ロードスター「ヨー慣性モーメント」の低減

ロードスター「ヨー慣性モーメント」の低減

この記事を読むのに必要な時間は約17分です。


今回はマツダ・スポーツカーの解説でよく耳にする「ヨー慣性モーメント」の話です。最近こそ少なくなりましたが、古いカタログや雑誌でこの言葉を目にするたびに、「またマニアックなことを書いてるな」と流してしまう方も多いかもしれません。しかし、この概念こそロードスターのハンドリングの「気持ちよさの物理的な正体」であり、エンジニアたちが血眼になって磨き上げたクルマの素性にあたるのです。

ヨーとは「ヨーイング」のことで車体の【回転運動】を指し、「モーメント」は運動を引き起こす【キッカケ(能率)】を指した言葉です。

クルマにおいて「曲がる」というアクションは、パワー伝達、車重、タイヤ、足周り、駆動形式などの様々な要素が絡みあって成り立っています。その中でも物理的な要素、とりわけ「回頭のしやすさ」にロードスターは異常なほどこだわっている、というのが今回のトピックです。では、このメカニズムを解き明かしてみましょう。

諸元(パッケージング)を読み解く(走りのDNA)


クルマのカタログには必ず諸元(パッケージング)が記されています。駆動方式、全長、全幅、全高、ホイールベース、トレッド、馬力、重量などのスペックは、そのクルマを理解する客観的なデータになります。

NBロードスター開発主査を務めた貴島孝雄氏の言葉をお借りすると、その中でも注目すべきは「ホイールベースとトレッド」になるそうです。何故ならば、サスペンションやタイヤは後からユーザーの手で交換・改造できますが、ホイールベース(前後の車軸間距離)とトレッド(左右のタイヤ間距離)だけは、切った貼ったの大工事をしない限り変えられません。つまり、メーカーでしか設定できない「素性(DNA)」そのものなのです。


クルマの諸元(パッケージング)は商品企画時、つまり開発のスタート時に設定します。

ロードスターに話を戻しますと、ライトウェイトオープンカーを現代に再現するという目的のために、「FR」「重量配分が50:50」「街乗りが出来る」「価格を抑える」という要件が根本にあり、そこから逆算してボディサイズや目標重量、馬力、シャシー設定などの諸元が決められていきました。

なお、プロのエンジニアは現車が存在しなくとも、諸元の数値だけを読み込むことで、そのクルマが「直進安定志向」なのか「コーナリングマシン」なのか、開発者の狙いが手に取るように分かるそうです。

ホイールベースとトレッド(黄金比の四角形)

単位はmm 全長 全幅 全高 ホイール
ベース
トレッド
フロント
トレッド
リア
F比 R比 F-R
NA 3,970 1,675 1,235 2,265 1,405 1,420 1.61 1.60 0.02
NB 3,955 1,680 1,235 2,265 1,415 1,440 1.60 1.57 0.03
NC 4,020 1,720 1,245 2,330 1,490 1,495 1.56 1.56 0.01
ND 3,915 1,735 1,235 2,310 1,495 1,505 1.55 1.53 0.01
STRATO’S 3,710 1,750 1,115 2,180 1,430 1,460 1.52 1.49 0.03

「走りのDNA」を指すホイールベースとトレッドは、それらを線で繋ぐと四角形になります。この四角形の形こそが、ハンドリングの性格を決定づけます。上記の表におけるF比とは、ホイールベースをフロントトレッドで割った数値、R比はリアトレッドで割った数値です。

縦長(レクタングル)
ホイールベースが長く、トレッドが狭い。直進安定性が高く、挙動が穏やか

正方形に近い(スクエア)
ホイールベースが短く、トレッドが広い。回頭性が鋭く、コマのように回る


歴代ロードスターにおいて、NA(初代)とNB(2代目)はホイールベースが同一(2,265mm)ですので、基本的に同じ形の「四角」を持っています。これは、NBがNAのプラットフォームを継承・熟成させたモデルである証左です。

加えてNCロードスター以降は、ボディサイズが拡大しホイールベースが伸びていますが、それに合わせてトレッドも拡大されています。つまり、四角形そのものは大きくなっても、「縦横比(アスペクトレシオ)」はほぼ踏襲されており、F比やR比を踏まえれば先代よりもハンドリングに素性を振っていることが分かります。諸元や見た目(エクステリア)は違えども、「走りに関するDNA」はブレていないことが、ここから読み取れるのです。


また、正統ライトウェイトスポーツであるロードスターは、この四角形の内側に、重量物を可能な限り低く、そして中心に寄せて配置するという設計思想があります。


その本質は、マスの集中化(重量物を中心に持っていく)とともに、前後ニュートラル(50:50)の重量配分にするのは、コスモスポーツから始まり、歴代RXシリーズなどでも設定される、マツダ・スポーツカーにおけるフィロソフィーです。

鼻先を軽くする物理学(距離の二乗が効いてくる)


ここで本題の「ヨー慣性モーメント」です。

マツダのエンジニアたちは「軽さが性能」であるロードスターにおいて「グラム作戦」を行い、ネジ一つに到るまで軽量化を行います。その中でも特に、前後の車軸より外側の部分である「オーバーハング」、つまり鼻先の重量軽減には異常なほどの執念を燃やします。

なぜ、全体の1kgよりも、鼻先の1kgの方が重要なのか?それは、回転運動における「慣性モーメント(I)」の公式を見れば一目瞭然です。


I:慣性モーメント(回りにくさ・止まりにくさ)
m:部品の質量
r:重心(回転軸)からの距離

注目すべきは、距離 r が「二乗(r2)」で効いてくるという点です。重心(ドライバーのお腹あたり)に近い場所にある1kgと、重心から遠いバンパーの先端にある1kgでは、回転に対する影響度が桁違いなのです。

分かりやすい例え話をしましょう。バケツに水を入れてグルグルまわすとします。

①体重60kgの人間が3リットルのバケツ水を回す
②体重62kgの人間が1リットルのバケツ水を回す

①も②も、バケツごと体重計に乗れば総重量は同じ63kgになります。でも、水の重さを考えるとどちらの方が【重力の影響】が少ないかは明白です。バケツが軽いほうが回しやすいですよね?

別の事例で行けば、フィギュアスケート選手の回転ジャンプは、重心を中央に寄せるために胸に手を充てます。腕を伸ばして重りを持ったフィギュアスケート選手は、回転速度が上らないからです。

つまり、オーバーハングにある重量物は、クルマが曲がろうとする時に「抵抗」となり、曲がり始めたら今度は「遠心力」となって外へ飛び出そうとします。


ロードスターは駒(こま)のように、ドライバーを中心に「前後バランスの均衡」をとりながら、ギュッと重量物を中央に寄せています。鼻先が軽くなるほど、物理法則に基づいた軽快なハンドリングが可能になるのです。

よくいわれる「オーバーハングの1kgの軽量化は、車体中心の10kg〜15kgの軽量化に相当する」というのは、決して大袈裟な表現ではなく、この「二乗の法則」に基づいた物理的な事実なのです。これがオーバーハングの1kgの重量は、車体中心の100kg相当と同義である。それが「ヨー慣性モーメントの低減」という思想です。

NAからNB、リトラ廃止の真の意味


もちろんNAロードスターも鼻先を軽くするために、異例の技術(ブロー成型バンパー)を採用したストーリーも残されています。

例えば「樹脂バンパー」の情報をもとに、生産技術へ野球のバットを持って慣性モーメントの説明に向かった。グリップではなくヘッドを持つと、バットは簡単にクルクル振れる。逆にグリップを持ったら重くて、キビキビ振ることができない。「クルマも同じだ。遠くにあるのは何だ?バンパーでしょう。軽くしなければ駄目だ!」と現場に説いて回る。先方には「こんな安定しないもの(材質)で何をいうか!」といわれたけど、バットを振ってみろと現場で示す行動力があった。これがNAにブロー(成型)バンパーが採用されたいきさつになる。

NB20周年 貴島さんインタビュー
初代ロードスター主査「平井敏彦」氏エピソードより

さらに、この物理法則を理解すれば、NBロードスターへのモデルチェンジで「リトラクタブルヘッドライトが廃止された理由」が、単なるコストダウンや安全基準への対応だけではないことが見えてきます。


NAロードスターのチャームポイントであったリトラクタブルヘッドライト。しかし、運動力学の視点で見ると望外な重量物になっていました。リトラユニットは、ヘッドライト本体だけでなく、それを持ち上げるモーター、リンク機構、補強材などを含めると、左右で約10kg以上の重量物になります。そして、それが配置されているのは、重心から最も遠い「ノーズの最先端」です。


NBロードスターでは、これを固定式の樹脂製ヘッドライトに変更、これで5.56kgの重量減となっています。さらに、バッテリーやスペアタイヤをトランク床下に移動させ、重心高を下げつつ車体中心へ寄せました。その結果、NBロードスターは車両総重量(静的重量)こそNAより増えましたが「ヨー慣性モーメント(動的重量)」は確実に低減されています。バンパーを外すと、本当に何もない!

ハンドルを切った瞬間の「スッ」とノーズが入る感覚。S字コーナーで切り返す時の遅れのなさ。これらは、エンジニアたちがオーバーハングの贅肉を削ぎ落とした結果手に入れた、物理的な快感なのです。

歴史に見る「ヨー慣性モーメント」を低減した名車たち

「重量物を中心に寄せる」という思想は、ロードスターだけの専売特許ではありません。古今東西、ハンドリングを極めようとしたエンジニアたちは、皆この物理法則と戦ってきました。いくつかの事例を紹介しましょう。


① マツダ・RX-7 (FD3S):フロントミッドシップの極地
ロードスターの兄貴分であるRX-7は、その究極形です。軽量コンパクトなロータリーエンジンの特性を活かし、エンジン本体を前車軸よりも完全に「後ろ」に搭載、これをマツダはフロントミッドシップと呼称しました。これによりボンネットの中身(先端部分)は、ラジエーターなどの冷却系だけでスカスカの状態です。あのカミソリのような回頭性は、徹底的なマスの集中化から生まれています。


② ポルシェ・944 / 968:トランスアクスルの執念
FRレイアウトの重量配分を改善するために、トランスミッションをエンジンの直後ではなく、プロペラシャフトを介してリアデフと一体化させた「トランスアクスル方式」を採用しました。
重い変速機を後ろに持っていくことで、前後重量配分を50:50に近づけヨー慣性モーメントを整える。日産GT-R(R35)やレクサスLFAも採用する、コストのかかる手法です。


③ ホンダ・S2000:バルクヘッドへの食い込み
ロードスターのライバルとされたS2000も、強烈なパッケージングを持っています。直列4気筒エンジンを、ボンネットを開けても「あれ、どこ?」と思うほど奥(キャビン側)に押し込んでいます。ダッシュボードの下にエンジンが食い込むような配置にすることで、ノーズを軽くし、鋭いコーナリング性能を実現しました。また、スペアタイヤもトランクルームの奥(幌の下)にあるという変態的なパッケージ。ホンダの本気を感じます。


④ ランチア・ストラトス:曲がるために生まれた狂気
WRC(世界ラリー選手権)で勝つためだけに作られたこのクルマは、ホイールベースを極端に短くし、フェラーリ製V6エンジンを背中に背負うミッドシップを採用し、コクピットの前後はほとんどオーバーハングがありません。直進安定性を捨ててでも、コーナーをクリアすることだけに特化した「回転するコマ」そのものの設計です。

その他、33、34GT-RやMR2(SW)、90スープラなど、バッテリー位置を確認するだけでも感動することが出来ます。これらの名車たちと同様に、ロードスターもまた「物理法則」に忠実なパッケージングを、アフォーダブルな量産車で実現している点に凄みを感じませんか?

一番コストがかかるのは「小さくて軽い」


前後をより切り詰めれば素晴らしいハンドリングマシンになるのではないか?と思われますが、もちろん答えはイエスです。しかし近代自動車において、自分さえよければいいという考え方では市場に出ることは許されません。


安全基準、とりわけ衝突安全性というのはとても重要です。NAロードスターで約35年前、NBロードスターでも約25年前のクルマではありますが、近代の設計思想と同じくクラッシャブルゾーン、つまり衝撃吸収部分のクリアランスを鼻先で確保しているのです。

したがって、そのギリギリまでオーバーハングを突き詰めているのがあのプロポーションであり、バンパーの先端の中身は実はスカスカなのです。もちろん鼻先を軽くするために、NBではアルミボンネット(NAから継続)や樹脂製の軽量バンパー、軽量衝撃吸収材を採用しました。メーカーでしか造りこめない部分をより突き詰めていきました。先端は実はスカスカなのです。


クルマは時代とともにレギュレーションが変更され、大きく・重くなりがちです。それは動力性能だけではなく安全基準のクリアランスを確保する戦いといっても過言ではありません。
むしろ、軽量化を行うにはクルマを大きくして安い鉄を使った方がコストはかかりません。実は一番コストがかかるのは「小さくて、軽くて、安全な設計」なのです。

分かりやすい例はNBロードスターと同じ時期に販売されたスーパーカー、約2,000万円の「フェラーリ360モデナ」と約1億円の「マクラーレンF1」です。

車種 全長 (mm) 全幅 (mm) 全高 (mm) 重量 (kg) 価格
フェラーリ 360モデナ 4,490 1,925 1,215 1,430 約2,000万円
マクラーレン F1 4,287 1,820 1,140 1,140 約1億円

マクラーレンF1は、カーボンモノコックなどの高価な素材を湯水のように使い、徹底的に「小さく・軽く」作られました。その結果、価格は跳ね上がり、販売的には赤字だったともいわれています。一方、フェラーリはこの世代からアルミスペースフレームを採用しつつも、ボディサイズを大型化する道を選びました。

「小さくて軽い」を実現するには、マクラーレン級のコストを掛けるか、あるいはマツダのエンジニアのように「知恵と工夫(グラム作戦)」で物理の壁を越えるしかないのです。NA/NBロードスターが200万円台で販売されていたことは、奇跡といっても過言ではありません。

走りのDNAは継がれていく(NC、そしてNDへ)


旧来のロードスターを振り返ると、パワーユニット(エンジン)は頑丈ではありますが特に官能的なわけではありませんでした。B6型やBP型エンジンは、実用エンジンベースの鋳鉄ブロックであり、決してレーシングエンジンのような鋭さはありません。

むしろ、中古でダンパーが抜けていても、タイヤに頼らずとも、珠玉のシャシーセッティングのおかげで楽しく走れるのが絶対の性能・・・楽しさに繋がっていました。つまり、NA/NB世代がスポーツカーとして評価されていた点のひとつは「ハンドリング」ではないでしょうか。

それは居住スペースを2シーターに割り切ってホイールベースを抑え、着座位置を下げてボディを薄く、低く、軽くして、前後のオーバーハングを切りとばす、そんな「走りのDNA」・・・先天的なボディの作り込みがあったおかげです。そして、この思想は、モデルチェンジを経てもブレることはありませんでした。


NCロードスター(3代目)(重量配分の妙技)
「大きくなった」「重くなった」と言われがちなNCですが、パッケージングの視点で見ると驚異的な進化を遂げています。エンジン搭載位置をNBに比べて、なんと約135mmも後方へ移動させています。さらに燃料タンクをホイールベース内の低い位置へ移動させました。これにより、NCのヨー慣性モーメントは、実はNBを下回っています。見た目のボリュームとは裏腹にNCの回頭性が鋭いのは、この徹底した「マスの集中化」による物理的な勝利なのです。

NDロードスター(4代目)(原点回帰のその先へ)
現行のNDではフロントフェンダーやバンパーレインフォースまでもアルミ化し、さらには「SKYACTIV-CHASSIS」によって前後重量配分50:50はもちろんのこと、ヨー慣性モーメントを歴代最小レベルまで低減させました。歴代マツダスポーツカーで培われた「マスの集中化」への執念が、最新の素材技術と共に昇華されたのです。


見た目こそ違えど、軽さだけでなく重量物を中心に持っていくパッケージングは歴代ロードスターの不文律です。つまり、ハンドリングのためにここまで「ヨー慣性モーメント低減」を突き詰めているのです。

なお、マツダR&D横浜センター横浜のバックヤード(※)にて、歴代ロードスターの樹脂バンパーが技術展示されています。バンパーそのものの肉厚の薄さと軽さに驚くはず!機会があれば見比べてください。
※2025年末時点でのバックヤードツアーにて確認


ロードスターのステアリングを切った瞬間に感じる、あの吸い込まれるような回頭性。それは、バケツの水を回すだけでも実感することが可能です。バンパーを軽くして、リトラクタブルを廃止し、エンジンをキャビンにめり込ませ、グラム単位で重量を削り取ったエンジニアたちの、物理法則への誠実な回答といえるのではないでしょうか。

関連情報:

NA/NBロードスター 足周りの特性(セッティング)

ロードスターヒストリーカテゴリの最新記事