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定義づけしたくなる日本人
言葉や言霊(ことだま)とは面白いもので、かつて持っていた意味が時代の変遷、文化、環境により解釈が広がり、アップデート(ミーム化)していく点があります。
例えば「ヤバい」という単語は、大昔は「危ない」という意味でしたが、近年は言葉を逆説的に用いて、(危険なほど)凄い、素晴らしい、非常に好みといった賞賛の意味でも用いられるようになっています。ちなみに北海道弁が起源だそうです。
自動車界隈でいうと「ロードスター(Roadster)」は、簡易的な幌しか付いていなかった軽量の「幌馬車」を指す言葉でしたが、現在は二人乗りオープンカーの代名詞。さらに紐解くと、スターの綴り(ster)はステア・・・つまり手綱(たづな)を指しており、手綱が丸くなったからステアリングなんです。
さらにオープンカーにも様々な呼び方があります。ロードスターをはじめカブリオレ、スパイダー、コンバーチブル、バルケッタ、近年ではスピードスター、バリオルーフやメタルルーフ、リトラクタブルハードトップなんてメーカー独自の呼び方もありますね。もちろん各名称にも由来があり、馬車や船など旧来の歴史からある移動手段が元の意味になることが多いようです。
ロードスター(roadster):簡易的な幌のついた馬車から。基本二人乗り。
カブリオレ(cabriolet):しっかりした幌と幌骨を持ち、屋根を空けることもできる馬車から。
コンバーチブル(Convertible):様々な形式に可変できる意。基本4人乗りを指す。
バルケッタ (Barchetta ):イタリア語で「小船」から。
スパイダー(Spider ):蜘蛛を連想する屋根の低いスポーツカーを指す。
ドロップヘッドクーペ(Drop head coupe):「幌」ではなく「屋根」がある高級馬車から。
ただし、現在はこのあたりの解釈がおおらかで、そんなに明確に線引きはされていません(むしろ、言ったもん勝ちな感じです・・・タルガトップとか、リトラクタブルファストバックとか)。勤勉な日本人であればなんでも定義づけしたくなりますが、海外で屋根の開くクルマはユーザー間では「ロードスター」や「オープンカー」くらいの切り分けしかされていないそうです。
ただ、元の意味を知っていると見えてくる世界もあるはず。背景を知っていれば、言葉から得る感じ方が変わるからです。そんなわけで今回は「ライトウェイトスポーツカー(lightweight sportscar:※以下LWS)」のルーツを深堀していきます。
ライトウェイトスポーツカーとは?
最初に、現時点で「LWS」とはどんなクルマを指すかといえば、人によって様々な答えが返ってくるでしょう。
海外であれば「ロータスヨーロッパ(旧)」「アルピーヌA110(新旧)」「ケータハムセブン」「ロータスエラン」「フィアットX1/9」あたりでしょうか。近年は「アバルト500」「BMWミニ」、もちろん「ミアータ」なんて答えもあるでしょう。
国内のLWSといえば、5ナンバー以下のテンロククラス(1600cc)以下のクルマをイメージする方も多いでしょう。
筆頭といえば「トヨタレビン、トレノ(AE86)」「トヨタMR2(AW)」「ホンダシビック(EG,EK)、CR-X」「スズキスイフトスポーツ」あたりでしょうか。人によっては「マツダデミオ(15MBやスポルト)」「ダイハツストーリアX4、ブーンX4」「ホンダフィットRS」などのホットハッチを含むかもしれません。「GRヤリス」はハイパワーすぎて違うジャンルになりそうですね。
また、軽自動車のスポーツカーもありました。
「マツダAZ-1」「ホンダビート」「スズキカプチーノ」「ダイハツコペン」「スズキアルトワークス」「ミツビシミニカダンガン」「スバルヴィヴィオRX-R」などがありました。
もちろんこれらは「スーパーカー」「ホットハッチ」「JDM」「ピュアスポーツ」「マイクロスポーツ」「シティコミューター」なんて様々なジャンルを名乗っていたり、ユーザーが勝手に定義していたりします。
総じて「ライトウェイトスポーツ(LWS)」は「(車重が)軽くて楽しいクルマ」を指す事例が多く、異論反論はあれども、言葉通りの意味なので「どれも正解」でしょう。
事実、この「LWS」の定義にこだわっているのは日本人くらいで、海外では軽量なスポーツカー・・・具体的には2000lbs~3000lbs(ポンド:国内換算907.kg~1360.7kg)くらいの重量であればカタログスペック等に関係なく「LWS」とされています。軽量化にこだわった歴代「RX-7」や現行「GRハチロク」も海外ではLWSにグルーピングされているのです。
そもそも「ライトウェイトスポーツ(LWS)」の語源は?
ただし「LWS(lightweight sportscar)」のルーツを辿っていくと、1960年代~70年代を中心に生産された英国メーカー(ロータス、オースチン、MG、トライアンフなど)の小型軽量スポーツカーに行き着きます。LWSは、もともとはこれら「ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツ」を指したスラング(俗語)だったのです。
なお、当時の王道スポーツカーといえば北米には「コルベット」や「マスタング」があったし、欧州も名門「ジャガーDタイプ」「アストンマーチンDB6」が揃っていました。日本であれば「トヨタ2000GT」「マツダコスモスポーツ」などもありましたね。
では、なぜ英国製小型軽量スポーツカーが「LWS」としてフォーカスされていたのかのかは簡単な理由です。あらゆる意味で「ライト(お手軽)」だったのです。
ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツがなぜ「ライト」だったのかというと、既存のコンポーネントを活かして(他車流用)してコストダウンを行いながら面白いクルマを仕上げていたからです。
さらに、走行性能以外の余計な要素をあえて取り払い「軽量化」を行ったことから、パワーに頼らないコーナーの「俊敏性」を得ることができました。また、基本的に2人乗りと割り切って、自然環境を楽しむという名目で屋根も取ってしまいました。
ただし、腐ってもスポーツカーですからデザインには力が入りますし、流用エンジンでも可能な限りチューニングを行い、足周りのような走行性能に関わる部分はお金をかけてきちんと仕上げました。プリミティブなメカもその素性を活かし知恵(セッティング)でクルマは作られ、安くて軽くてカッコいいと全てにおいて「ライトウェイト」を実現したのです。
第二次世界大戦後(-1945)イギリスに駐留していたアメリカ軍兵士は、MG(Tシリーズ)を初めとするブリティッシュ・ライトウェイトスポーツに魅了されました。また、ベトナム戦争(1955-75)で疲弊していた兵士たちも「自分へのご褒美」として、英国製のオープンカーを国に持ち帰ったのでした。
また、大戦後のイギリス産業は疲弊しきっており、外貨を稼ぐために戦禍に遭わなかった北米市場への輸出を増やしていき、北米でも安価に小型軽量スポーツカーが手に入る環境が出来上がります。
70年代になると、中古として安価になったオープンカーを若者が楽しむようになり、80年代はボロボロに使い込まれた状態であっても愛好家がレストアしながらが楽しむ・・・そんなサイクルが出来上がっていました。
こんな背景から、英国製の小型軽量スポーツカーを「(ブリティッシュ)ライトウェイトスポーツ」と呼称していたのです。
面白いのは「ライトウェイト」はポジティブに捉えれば「お手軽」という意味になりますが、ネガティブな見方では「安っぽい」「初心者」という意味になってしまうこと。したがって、エランやミジェットを作った英国メーカー自身は、自社のクルマを一度として「LWS」というジャンルでアナウンスを行いませんでした。
とにかく売れたブリティッシュ・ライトウェイトスポーツ
ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツはとにかく売れまくりました。当時はビデオゲームもスマートフォンもない時代ですから、若者はファッションとクルマに全身全霊をかけて青春していました。全てにライト(安くて面白くてカッコイイ)な存在が売れないはずはなく、約20年の生産時期(1958-1981)でメーカーをまたいで約130万台が販売されたのです。
同じモノサシで測るのはナンセンスかもしれませんが、ロードスター(MX-5)は1989年から2022年までの出荷が115万台、そこに到達するまでに33年かかっていますから、その勢いは想像できないレベルです。そこで、主なブリティッシュ・ライトウェイトスポーツの内訳をみてみると・・・
トライアンフ・スピットファイア(Triumph Spitfire)
1962-1981:約31万台
1885年創業の名門トライアンフは、モーターサイクル(オートバイ)でも有名なブランドで、現在はBMWが商標を所有しています。スピットファイアの名称は第二次世界大戦のイギリス軍の小型軽量戦闘機に由来し、LWSの代表格として親しまれていました。V705(ロードスターのプリプロトタイプ)に対し、ベンチマークとなったクルマでもあります。
Maker | Brand | Gen | Year | Sales quantity | Total |
Triumph | Spitfire | mk1 | 1962- | 45,753 | 314,332 |
mk2 | 1965- | 37,409 | |||
mk3 | 1967- | 65,320 | |||
mk4 | 1970- | 70,021 | |||
1500 | 1974-81 | 95,829 |
ロータス・エラン(Lotus Elan)
1962-1975(初代):約1.7万台
ロータスは1947年、創業者コーリン・チャップマンが副業としていた中古車販売業を基点にしたコーチビルダーから始まり、現在も一流スポーツカーブランドとして定着しています。ちなみに現在の主要株主は中国の浙江吉利控股集団(ジーリーホールディングスグループ)です。
エランは強固なバックボーンシャシーにFRPのボディをバスタブのように架装し、新進気鋭のダブルウィッシュボーンサスペンションを採用、ハンドリングはLWSのなかでも頭一つ高い評価を得ていました。リトラクタブルヘッドライトを採用したプレーンなフェイスも有名で、NAロードスターはデビュー当初「エランのパクり」と揶揄されました。(※リトラクタブルヘッドライトの車両はどれも近しい顔になりますが・・・)
Maker | Brand | Gen | Year | Sales quantity | Total |
Lotus | Elan | S1-3 | 1962-75 | 7,895 | 17,424 |
S4 | 2,976 | ||||
Sprinnt | 1,353 | ||||
2+2 | 5,200 |
オースチンヒーレー・スプライト(Austin-Healey Sprite)
1958-1971:約13万台
オースチンヒーレーは、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)のオースチン部門、レナルド・ロードとエンジニア兼デザイナーであるドナルド・ヒーレーの合弁事業として1952年に誕生しました。その後、ブランド所有は二転三転し、現在は中国の南京汽車集団(なんきんきしゃしゅうだん)が権利を所有しています。
「妖精・精霊」の意味を持つスプライト(Mk1)は、国内では「カニ目」、北米ではバグアイ(虫の目)、英国ではフロッグアイ(カエルの目)の愛称を持っています。
スプライトMk2以降はイギリスの自動車メーカーは集約されていた関係で、MGミジェット(後述)の兄弟車種となりました。
Maker | Brand | Gen | Year | Sales quantity | Total |
Austin Healey | Sprite | mk1 | 1958- | 48,987 | 129,347 |
mk2 | 1961- | 31,665 | |||
mk3 | 1964- | 25,905 | |||
mk4(+mk5) | 1966-71 | 22,790 |
MG・ミジェット/MGA、MGB、MGC(MG Midget/MGA,B,C)
1955-1980:約85万台
1923年創業、スポーツカーの名門「MG(エムジー)」創業ストーリーは紆余曲折ありますが、語源は当時の販売店「モーリス・ガレージ (Morris Garages)」の頭文字から来ています。特徴的なオクタゴン(8角形)エンブレムは、当時を知る人からすれば憧れのバッジです。現在は中国の上汽集団(SAIC)内ブランドとしてアジア・オセアニア市場の高級車開拓を行っています。
MGミジェットは先述のスプライト(mk2)の兄弟車であり、ミジェットとスプライトの両者を纏めて「スプリジェット」と呼ばれています。小型軽量で走りに割り切った仕様は根強いファンから支持されています。ボディは軽自動車規格より54mm長いだけで他はすっぽり収まるサイズ。コペンのサイズが近しいといえば、大きさのイメージは湧くでしょうか。
MGAは1930-40年代(戦前)のMG TA~TFの設計を発展させたラダーフレームに、エンジン、トランスミッション、リアアクスルなどを架装し金属製のボディを載せて仕上げた一台で、このクルマが10万台近く売れたことでブリティッシュ・ライトウェイトスポーツのブームが始まりました。
MGBはMGAを近代化改修したクルマで、マツダ・ロードスターがギネス記録を達成するまでは「世界で一番売れた2座のオープンスポーツカー」という記録を保持しており、エンジンを乗せ換えたMGCも含めると52万台以上売れた、大ヒット車種になります。
ヒット車種らしくバリエーションも豊富で、ユーノスロードスターのヒット時にはMGBの補修部品を組み合わせて「MG RV8」という車種も1993年に限定復刻されています。
Maker | Brand | Gen | Year | Sales quantity | Total |
MG | Midget | mk1 | 1961- | 25,681 | 226,427 |
mk2 | 1964- | 26,601 | |||
mk3 | 1966- | 100,246 | |||
1500 | 1974-80 | 73,899 | |||
MGA | 1955- | 101,081 | 101,081 | ||
MGB | mk1 | 1962- | 137,733 | 514,834 | |
mk2 | 1967- | 48,710 | |||
mk3 | 1969- | 170,102 | |||
GT V8 | 1973- | 2,591 | |||
Rubberbumper | 1974- | 155,698 | |||
MGC | 1962- | 9,002 | 9,002 | ||
ALL | 851,344 |
ここまで紹介した有名どころのライトウェイトスポーツを合計すると1,312,447台。しかし、ここまで成長した市場であっても、オイルショックを基点にしたモータリゼーションの改革や、英国病によるイギリス経済の崩壊により、ほぼ全てが消え去りました。
ライトウェイトスポーツの終焉
70年に2度起きたオイルショックは自動車レギュレーションを一変させました。
分かりやすく日本国内では、ガソリン末端価格が50円から100円へ(最大177円)ぐんぐん上昇し、家計に大打撃を与えました。さらに燃費の悪いクルマから出る排気ガスの環境汚染・公害問題にも対応する必要がありました。いわゆるマスキー法(排出ガス規制)対応は既存技術では難しく、エンジンの再設計が必要となりました。
また、交通戦争ともいわれていましたが(日清戦争よりも交通事故の死亡者の方が多かった)、世界的な安全規制強化において車両構造の抜本的な改革が必要となり、多くのメーカーがこれらの適応に苦しみました。
同時にイギリスでは「英国病」という経済停滞が顕在化していました。60年代以降、手厚すぎる社会保障制度(ゆりかごから墓場まで)を実施するために、石炭、電力、ガス、鉄鋼、鉄道、運輸、自動車などあらゆる産業を国有化していたのですが、これが国際競争意識や品質の低下を招いたのです。
80年代、社会保障負担の増加、国民の勤労意欲低下、既得権益の発生、その他の経済・社会的な問題によりイギリス製品は信用を大幅に失いつつありました。自動車産業において、明確に定められた目標を明らかに達成していないイギリス製品は「危険で古臭いクルマ」と定義され、ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツも含めて壊滅状態に陥りました。
同時に日本の自動車が品質、信頼性、コストパフォーマンスで世界市場を席巻し始めた時期でもあり、多くの消費者が日本車に流れていったことも、イギリス自動車産業に追い打ちをかけました。
ライトウェイトスポーツを復活させたミアータ!
ただし、ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカー自体は130万台以上を売り上げていた実績があり、愛好家のためにアフターパーツマーケットは成熟を重ね、英国メーカー群もヘリテージパーツの提供を続けていました。
そして、自動車愛溢れる世界各国のエンジニアは幾度も「現代技術でLWSを復活させたらどうなる!?」と息を殺しながら草の根活動を続けていました。
勢いがついていた日本車ではその活動が実を結び、オープンカーではなくともチャレンジ精神あふれるライトウェイトなクルマが次々に登場していきました。トヨタの4AG兄弟(MR2、カローラFX、AE86)やホンダのCR-Xなどはその代表格でしょう。
そのなかで【オープン2シーターFR】というブリティッシュ・ライトウェイトスポーツのオマージュ路線で実を結んだのが、当時イケイケドンドン経営だったマツダの「MX-5」・・・つまりロードスターの企画に繋がっていったのは周知の通りです。
なお、現在に至るまでメーカーが自社ブランドのクルマに「ライトウェイトスポーツカーです」と断言しているのは、ロードスター(ぎりMR-S)くらいしかありません。また、マツダはNCロードスターを開発する前哨戦として、SAE(Society of Automotive Engineers:米国自動車技術者協会)へ「LWSの基本的なパッケージ」という論文を投稿し、LWSをざっくり以下のように定義づけています。
もちろんこれはマツダの解釈ですが、銘文化された基本要件に沿ってクルマを磨き上げていくことがロードスターシリーズの一丁目一番地になっています。
なお、「軽さは性能」なので軽量化はロードスターのアイデンティティのひとつです。ただしNA開発当時設定された「重量1トン以下」という目標は、テンロクエンジン(B6)しか使用許可を得ることができず、100馬力程度の想定パワーからパワーウェイトレシオ逆算して設定された数値です。
したがって「重量1トン切りは結果であって、それが目的になってはいけない」ことや、ライトウェイトスポーツはア「フォーダブル(=手が届く存在である)であるべき」などの哲学が、歴代ロードスターには継承されています。
なお、意識してハイパワーを設定しないかと思いきや「軽量で馬力があるエンジンならば使わない手は無い」と、元開発主査はおしゃっていました。ただ、この話には「でもね・・・」と続きがあります。
結論、ごちゃごちゃと屁理屈を書きましたが、ロードスターの開発には「和製ライトウェイトスポーツカー」を作る目的があり、その精神的なルーツにはブリティッシュ・ライトウェイトスポーツにありました。
余談ですが、和製ライトウェイトスポーツのご先祖様は、60年代頃に作られた「ホンダS360/500/600/800」や「ダットサンフェアレディ」「ダイハツコンバーノスパイダー」あたりもありますが、ライトウェイトスポーツというコンセプト通り、敷居の低いスポーツカーとして普及した点では、ユーノスロードスター(MX-5/Miata)が現代のベンチマークといえるでしょう。
しかし、あらためて繰り返しますが現在は「軽くて楽しいクルマ」がライトウェイトスポーツと呼ばれています。したがって「ブリティッシュ精神がないものはライトウェイトスポー津として認めない」なんて言ってたらとっても恥ずかしい思いをします。(ユーノスしかロードスターは認めない、というのも同じですね・・・)。
ただ、もともと「ロードスター」が軽量な二人乗りの幌馬車を指していたように、ライトウェイトスポーツは60年代の「ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツ」が源泉にあることは、トリビアとして憶えていて損はないのかと思います。
メーカーの垣根を超えた、クルマ文化の精神を継承してきたオーナーやエンジニアの先輩たちには感謝しかありませんね。
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