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ギネス世界記録で「世界一売れたオープン2シータースポーツカー」として認定を受けているロードスター。マツダが素敵なのは、該当車両をきちんとピックアップして、保存していることです。ロードスターの年間販売目標は3.6万台といわれており、約30年でギネス記録を達成していますから、とても順調なペースではないでしょうか。
ギネスの名は日本では「すごい記録」くらいの感覚ですが、ヨーロッパではとても名誉なことであることもポイントです。
ブランド認知97% ギネス世界記録
ちょっと古い世代ではおなじみの、毎年9月に発行される世界一を集めたレコード集「ギネスブック」。
現在も世界各地から、様々な分野で「世界一が何か」を【認定されたカテゴリー/ルール】に従って、イギリスのギネスワールドレコーズへ申請が行われ、「ギネス世界記録」として偉業やおどろきを「公式に」世界一として認定しています。
そのルーツはアイルランドのビール会社ギネス醸造所(※ギネスビールの会社)の代表取締役だったヒュー・ビーバーが、仲間とヨーロッパ一速く飛べる鳥は何かという議論が発端で、1955年にギネスブックの初版が発行されています。
そういった歴史もあり、イギリスの「ギネス世界記録」におけるブランド認知度は97%にもなるそうです。ちなみに、国内にも「ギネスワールドレコーズジャパン」という日本支社があり、ギネスブックへの申請は可能です。
初代ギネス世界記録 MG-B
ギネス世界記録のなかにある公式カテゴリーには「Best-selling convertible two-seater sports car」、つまり「世界一売れたオープン2シータースポーツカー」というカテゴリが存在します。
かつて、そのトップはライトウェイトスポーツカーの大先輩、英国車「MG-B(1962-1980)」がその座を守っていました。
モデル | Roadster | GT | 計 |
MarkI | 115,898 | 21,835 | 137,733 |
MarkII | 31,767 | 16,943 | 48,710 |
MarkIII | 110,643 | 59,459 | 170,102 |
ラバーバンパー | 128,653 | 27,045 | 155,698 |
合計 | 386,961 | 125,282 | 512,243 |
今やブランド名だけが残って他社が運営するMGですが、マツダロードスター以前の2ドア・オープンカーはMG-Bが代名詞的な存在でした。
ボディ全体は独自設計のスチール製モノコックであり、先代MG-Aとは根本的に異なる構造となっています。そのボディに親会社だったBMCブランド車の既存部品を組み合わせ、開発・生産コストを抑える設計としています。
ベースモデルのパワーユニットは直列4気筒OHV(1800cc 95英馬力)。なお、派生型は最終的に3.5LV8エンジンを積んでいます。
いまでこそクラシックで粋なデザインにみえますが、デビュー当時は「流れるようなボディライン」は斬新で前衛的と評されていました。また、先代よりも著しく向上した運動性能と快適性、そしてアフォーダブルな価格によって大ヒットし、派生モデルも多く誕生することになりました。
そして、1980年にモデル終了となったMG-B(&MG-C)から約10年後の1989年、初代ユーノスロードスターは誕生をしました。
1999年 ロードスター生産10周年イベントサインカー
1989年のユーノスロードスターデビューから10年目を記念して、NBロードスター10周年記念車がサインカーとしてピックアップされ、イベントにてファンの署名が行われました。こちらの車両は現存しますので、近年でも大型イベントに展示されることが多いです。
貴重な日本仕様の10周年記念車を使用するなんて、結構贅沢なことだと思います・・・
この車両は10周年記念車の「カタログ撮影車両」が提供されており、目に見える架装はすべて10周年記念のオプションと塗装になっていますが、ボンネットを開けた際バルクヘッドがエボリューションオレンジマイカであるので、再塗装されていることがわかります。(情報提供:京都M氏)
2000年5月 ロードスター50万台メモリアル車両
現在もギネス世界記録における「世界一売れたオープン2シータースポーツカー」のマツダロードスターですが、18年かけて作り上げたMG-Bの座を、10年かけて奪還することになりました。以下、当時のプレスリリースより引用です。
ロードスターは1989年2月のシカゴオートショーでデビューした。以来、世界各国のスポーツカーを愛するユーザーから幅広い支持を受けており、ロードスターの愛好家によって運営されているファンクラブも国内外に多数存在する。
今回のギネス認定は、ロードスターの生産累計500,000台達成を機にマツダが2人乗り小型オープン・スポーツカーの最多生産台数記録としてギネスワールドレコード社へ昨年11月に申請し、今年5月に認定取得に至ったものである。 マツダのフィールズ社長は「今回のギネス認定はロードスターが生産開始からわずか10年で世界のスポーツカーのトップブランドに躍り出たことを証明するものであり、大変光栄である。」と語っている。
それに合わせ、50万台生産記念のメモリアル車両がマツダに保管されています。しかし、国内仕様と北米仕様2台が存在し、本当に生産現場からピックアップしたものかどうかは不明です。ただ、NBロードスターのテーマカラーであったエボリューションオレンジマイカはすでに前年(1999年初頭)にカタログ落ちしており、先に車両をピックアップしておいた可能性はあります。
50万台メモリアル車両①
一台は、マツダミュージアム等で展示されていた個体であり、エボリューションオレンジマイカのNB1(国内仕様)です。500,000台記念のラッピングが施されています。
ディティールを確認すると、NBのフラグシップグレードであるVSやRSではなく、14インチのSパッケージ(1600cc)、もしくはSグレード(1800cc)であることが分かります。
50万台メモリアル車両②
もう一台のメモリアル車両は、北米仕様ミアータがその座を得ているようで、イベント車両として現在も展示されています。
2004年3月 ロードスター70万台メモリアル車両
2000年の申請から4年後という、結構早めなペースでロードスターは生産70万台を迎えます。国内では不調でしたが、グローバル市場では初代ユーノスロードスターと比べても引けを取らないヒットをしていた証でもあります。以下、プレスリリースより引用です。
ロードスターは、2000年5月に生産累計531,890台※で「2人乗り小型オープンスポーツカー生産台数世界一」としてギネスワールドレコードに認定された。マツダは生産累計70万台の達成を記念し、再び「2人乗り小型オープンスポーツカー生産台数世界一」としてギネスへ申請する。
※:1989年4月~1999年10月末時点
プレスリリースにもあるように、70万台のメモリアル車両は北米仕様のロードスターターボ、正式名称「Mazdaspeed MX-5 Miata」です。
この車両は北米仕様といこともあり米国へ送られて、ステッカーは控えめなものに変更されていますが50万台車両と同じく現在も保管され、イベントでその出番を得るようです。
2007年1月 ロードスター80万台ラインオフ車両
2005年初夏のNCロードスターデビューから約1年半を経て、ロードスターの生産は80万台に突入しました。70万台からのペースでいけば、年間約5万台売れていたことが分かります。
グローバル目標が約3万台といわれているロードスターですから、当時はNCロードスターも間違いなく「売れていた」ことが分かります。以下、プレスリリースより引用です。
ピックアップされた車両は北米向けソフトトップモデルです。国内仕様では廃止されたサイドマーカーが現地保安基準の関係から装着されており、まるで「ほっぺた」にみえる可愛いアクセントになっています。
2009年 ロードスター20周年サインカー
1999年の10周年記念車と同じく、20周年を境にサインカーが設定されました。NCロードスターには20周年記念車が設定されていますが、こちらはカタログカラーのサンフラワーイエロー(RHT)がピックアップされています。
10周年と同じくファンの署名が行われ、今でも現存しているので大型イベントで見かけることが可能です。
2011年2月 ロードスター90万台メモリアル車両
リーマンショックによる世界的な不況の影響が残る中、スポーツカーは冬の時代を迎えていました。しかし、ロードスターはその歴史を閉じることはせず無事に延命し、70万台でギネス申請したNBターボから7年後の2011年、90万台を達成しました。以下、プレスリリースより引用です。
マツダは、次の大きな目標である100万台達成に向け、『ロードスター』の基本である運転の楽しさを追求しながら、より環境・安全性能を高めたクルマへと進化させてゆくことをお約束します。
90万台のメモリアル車両は、欧州仕様のNC2ロードスターRHT、正式名称「MX-5 Coupe」です。
カッパーレッドのボディカラーにラッピングを添え、50万台記念車両、ネオグリーンのユーノスロードスターとともに記念撮影されています。
なお、ネオグリーンのユーノスロードスターは初代主査をされた、平井さんからの寄贈車です。現在もマツダの広報車両としてメンテナンスされ、活躍をしています。
2016年4月 ロードスター100万台メモリアル車両
2015年にデビューしたNDロードスターは、近年まれにみる「スポーツカー」としてヒットした車両で、デビュー翌年にはシリーズ100万台の生産を達成し、歴史に花を添えました。以下、プレスリリースより引用です。
初代の登場以来、これまで3度のフルモデルチェンジをしながら今日まで販売を続けることができたのは、世界中で『ロードスター』を支持してくださっているお客様のおかげです。マツダは今年で創業96周年を迎えましたが、節目となる100周年に向かって、『ロードスター』を今後もマツダブランドを象徴する車としてお客さまに走る歓びをお届けすることで、お客様との間に特別な絆を持ち、選ばれ続けるオンリーワンのブランドになることを目指しています。
このロードスターは国内ソウルレッド・ソフトトップ仕様として生産されました。
また、NDロードスターデビューの直後ということもあり世界9カ国、35のファンイベント展示されました。そして、車体には1万人を超えるロードスターのファンから、ボディにサインが書き込まれました。
少しだけ気になるのは、100万台記念車両を一緒に撮影された広報車両たち。
初代ユーノスロードスターは先に書いた通り平井主査からの寄贈車両ですが、NBは50万台車両からRSグレードにさし変わっています。また、NCは90万台車両のNC2RHTから、NC3のソフトトップへさし変わっています。すごく個人的な意見ですが、広報車両であればNC1つまりNC初代のグレードがチョイスされれば最高だったのにな・・・と思います。
なお、北米マツダはこれらのメモリアル車両だけでなく、様々な記念車両を保存しており、やはりミアータのベントに華をそえています。そのコレクタブルなラインナップは圧巻の一言。ぜひ一度、ナマの状態を拝見したいものです。
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