偉大なるロードスターの従姉妹、フォード・カプリ

偉大なるロードスターの従姉妹、フォード・カプリ

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NAロードスターが北米市場でデビューしたのは1989年5月。その心臓にはマツダ謹製のパワーユニット、ファミリア用のものを再調整したB型エンジン(B6-VE(RS))が搭載されていました。

ただ、ほぼ同じ時期に、同じB型エンジンの心臓を持つオープンカーもデビューしていたことを覚えているでしょうか?それが3代目「フォード/マーキュリーカプリ(Ford Mercury Capri)」です。

その大きな特徴は、現代に蘇ったアフォーダブルなオープンカーであるだけでなく、同じマツダB型パワーユニットを持ち、BF系ファミリア(1985~1989)のパワートレインを活用して生産されていたことです。まさに、ロードスターの従姉妹(いとこ)といっても過言ではありません。

企画のルーツは「フォード・バルケッタ」


1983 Ford Barchetta Concept
カプリのベースになった企画は、1983年のフランクフルトモーターショーで発表された欧州フォードの「バルケッタコンセプト」まで遡ります。

すでに「終わっている市場」だったアフォーダブル(=手が届きやすい)・ライトウェイト・オープン2シーター市場でしたが、このクルマは欧州フォード責任者であり、エンスージアストでも有名だったボブ・ラッツ氏の指示で作成されました。


デザインを担当したのは「デ・トマソ・パンテーラ」や「いすゞ117クーペ」も描いた、イタリア名門のカロッツェリア・ギア。コンパクトでありながらもギュっと凝縮された力強いフォルムは、今の目で見ても新鮮に映るカッコよさ。


テールランプからリアフェンダーの処理なんて、日本車では絶対に見ることのできない大胆さです。(近年でレクサスISあたりが頑張っていますが)まさに、ついに蘇ったライトウェイトスポーツでした

ショーの反応はもちろん大好評。コンセプトカーの役割である「こんなクルマあったら嬉しい!」と、かなりの好感触を得たことにより、本格的なプロジェクト検討に入りました。

しかし、量産にあたり残念ながら「このままでは売れない」と判断されました。

そこでボディサイズ(車格)を大きくして、4シーター(2+2)に企画を軌道修正することになります。ちなみにフォードのプログラム承認は1985年・・・「サンタバーバラの冒険」で量産承認を得たロードスターと全く同じ時期に、本格開発がスタートしました。

実の事を書くと、フォードはミアータの開発状況を認識していたことから「マツダより半年先に出す」という目標があり開発を急いだ背景があることも、あのトム俣野氏(俣野努氏:ミアータオリジナルデザイナー)が語られています。

「カプリ」の復活


ちなみに「カプリ(Capri)」とはイタリアの島に由来したもので、1970年~1994年の間にフォード(リンカーン/マーキュリー)によって、部門をまたいで採用されたペットネームです。その対象はマスタングと同じくポニーカー(若者が手に入れるクルマ)として位置するものであり、マッスルなマスタングよりももっと気軽に、肩肘張らないで乗れるクルマへ命名されてきました。

そして今回、コンパクトオープン2シーターとして復活するのがしばらく世代が途切れていた3代目「カプリ」。80年代後半の好景気と、価値観の多様化、そしてマーキュリーブランドのために復活させたのでした。


ブランド名になる「マーキュリー」とは、フォードにおいて、大衆車(フォード)と高級車(リンカーン)の中間に位置づけられていました。その名の由来はローマ神話に登場する商業神メルクリウス(英語名)にちなんだものです。残念ながら現在は、リーマンショック後のフォードブランド統廃合に併せ、70年以上あった歴史を2011年に閉じています。

カプリのデザイン


1989 Ford Capri
このバルケッタ企画は、先の「車格を上げる」要望をもとに、再びカロッツェリア・ギアによりリデザインされ、インテリアはイタルデザインが担当することになりました。


特徴的だったフォード・バルケッタのヘッドライトは灯火レギュレーションの関係により(※NAロードスターと同じ理由)リトラクタブル・ヘッドライトに変更されました。ただ、バルケッタの名残はボディサイドまで伸びたマーカーランプの「表情」として残されています。さらに、立ててブラックアウトさせたAピラーと三角窓が、とてもお洒落です。


特徴的なフロントフェイスとは逆にリア周りは堅実な、スクエア(角ばった)・デザインにリファインされています。当時ライバルとされていた「CR-X」「MR2」「パルサーEXA」あたりと同じ時代の空気を感じます。

トップを下ろす(幌を開ける)とリアが若干間延びして見えるのは、4シーター(2+2)であることと、一定のトランクスペースを稼ぐためのものであり、幌車の宿命です。しかし、幌を閉じるとなかなか色気のあるクーペルックに様変わりします。


また、オプションにハードトップも用意されており、装着するとよりローポリゴンなフォルムに変貌します。やはり、今の目で見ると一周回ってカッコいいですよね!

カプリのメカ


カプリのプラットフォームを提供したのは、フォードグループの一角を担っていたマツダでした。そこで選ばれたマツダBFプラットフォームは、国内のファミリア(323)だけでなく、フォード・レーザーや、マーキュリー・トレーサーなどにも採用されており、FF(前輪駆動)でB型エンジンを搭載する車台となっています。

選択されたパワーユニットは1600ccのB6Dエンジン(B6SOHCエンジン)と、B6Tターボエンジン(134馬力)。B6でターボ?と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当時のマツダはファミリアでWRC(世界ラリー選手権)に参戦していたので、B型エンジンのターボはかなり早い時期から市場提供されていました。


しかし様々な事情により、本来のデビュー予定に間に合わず、1年以上スケジュール超過をしてしまうことになります。

プログラム遅延で一番大きかったのは、直前の安全基準レギュレーション変更(北米でのエアバッグ装着が義務化)であり、全ての衝突安全実験をやり直したことは、膨大な追加コスト(3億2800万ドル)を招きました。

生産はオーストラリア・フォードが担うこととなり、北米市場へ出荷することになるのですが、プログラム遅延の影響で先にデビューしたのがオーストラリア市場の「フォード・カプリ」で、北米用「マーキュリー・カプリ」は1991年までデビューを待つことになってしまいました。

1989 FordCapri 1989 Mazda MX-5 Miata(NA海外仕様)
全長 4,219 全長 3,950
全幅 1,641 全幅 1,675
全高 1,275 全高 1,230
ホイールベース 2,405 ホイールベース 2,265
重量 1048~1130 重量 960
1.6 B6-2E 101 hp(75 kW) 1.6 B6-ZE(RS) 115bhp(86kW)
1.6 B6T 132 hp(98 kW)
トランスミッション 5MT/3AT/4AT トランスミッション 5MT/4AT

カプリのデビューと、その後


1989年4月(NAロードスター販売開始の1か月前)、ついにカプリはオーストラリア・フォードブランドのスポーツカーとして復活を遂げました。しかし、アジア・オセアニア市場のみのデビューだったことが、のちの悲劇を招きます。

なお、冒頭のエピソードで「ミアータより半年早く販売する」話はここに繋がっていて、実は本来ならばミアータ(MX-5)はもっと早く完成させることができましたが、同じオフライン55プロジェクトから生まれたMPVに開発原資を回した・・・なんて話にも繋がっているようです。

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カプリのメカ自体はファミリアがベースなので、手堅い「走り」と「堅牢製」を誇るのですが、ただでさえ珍しいオープンカーですからメディアに取り上げられることも多く、そこで自動洗車機に入ると「深刻な雨漏りが発生する」と報道されてしまいました。

この「ソフトトップ(幌)の材質が悪い」というイメージは翌年のマイナーチェンジで対策がおこなわれたのですが、スタートダッシュで出遅れてしまい、最後まで尾を引く形になってしまいます。


さらに、ほぼ同じ時期にデビューしたNAロードスターとどうしても比較されてしまい、前輪駆動(FF)スポーツカーが市民権を得る前だったことや、スクエア・デザイン自体も(デビュー遅延の影響で)古臭く見えてしまったことも、セールスに影響を与えたとされています。(中の人の話によると、マツダ開発陣はガッツポーズだったとか・・・)

加えて80年~90年の大幅な為替レートの変動はコストセービングにおいて大きな製造からインパクトがあり、当初予定よりも大幅に販売価格が上昇してしまった運の悪さもありました。実は、それでもカプリはミアータ(NAロードスター)の2/3価格で北米に導入されたのですが、その北米用「マーキュリー・カプリ」のデビューは1991年。すでにNAロードスターがブームになっていた後だったので、どうしても後出しのイメージも付いてしまいました。


こういった様々なタイミングの悪さが重なり、総生産台数は66,382台(うち、10,347台が右ハンドル)にとどまり、1989年から94年と短い期間で販売終了してしまいました。「後継車種を予定している」とフォードはアナウンスしていたものの、それが作られることもありませんでした。ちなみに損益分岐点に達するには、1996年まで生産を続ける必要があったとされています。

もしも先に、カプリがデビューしていたら・・・


歴史に「もし」はありませんが、元のコンセプトカーに対するヨーロッパでの強い反応を鑑みると、フォード・バルケッタコンセプトのままで販売していたら・・・まさにNAロードスターとしのぎを削った存在になったことは明白です。

カプリの素性は悪くなく、セクシーなイタリアンデザイン、信頼できる日本のパワートレイン、そして北米市場のために考案されたコンバーチブルスタイル。それだけでも大きな価値はありました。さらに「安くて、4人乗れる」これは大きなインパクトだったはずです。

むしろ、予定通りデビューしてたら、ロードスターより早く世界市場をかっさらえた可能性すらあります。結果的に諸々のタイミングの悪さで「忘れられたクルマ」になってしまったのがとても残念です。


ただ、カプリの開発はNAロードスターの開発背景にも近しいものがあり、そのチャレンジ精神には敬意を表したいと思います。

結果的にNAロードスターはFF案やMR案を蹴り、FR(出来レースだったとされていますが・・・)でデビューすることになりますが、フォードがカプリを作っていたからこそ、マツダはFRという選択肢を選べたのかもしれません。そういう意味でも、運命のようなものを感じます。

そういった意味において、偉大なるロードスターの従姉妹だった、フォード・カプリのご紹介でした。

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