ウォッチで計るような現実の走りは速くなくとも、ゴーカートを走らせたかのような、ドライバーが感じるワクワク・ドキドキする感性を、メカニズムで実現させていく。
・フライホイール・マスを少なくしてエンジン回転限界を高める
・低周波音を含む、野太い排気音
・タコメーターを装着し、スポーツカーであることを主張
・ダブルウィッシュボーン・サスペンション/FRの採用で、パワースライドを容易に
一体感(Intergrated Feel)
communication between driver and LWS
クルマを取り巻く環境の中で常に何が起こっているかを把握でき、クルマからの情報にドライバーが即応できる仕組みを構築することで、走る歓びが達成できる。また、LWS(※ライトウェイトスポーツ)にとって変化する周辺環境への配慮も大切で「自然との一体感」も不可欠な要素とする。
・操作システムの遊びを減らした、システムとしての剛性確保
・ドライビング・ポジション(シート配置)を極力クルマの運動中心へ設置
・オープン走行時の風の流れをコントロール
・エンジンを止めた際、運転席からみえる視界(オープンカーであること)
ロードスターが持つ「人馬一体」とは
機械であるクルマ(ロードスター)を「感性」を得ることのできる商品と捉え、顧客の心に「楽しさ」「美しさ」を訴えるものと定義したこと。また、その楽しさを乗馬に通ずる「人馬一体」という共通言語において開発したこと。
それを実現するために、通常の開発プロセスではロードスターのようなクルマが誕生することは困難であり、マツダ社内にある設計基準やテスト基準は除外せざるをえませんでした。
実際、このような開発行為はある意味でのルール違反であり、責任の所在を明確化していても、当時の社内には多くの抵抗勢力(反対意見)がありました。その点において、プロジェクトを成功させるための信念とエネルギーは、多くのカロリーを消費したとSAEの論文において記載が残っています。
特にライトウェイトスポーツ(LWS)のような趣味嗜好に左右される商品開発では、開発に携わる人の勘、センス、個性が強く反映されていきます。客観的評価の少ない開発において、周辺環境に「クルマの良さ」を理解してもらうには、多くのハードルを乗り越えていく必要があったのです。
だからこそNAロードスターは、クルマとして極力シンプルな(割り切った)仕様になりましたが、その中でも頑なに守ったのは「人馬一体」のコンセプトと、日本車としてのアイデンティティでした。そして、その個性が市場に受け入れられ、世界的なヒットに繋がったというのが、NAロードスターの爽快な開発ストーリーです。
さらに2代目NBロードスターは「Lots of Fan」をキーワードに、よりライトウェイトスポーツ(LWS)の楽しさを追求していくことを開発コンセプトに掲げました。そして、勘に頼っていた乗り味を「感性エンジニアリング」として定義し、SAEの論文とともに発表、開発されたのがNCロードスターでした。なお、貴島さんはNCロードスター発表後のインタビューにて、面白いコメントをされています。
ここまで長々とウンチクを書きましたが、貴島さんに直接「人馬一体ってどういうことですか?」とお聞きすると、恐ろしくシンプルな回答をいただきました。
簡単だよ。乗って楽しい、ってことだね!
関連情報→