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個人の感想ではありますが、ネオクラシックなNA/NBロードスターはVS系プレミアムグレードに限らずとも、革シートやウッドパーツなどのオーガニックなパーツがマッチする気がします。
一方、モダンでお洒落なNC/NDロードスターにおいてはカーボンやアルカンターラのようなスポーティさが相性抜群な一方で、ウッド系コーディネートは相応のセンスが問われると思っています。
なぜそんなイメージに繋がるのか調べてみると、どうも「馬車」の時代以前から培われた乗り物文化や、スポーツカーの流儀に源泉があるようです。
ナショナルカラーという文化
ブリティッシュグリーン、フレンチブルー、イタリアンレッド、シルバーアロー。かつてクルマには「ナショナルカラー」という概念が存在していました。それはFIA(国際自動車連盟)主催のレースにおいて、国別に塗装色を指定していたからです。
そのルーツは、1900年に開催された「ゴードン・ベネット・カップ」というレースにまで遡ります。しかし、1960年の終わり頃からレースカーのボディカラーはスポンサーカラー(ロータスチームの黄色いF1や、マルボロカラーのマクラーレンなど)に差し変わっていきました。それでもナショナルカラー自体は、いまだにその名残が一部で残っています。
ちなみに、日本のナショナルカラーはホンダのF1カー(RA271)で採用された、白+赤(日本国旗カラー)が指定されていました。現在、日本国内で走っているクルマに「白」が多いのは、ある意味でナショナルカラーが浸透しているといえるでしょう。こういった自動車史に基づく文化がある一方で、世界にはエンスージアスト(自動車愛好家)ならではの「お約束」も培われてきました。
そこで今回は、エンスージアストの大先輩 立花啓毅(たちばなひろたか)氏の著書「愛されるクルマの条件(二玄社)」から、当該項目をいくつか引用をさせていただきます。
ロードスター乗りであればご存じかもしれませんが、立花氏はマツダのシャシー実験部リーダー(トップガンドライバー)としてNAロードスターの操縦安定性(乗り味の作りこみ)を担当しており、その後M2やマツダスピード事業の旗振りをされていました。
なお、本作は2004年の著書なので、それから約20年以上経った現在では「見え方」が変わっているものもあります。ただ、文化的背景は普遍的なものであることも実感でき、とても勉強になりました。
参考リンク→
https://mx-5nb.com/2019/11/02/1001-impression/
クルマのウッド内装における、歴史的背景
イギリス人の家に行くと、室内はこぢんまりとし、そこには暖かく豊かさを感じるように木と革が巧みに使われ独特の和みを感じる。それは天候がそうさせているというが、事実どんよりとした日々が多く、特に冬は寒い灰色の世界が続く。そのため前述のようなインテリアになったと言われている。
面白いことに、彼らはそういった豊かなインテリアを、そのままクルマのシャシーに載せようとしたのである。セダンをサルーンと呼ぶのは、サルーンが客船の高級客室や展望食堂、酒場という人間的な温もりのある寛ぎの部屋を意味しているように、それが彼らのクルマ感だからなのだ。
そのような背景があって、英国車は「枯れた腹八分の世界」という他とは違う、快楽の世界を創り出すことができたのであろう。最近はドイツ車もアメリカ車も日本車も、当たり前のように高級車に木目と革を使うが、それによって醸し出される空気は別のもので、長い歴史に育まれてきた英国車のそれにはかなわない。
欧州・・・特にロールスロイスやジャガーなどの高級車をはじめ、ミニやMGなど比較的アフォーダブルな(=手が届く)クルマまで英国車の「ウッド内装」センスが群を抜いているのは、こういった文化背景に基づくようです。
一方、かつて利便性やコストパフォーマンスばかりを重視していた日本車も、近年は「日本文化」のエッセンスをクルマに活かすようになってきました。
マツダは「流(ナガレ)」「魂動(コドウ)」といった、無駄をそぎ落としたシンプルな力強さで勝負する、まるで「書道」のようなデザインテーマを設けていますし、現行型フェアレディZもヘリテージなデザインでありながらも日本刀をイメージしたCピラーを盛り込んだとアナウンスしています。レクサスも千鳥格子のグリルを採用して、伝統技術と美意識を積極的に融合させる、いずれも「日本らしいクルマ」の作りこみが一定以上の評価を得るようになりました。
スポーツカー内装の文法
木目の使い方も決まりがあり、たとえばドアから始まり途中でブツ切りした木目は不自然であるし、木ではできそうもない形状だったりすると、やはり「クルマをしりませんねー」と言われてしまう。
そもそも木目というのはボディが木骨だった時代の名残で、シャシーの上に木で骨を組み、そこに鉄板やアルミ板を張っていた。特にインパネ部は高級な木材を奢り、そこにメーターを嵌めこんでいた。モーガンは今でも木骨だが、MGはTDやTFはもちろんのこと、Aもスカットル部分には木骨を組んでいた。
ボディがモノコックに変わると、この木目は化粧板として使われるようになったが、だからといって、先ほどのように使うと目利きからは笑われてしまう。
振り返ると、確かにNA/NBロードスターの純正シートは、裏面(シートバック)がビニール加工されていることに気づきました。レザーシートも同じ仕様だったので、背面のビニールはコストダウンなのか・・・と思っていました。無知であることが恥ずかしい・・・
一方で、NBロードスター後期型などに純正オプションで設定された「木目調エアベントベゼル(エアコンリング)」に感じていた違和感も、不自然なデコレーションを心で感じていたのか・・・と、改めて知りました。ウッド調パーツって使いどころを間違えると残念な気分を得ますからね。
また、(オプションでは一部存在していましたが)NC以降のロードスターにウッド内装が採用されなかったのは「似合わないと判断した」という当時の開発主査が回顧されていました。それは、NC以降のロードスターはブリティッシュ・ライトウエイトスポーツ・リスペクトから一歩踏み出し、「日本の」ロードスターとして地位を確立したから、と捉えることもできます。
つまりシンプル、コンパクト、高性能なイメージを持つ「日本」のマシンは、ウッドのようなオーガニックかつクラシックな素材ではなく、アルミやカーボンなどの工業素材が、よりイメージとマッチするのです。実際、限定車やディーラーオプションはそういった面を強調するパーツが多く設定されるようになっていきました。
古い石を知る
それは私が日本車のデザインについて尋ねた時のことだが、彼はこう言った。
「クルマというのは石垣を積むのと一緒で、古い石の置き方を知らずに、新しい石を積んでも崩れてしまいます。今は過去の歴史の上にあり、歴史や文化の上にあるのです。若いデザイナーは、先人たちの積んだ石を勉強すべきです。また日本人は周りの眼を気にしすぎています。上司のこと、マーケットの動向、自分が人にどうみられているかに神経を使い、それがデザインに表れています。まずは自分の生き方、生活観をしっかり持つことです。」
この「古い石を知る」ということは「クルマの文法」を知るということで、文法とは作り手と使い手の間で長年培われてきたものが多く、特にスポーツカーには、非日常の世界を垣間見る儀式に似たものがある。
スポーツカーも体を丸めるようにして小さなドアから入るのは、日常から解き放たれて、非日常に入るためである。それだけでなくドアキーの位置が低いというだけで、背の低いスポーツカーに乗り込んだという喜びを感じさせてくれる。
こういった話を鑑みると、緑色のNAロードスターの「Vスペシャル」やNBロードスターの「VS」が、いまだに陳腐化せずにカッコよく感じたのかが分かる気がします。
先のウッド内装もそうですが、ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツ・リスペクトを基点にしているNA/NBロードスターは、イギリスのナショナルカラーである「緑」が映えて当然だったのです。つまり、あの頃に感じていた「あこがれのクルマ」のイメージを残していたんですね。
さらに、日本のロードスターであるNC/NDロードスターは、「ウッド内装」が採用されないとともに「緑」のボディカラーがカタログ落ちした一方で、ナショナルカラーとなる「白」や「赤」がマッチするのも納得できます。最たるものは、NDロードスターも含めた「マツダ100周年記念車」シリーズがナショナルカラーの一群といえるでしょう。
なお、同書では”20年前の”日本車に対する叱咤激励が山のように書かれています。しかし、現在は趣味においても「多様性」が認められる時代になりました。実際、【性能】ではなく【感性】を重視する素晴らしい日本車が増えていますよね。筆頭としては、クラウンやプリウスの大きな変化が分かりやすいと思います。むしろ、かつて日本が持っていた「ハイテク」なイメージは、レトロカッコいい様相を呈しています。
また、保守的な自動車文化の中心と思われていた英国紳士のブランド「ジャガー」は、新時代に向けたリブランディングに向けて、目玉が飛び出るような改革を行おうとしています。クルマ趣味の世界って、本当に奥深い!これからどうなって行くのでしょうか!
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