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スペシャリティクーペを所有するだけでモテた80年~90年、満を辞して登場したのがMX-3(国内名:AZ-3/Eunos PRESSO)です。
このクルマはアルファロメオやRX-7を意識したうえで、デザインにステータスを全振りしたクルマでしたが、クーペブームの終了およびマツダの経営不振により撃沈し、最終的NBロードスター(MX-5)へキャラクター統合がなされました。したがってNBと顔が似ているのは、ある意味意図的だった部分もあるでしょう。
クルマを所有しているとモテた時代
高度経済成長のさなか、庶民のQOL(生活の質)を高める【3種の神器】とされた「カラーテレビ」「クーラー」「カー(自動車)」(通称3C)の所有。とりわけ、実用性ではなく趣味性を重視したクルマは【リッチ/ハイテク】の象徴として、娯楽の少なかった若者たちの心をがっちり掴んでいました。今では想像つかないかもしれませんが、90年代までカッコいいクルマは所有しているだけでモテた時代だったのです。
カッコいい、そしてリッチと思えるクルマであることを示すのは簡単で、単純に「2枚ドア」であること。ボディサイズが大きくて後部座席のドアがないなんてとんでもなくクール!ぶ厚いトルクで余裕の走りを魅せるGT(グランツーリスモ)クーペ、目を三角にして走るスポーツカー、それだけでなく中身は普通でもデザインに全振りしたカッコいいスペシャリティカーは、カーカーストの頂点に君臨していたのです。
したがって、かの時代にはクーペの名車が次々にデビューしていきました。ソアラ、フェアレディ、シルビア、プレリュード、アルシオーネ、コスモ、MX-6・・・今やどれも伝説のネームですね。生き残っているのはフェアレディとプレリュードの2台しかいないですが・・・
また、バブル経済(90年代)にかけてより価値観が多様化していくなかで、自動車メーカー各社はさらなる自社の差別化のためにサイノス、セラ、NXクーペ、FTO、デルソルといったアフォーダブルであっても、デザイナブルなクーペを市場投入していきました。憧れだったカッコいいクルマが若者であっても手が届くようになったのです!
そのような背景のなか、マツダが世界戦略車として投入したのが、ロードスターと同じ「MX」の名を冠したスペシャリティクーペ「MX-3(国内名:AZ-3/Eunos PRESSO)」です。
MX-30のルーツ、MX-81&ASTINA
1981 Mazda MX-81 ARIA
アフォーダブルでカッコいいクーペを市場投入する、そんなMX-3のルーツは1981年の東京モーターショーで発表されたコンセプトカー「MX-81 ARIA」にまで遡ります。今の目で見ても未来的で先進的なエクステリアで話題になりました。
ただし、こちらはマツダデザインではなく、ストラトスやカウンタックを手掛けたベルトーネが担当をしています。もちろん、マツダ社内でもかなりの刺激を受け、マツダデザインはこの時代以降でかなり個性的になっていきます。
なお、MX-81はモーターショーのあと行方不明とされていましたが、2020年にデビューしたMX-30のプロモーションに起用するため、イタリアマツダでレストアされたことでも話題になりました。
ちなみに車台のベースとなったのはマツダ323(国内名:ファミリア)で、搭載予定となる130psを出力する【新型1.5リッター4気筒ターボエンジン】FRクーペとされていますが、その心臓は後に量産されるB型エンジンです(NA/NBロードスターの心臓にもなっています)。
1989 Mazda 323F/ASTINA
なお、当時のマツダにおいてファミリアベースのクーペモデルには「エチュード(1987)」がありましたが、MX-81はそのデザインをベースに【4ドアクーペ】という珍しいボディタイプでリファインされ、その後継として323F(1989:国内名ファミリア・アスティナ/ユーノス100)としてデビューしています。
323Fは、このクラスでは珍しかったリトラクタブルヘッドライトや室内空間を犠牲にしないパッケージが好評で、欧州にてスマッシュヒットを起こしました。コンセプトカーだったMX-81よりルーフが高くなっていながらも、それを感じないデザイン力には唸ります。一方、リベラルな欧州とは違って日本国内では見慣れない(分かりづらい)パッケージであったことから、目立つ存在にはなれませんでした。
特にバッジエンジニアリングカーだったユーノス100は、大ヒットしたユーノスロードスターを横目に、当時からほぼ見かける機会がない激レアモデルでした。
デザインルーツ、RX-7とMX-3の関係
ヒットを飛ばした323Fは、もちろん後継車種(コードJ95C)の開発が行われていました。後の「MX-3」となるチーフデザイナーは、三菱からヘッドハントでマツダへやってきた荒川健氏。他マツダ車ではユーノス500も手掛けています。
MX-3は北米市場向けのスタイリッシュ・セクレタリークーペとしてMRA(カリフォルニア)スタジオが担当していたのですが、デザインに行き詰まってしまったことから、広島本社が企画を継ぐことになりました。余談ですが、同じスタイリッシュクーペのMXシリーズにはMX-5(ロードスター)があり、マッチョなクーペとしてMX-6がありました。
1964 Alfa Romeo Giulia 1600 Canguro
荒川氏は暗礁に乗り上げたアメリカ案をすべてやり直し、同時期に開発が進んでいた「RX—7(FD)」がオーガニックシェイプ(オーガニックフォーム/有機的なデザイン)にチャレンジをしていることを横目に、J95Cはベルトーネ時代のジウジアーロ・カングーロをリスペクトして「セブンと並べて同じ世界観を共有する」イメージでデザインスケッチを描いたそうです。
そんなMX-3のイメージは「ネコ科の猛獣でも小型で賢く、やたら走り回らずに一発で仕留める」ピューマ。その美しい肉食動物をMX-3のデザインに落とし込んでいます。
1991 Mazda MX-3
MX-3のデザインにおける大きな特徴は、大胆にウェッジ(傾斜)したクーペフォルムであること。横からクルマを眺めると、ルーフの頂点はドライバーの頭上ではなくリア寄りになっています。これは北米市場における絶対条件だった【リヤ席からの乗降性】を確保することにも繋がりました。
そのため、ドアも通常のマツダ車より100mm延長しており、サイドウインドウも大きな一枚ものとなりました。窓の形状によりキャビンの「間」を持たせることに成功し、三角窓を採用せずともスタイリッシュなイメージをまとめることができました。
3次元形状のリアガラスと極端なウェッジ形状のおかげで、諸元よりも低いフォルムに見える美しいクーペルックは、止まっていても速そうなカタチにまとまっています。
2003 RX-8
なお、ルーフの頂点でバランス調整をおこなうスタイリングは、のちのRX-8にフィードバックされています。
リヤゲート(フレームや巨大な3次曲面ガラス)は、プレス工程の複雑さによりコストかかりましたが、デザインに全力投球することが許されたので「躍動感は大きな商品力」として社内承認を得ることができました。
半面、インテリアにかけるコストが減ってしまい、荒川氏は「スペシャルなのはエクステリアだけというのが残念だった」と回顧しています。右ハンドルにおけるインテリアはなんとか新規造形でいけましたが、左ハンドルは先代モデル(323F(アスティナ))をインテリアを流用しています。
満を持して登場したMX-3
1991年、ジュネーブモーターショーで「MX-3」はワールドプレミアされました。当時のマツダは多チャンネル化という積極的なブランド戦略を進めており、そのアイデンティティを象徴する個性的なモデルを次々に市場投入していきました。これはロードスター(MX-5)のようなニッチモデルが大ヒットした成功体験によるもので、後に尾を引くのですが・・・
実際、欧州車における競合(2リッター以下のクーペ)はVW・コラードとオペル・カリブラしか存在しない状況ではありました。両者とも車格は上であるため「コンパクトで手ごろなクーペ」には潜在的需要があるとにらんでいたのです。しかし、ニッチすぎて(儲からなさそうで)どのメーカーも手を出していなかったことあり、直球勝負となるMX-3はかなりの注目を集めることになりました。
発表されたコンセプトは「スタイジリティ」。これはスタイビリティ(安定性)とアジリティ(機敏さ)を合わせた造語で「スポーティな外観を持ちながら空間を確保」「若い人たちにV6エンジンの世界を味わってもらいたい」「スポーティなフィーリングを提供する」といったプレゼンが行われました。会場は大いに湧いたとされています。
また、MX-3は国内においてユーノスブランドから「ユーノス プレッソ」として市場投入されました。プレッソ(presso)とはイタリア語で「仲間」という意味を持ち「ドライバーにとっての友人たれ」という意味が込められています。
当時、ユーノスのラインナップはロードスターがヒットしたとはいえ、それ以外は厳しい状況になっていました。
ユーノスのカタログラインナップにはユーノス100(アスティナ)やユーノス300(ペルソナ)といった、バッジエンジニアリングカー。マツダのマークを変えたものばかりで個性がないと酷評されており、一般ユーザーの確保に苦しんでいました。高級スペシャリティとして投入されたコスモも【高級車購入層】の連携が上手くいかず、全く売れませんでした。そりゃマツダブランドの見込みを系列とはいえ隣のディーラーに教えないですよね・・・
そこで、満を持して導入されたのが新型ユーノスプレッソであり、「世界初の小型V6エンジンを搭載」でありつつも「手が届く」スペシャリティなクーペは、ロードスターのようなヒットの再来を見込まれていたのです。
なお、のちにマツダ系チャネル・オートザムからはB型エンジンに換装された兄弟車「AZ-3」がデビューし、カナダ市場では「MX-3 Precidia」オーストラリア市場では「EUNOS 30X」という名で提供されました。
Mazda MX-3/Eunos Presso/Autozam AZ-3 | |||
車格: | コンパクトスポーツクーペ | 乗車定員: | 4名 |
全長×全幅×全高: | 4,215×1,695×1,310mm | ||
ホイールベース: | 2,455 mm | 重量: | 1,030-1,160kg |
ブレーキ: | ベンチレーテッドディスク/ドラム | タイヤ: | 185/65R14 |
エンジン型式: | B5ZE/B6ME/B6D/K8ZE | 種類: | 1.5L直4/1.6L直4/1.8LV6 |
出力: | 88~120PS | ||
トルク: | 133~156Nm | ||
トランスミッション: | 5MT/4AT | 駆動方式: | FF |
MX-3 走りの評価
他マツダ車の例に漏れず、MX-3には熱狂的なファンがいる一方で、商業的には厳しい状況が続きました。それはクーペ・スペシャリティカーのブームが恐ろしく一気に縮小したからです。理由は単純で、バブル経済の崩壊とともに自然回帰・省エネというアウトドアブームが始まり、そのフィールドを満たすRVブームによって、ユーザーはそちらに流れてしまいました。
また、新進気鋭の世界最小(1.8L)V6エンジンも既存の4気筒(B型エンジン)と出力・トルクともに差はなく、むしろ重量増加によりフロントヘビーとなっていました。そこに、部品点数の増加によるコスト増、複雑な機構によるトラブル、燃費の悪さといったデメリットが並び、さらに三菱からV6エンジン(1.6L)搭載車が発売されたことで、その「世界最小」という地位も奪われてしまいました。
なお、MX-3はマツダ・Eプラットフォームという独自シャシーになっていますが、これは4WDターボを武器に活躍したBG系ファミリア(Bプラットフォーム)のバリエーションでもありました。その恩恵により足周りやシートレール、さらにB型エンジン搭載車種であればパワートレイン(駆動系吸排気系)のパーツも流用可能だったことから、4気筒モデルの方チューニングの余力があると評価を得ていました。
結局、V6エンジンはマツダスピード以外からのパーツ供給は望めず、MX-3のモデル後期は「ユーノスはV6、オートザムはB型」といった関係もなくなり(両方のエンジンが選べる)、そんなポリシーのなさもユーザー評価を下げる結果となりました。
後継はNBロードスター
その後、マツダの多チャンネル化は失敗してユーノスブランドは消滅、マツダ系列のカタログ統合が進むなか、プレッソは「ユーノスロードスター」とともに「ユーノスプレッソ」として、マツダブランドで販売継続されました。一方で、プレッソと同じ323F(アスティナ)のDNAを継ぐ「ランティス」や「ファミリアNEO」は撃沈しました・・・
結局、このコンパクトクーペ/スペシャリティというジャンルで生き残ったのは、荷物が乗る【カッコいいクルマ】ではなく、荷物が乗る【速いクルマ】であるシビックのようなホットハッチにその座を完全に奪われました。そして90年終盤には、マツダに限らず全世界のメーカーで小型スペシャリティクーペは終焉を迎えたのです。
それにしても、当時のマツダはOEMも含めれば、10車種以上のクーペ/スペシャリティをラインナップしていました。凄い時代だったと実感しますね。
国内名 | 海外名 | |
1989 | FAMILIA ASTINA/EUNOS 100 | 323F |
1989 | EUNOS ROASTER | MX-5 |
1990 | EUNOS COSMO | RX-8 |
1991 | AUTOZAM AZ-3 EUNOS PRESSO |
MX-3 |
1991 | ε֮fini RX-7 | RX-7 |
1992 | AUTOZAM AZ-1 | MX-4 |
1992 | MX-6 | MX-6 |
1992 | FORD PROBE | PROVE |
1993 | LANTIS Coupe | 323F |
1994 | FAMILIA NEO | 323C |
1994 | FORD LASER | LASER |
そして、ベースとなるファミリアがフルモデルチェンジするタイミングでMX-3もモデル終了の時を迎えました。その際、マツダは実質的な後継車種として指名したのが、スペシャリティであり、クーペにもなって、趣味性も高く、クルマとしてのキャラクターも確立し、儲かっていた次世代のロードスター(NB)でした。
NBロードスターの開発時には「丸目」デザイン案もありましたが、ティアドロップヘッドライトが親会社だったフォードから推されたのも、MX-3からの連続性(共通性)を意識したことが類推できます。
余談ですが、MXシリーズには共通パーツが存在します。MX-6、MX-3、MX-5(NB)全て同じ、フラップタイプのドアノブ(ドアハンドル)を採用しているのです。
振り返ると、MX-81としてスタートした企画が最終的にMX-5に統合されたことがわかり、国内最後の5ナンバークーペとなったロードスタークーペ(NB7)は、そのDNAが色濃く継がれているともいえるでしょう。
一方、MX-3シリーズはデビューから30年以上経った現在でもデザインに古臭さはなく、むしろこのクルマが現在の街を走っていたら・・・レトロモダンで粋なカタチとして、今の街並みに溶け込むのではないでしょうか。そんな愛すべきスペシャリティクーペの最後を飾ったMX-3シリーズ、NBロードスターは単に「顔が似ている」関係だけではない、そんなエピソードのご紹介でした。
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