スパグリSRを愛でる会withホワイト(2025)

スパグリSRを愛でる会withホワイト(2025)

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28年目の奇跡


私はNB乗りでありながら、初代NAロードスターの歴史の最終章を飾った限定車「SRリミテッド」のみが集う稀有なミーティングを見学する機会を得ました。マツダR&Dセンター横浜(MRY)にて2025年11月2日(日)に開催された「スパグリSRを愛でる会 with ホワイト」です。

会場には1997年から四半世紀以上の時を超えたNAロードスターが、その特徴的なボディカラーを誇るかのように整然と並びました。鮮烈な緑色の「スパークルグリーンメタリック(11R)」と、クリーンな白色「シャストホワイト(PT)」が整列するキュートな光景は、奇跡とさえ思えるほどです。


しかし、この感動的な光景を前に、私の心にはある種の心配がありました。主催者様(やまだ氏)の情熱的な運営、集うオーナーの方々の笑顔。それはとても温かく素晴らしいコミュニティです。ただ、それ故に「特定の希少車オーナーによる、単なる仲良しグループの集い」だとしたら、NB乗りのような単なる外部のファンに居場所はあるのか。もし異なれば、当アーカイブの持つ視点とは少しだけ位相が異なるかも知れない・・・というものです。

この感覚が正しかったのか、間違っていたのか、今回はこのミーティングを検証していきたいと思います。

最後のNAロードスター


古いクルマを振り返る際は、そのモデルが生まれた時代背景を無視することはできません。ご存じの通り、平成の幕開けと共に1989年にデビューしたユーノスロードスターは、様々な時代の追い風を受け「LWS(ライトウェイトスポーツ)」という文化を、世界に再定義しました。

一方、そのロードスターの限定車SRリミテッドが販売された1997年は、日本経済の「宴」が完全に終わり、国民全員が後片付けの過酷さを突きつけられていました。いわゆるバブル崩壊(1991年頃)は、その後「失われた10年」とされた通り、経済に深刻な影響を残していたのです。なお、当時の大きなトピックとして、97年4月には消費税率が3%から5%へと引き上げられたことがあります。この増税は、自律回復の途上にあった日本経済の「足踏み」を決定づけたとされています。

追い打ちをかけるように、秋口には北海道拓殖銀行や山一證券といった、誰もが不倒を信じていた大企業の相次ぐ経営破綻が報じられました。金融システムの不安が日本全土を覆い、銀行の貸し渋り、倒産の増加、さらにアジア通貨危機と、未来への不透明感だけが色濃くなっていく。まさに、重苦しい景気停滞の時代でした。

自動車市場においてもその空気は伝播していました。愛すべきマツダは経営再建のためフォード傘下に入り、1989年には多くの日本車が「夢」を乗せて走っていましたが、1997年には厳しい「現実」のなかで、経済性や実用性を問われる存在となっていきました。

趣味性の高いミドルクラスのスポーツカーの主役は、ホンダが放ったシビックタイプR(EK9)やインテグラタイプR(DC2)といった、FFの「走り屋」向けモデルが中心となっており、純粋なFR・LWSとしてNAロードスターの直接的なライバルは存在していませんでした。


主催者資料より(提供:やまだ氏)

そんなロードスターも、バブル期(ピーク時)は国内でも約2.8万台(年次)売れていましたが、モデル末期となるシリーズ2では約1/5にまで落ち込み(※)、いよいよ次世代NBロードスターの予告も見え隠れしていました。しかし、ご存じのとおりNBのデザインにおける前評判はネガティブなもので・・・リトラでキュートなNAロードスターを新車で買える最後のチャンスということで、SRリミテッドはバブルの夢を紡いだ集大成として解き放たれました。※世界販売における累計セールスは堅調で、見事にNBへバトンを継いでます

奇跡の緑、スパークルグリーン


SRリミテッドの素体は、NA8Cシリーズ2の「Mパッケージ」です。このグレードの特筆すべきところは、NAロードスターのラインナップにおいて、極めて良識的な立ち位置であったことです。

1995年8月に登場したNA8Cシリーズ2は、そもそも熟成を重ねたNAロードスターの最終形態といえるモデルです。そのグレード構成には、タン/ウッド内装というオーセンティックな嗜好性を示した「Vスペシャル」系、ビルシュタインダンパーやタワーバーというスポーツ性を追求していた「Sスペシャル」系がありました。

一方「Mパッケージ」は、パワーステアリング、パワーウインドウといった必要最低限な快適装備を標準としたもので、素のロードスターにおける黄金律を標準的な形でパッケージングしたグレードでした。LSDすらオプション(※SRリミテッドでは特別装備)で、逆にオーナーが自由に色付けできる、最良のキャンバスであったといえるでしょう。

さて、今回のミーティングの主役は、その名の通り「スパグリ(スパークルグリーンメタリック(11R))」を採用した限定車、SRリミテッドです。クルマ好きはボディカラーにこだわりがあると思いますが、その点においてこの緑色は、とてもレアリティの高い存在でした。


主催者資料より(提供:やまだ氏)

ミーティング当日に配布された資料によると、国内生産において「スパグリ」はユーノスロードスターの全生産期間(1989-1997)を通じて、最も生産台数が少ないボディカラーとのことです。その数、わずか367台・・・NAロードスターの国内生産台数が118,823台ですから、その割合はわずか0.3%。1,000台走って3台いるかいないか。これが、どれほどの希少性かお分かりいただけるでしょうか(※正確には、SRリミテッドのスパグリは366台)。


一方で、SRリミテッドには白のボディカラー「シャストホワイト(PT)」も用意されました。こちらは専用色ではなく、NA8Cシリーズ1から設定されたもので、シリーズ2の時代においてはカタログモデルのなかで31%を占める圧倒的人気色だったようです。

SRリミテッドとして生産されたのはホワイトが414台、スパグリが366台、合わせて780台。カタログでは700台限定とありましたが、若干多く生産されているのは嬉しい誤算だったでしょう。限定商法が蔓延る(はびこる)昨今において、しれっと増産しているのはマツダらしい微笑ましいエピソードではないでしょうか。

さて、そんな前提でミーティング会場を見渡すとスパグリ16台、ホワイト3台が集結。複数のオーナーの手を渡ったものから、ワンオーナーの個体まで、28年間大切にされていたロードスターたちは「しあわせ」のオーラが溢れていました。

寄せ集めか、集大成か


SRリミテッドが特別たる所以はボディカラーだけではありません。このモデルは(失礼を承知で書けば)NAの歴史において、在庫一掃セール的な「パーツの寄せ集め」と揶揄されることもありました。

<SRリミテッド追加架装>

メーターリング、メーターパネル:M2 1028のデザイン流用
バフ掛けホイール、メッキミラー:B2リミテッド、VスペシャルⅡ
NARDIシフトノブ:Sリミテッド、SスペシャルⅡ等
MOMOステアリング:Mパッケージ標準(エアバッグ付き)
シート、ドアトリム:専用架装

実は、ヌバック調生地と本革を組み合わせた専用のシートと、ドアトリムだけが唯一のものでしたが、ディティールのみで限定仕様を評価するのは本質ではありません(むしろ白のSRリミテッドはほぼそこでしか見分けがつかない)。

我々ロードスター乗りは、この「寄せ集め」という行為自体がチューニングやレトロフィットの楽しさであることを知っています。SRリミテッドはオーナーが「いつかやりたい」と考える「純正部品を使った最高の組み合わせ」を、メーカー自らが新車で実現してくれた、ある意味で良心の塊だったといえるのではないでしょうか。

初出は不明ですが、SRリミテッドは在庫一掃な「サヨナラリミテッド」という無粋なものではなく、マツダがNAロードスターの8年間の歴史で生み出してきた成功(Succeed)を、Mパッケージというキャンバスへ自らの手で全部詰め込んだ(Remind)、正真正銘の「集大成」なのです。


1997 MX-5 Berkeley

なお、SRリミテッドと同じ時期、ライトウェイトスポーツの本場となる英国でも「もう一つの最後」が用意されていました。それはスパークルグリーンメタリックのボディカラーを採用した限定車「MX-5 Berkeley(バークレー)」です。

面白いのが、SRリミテッドが「1028」や「Sスペシャル」といった、ユーノスの「走り」に関わる系譜のパーツを採用したスポーツモデファイであったのに対し、Berkeleyは名称(ロンドンの5つ星ホテル由来)の通り、トランクキャリア装備などで「ツーリング」や「伝統」を意識した設えになっていました。

同じキャンバスを使いながら、日(SR)英(Berkeley)で、かくも異なる「集大成」が描かれたこと。これは、ロードスターという「クルマ」が持つ文化の多様性や奥深さを示すものでした。

ちなみにBerkeleyは生産台数は400台。国内のSRと合わせると「スパグリ」のロードスター/MX-5は766台。全NAロードスターの世界生産台数は431,506台なので、世界中で0.18%しか存在しない、あらためて希少なボディカラーといえるでしょう。

SRリミテッドが次世代へ継いだもの


SRリミテッドはユーノスロードスター最後の限定車として知られていますが、それゆえに「SRリミテッド = 最後に生産されたNA」という神話が生まれがちです。

ここで主催資料を確認しますと、SRの生産期間は1997年8月1日から10月27日、しかしユーノスの最終生産日は1997年10月28日。お気づきのとおり、SRリミテッドの生産が終わった後に、最後の1日が残されていました。もちろん、SRリミテッドが生産されていた期間(1997/8/1〜10/28)も、通常モデルは並行生産されていました。その数、SRリミテッドが780台、に対して通常仕様が732台とほぼ半々だったようです。

結果、国内仕様における「ユーノス最後の1台(車体番号が一番最後)」は、シルバー、MT、Sパッケージ。SRリミテッドは「象徴的な最後」ではありましたが「物理的な最後」ではない、ロードスターらしいオチがあるようです。特別な限定車ではなく、誰もが愛した標準的なロードスターがNAの歴史の最後を締めくくったのですね。


NBロードスターの生みの親であり、当時NAの主査も務めていた貴島孝雄氏によるSRリミテッドのカタログにおけるメッセージ(抜粋)には、以下のように記されています。

レギュラーモデルと特別限定車によって、ロードスターはより高度なスポーツ性能からファッションテイストまで多彩な可能性を提示してきました。今回のSRリミテッドはその集大成。そして同時に、私たちの情熱の未来への連性(れんせい)を示すものです。これまでロードスターを支持し、新しい明日に期待してくださる人々に、心を込めてお届けします。どうぞ存分にお楽しみください。

「未来」とは何か?それはSRリミテッドが発売わずか数ヶ月後、1998年1月にデビューするNBロードスターです。SRリミテッドとは、NAが8年間で培った集大成であると同時に、次世代へロードスター情熱を繋ぐために用意した、バトンそのものだったのです。

ミーティングとはアーカイブそのもの


彼ら(SRオーナー)が、なぜあれほどまでに強い「絆」で結ばれているのか。 それは、「NA史上0.3%の奇跡の色」を背負い、NAの「集大成」たる装備を守り、そしてなによりNBロードスターへと繋がる「未来への連性」というメッセージを28年間、文字通り「走りながら」守り続けてきたからでしょう。

つまり、私が垣間見たのは「仲良しグループ」の集まりなどではなく、彼らはロードスターの火を絶やさずに走ってきたアーカイブそのものでした。このクルマを文鎮にせず走らせること、集まること、そして語り継ぐことで、その歴史的価値がより深まっていく・・・それを目の当たりにすることができました。


なお、シャイなオーナー陣は決して自分の愛車を自慢することなんてありませんでしたが、他オーナーが彼らの愛車を眺める度に、嬉しそうな笑顔になっていたこと、見逃しませんでした!

私の懸念は、全く的外れなものでした。勝手に壁を作っていたのは私で、同じロードスターを愛でる者同士に言葉は要りませんでした。単に、今回はあくまでスパグリが主役なだけで、彼らを改めて検証する貴重な時間となりました。

NBロードスターアーカイブとしては、自身の愛車を守り続けるオーナーの方々に最大の敬意を表します。そしてNB乗りである私もまた、彼らから受け取ったバトンを次の世代へ繋いでいく、「今」を走る一人であることを誇りに思います。

関連情報→

最後のユーノス、SRリミテッド

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