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ロードスターのような「趣味のクルマ」に乗っているからこそ心がけたいのが、ドライビング時の思いやりや心意気。
苦労はエンスージアスティックな楽しみに変換できますが、それで周りに迷惑をかけるのは愚かな行為です。いわば「敵を作らない運転」がとても大切になってくるのです。
大切なことは漫画から学んだ
大切なことは漫画から学んだ・・・なんてことはありませんか?
私自身のバイブル(愛読書)に、楠みちはる先生の名作【湾岸ミッドナイト+C1ランナー(1990-2008+2012)】があります。その劇中にあった「敵を作らない運転」というくだりが、クルマを扱ううえで心掛けている【大切な言葉】として捉えているのです。
この作品をざっくり解説すると、首都高を舞台にチューニングカーで200マイルの領域(時速約300km/h)「誰が一番か」のバトルをおこなう、狂気の走り屋たちの群像劇です。当然、そんな速度では少しのミスが命取りになります。
だから、オラオラ運転でいると、一般車やトラックのちょっとした車線変更に合うだけでも、予想外のミス・・・それこそ命に関わる大事故を起こしてしまうリスクがあるのです。
そこで作中の登場人物たちは、首都高でスピードを競う違法行為をわかっているからこそ、普段から安全運転を心掛けており、バトル中でも決して周りのドライバーに迷惑をかけまいと心がけている描写が多くみられます。そして「同じ雰囲気を持った者」と認めないと、バトルは絶対に行いません。
極限状態でも運転のマージンを持てることが重要で、実際に万が一のトラブルに対応するシーンも多くありません。200マイル領域でアクセルを踏み切るには気持ち(テンション)を保つことが大切で、余裕がなくなったチャレンジャーは次々に脱落していきます。そして、その決断を彼らは認めていきます。
そんな極限状態にいるからこそ、周りへの配慮は絶対に忘れないというのが「敵を作らない運転」という言葉に集約されているのです。もちろん、私自身が首都高を爆走することはありませんが、これは日常生活においても大切な心構えといえるのではないでしょうか。
敵を作らない運転
あおり運転も含めて、公道でオラオラ!とイキっている運転を見かけると、とても残念な気持ちになりませんか。
例えば、先日国道でみかけた某タイプR。ウインカーも出さずに車線変更をしまくって爆音マフラーでブイブイ走っており、いいクルマが台無しでした。さらに、感化された周りのドライバーたちがキノコダッシュ(マリオカート)のような競合いを始めていきました。余談ですが、アテンザ(MAZDA6)のディーゼルが超速かったです。
別の日、娘の運転する(初心者マーク)ベリーサに、車間距離ギリギリまで近づきつつスラローム走行で渋滞を縫っていく某ハスラー。シャコタンなVIPカーたちも信号バトルを繰り広げますし、軽自動車のスポーツカーをあおるミニバンもいました。流石に公道ドリフトをするクルマは見かけなくなりましたが、ひと昔前は交差点で壁に刺さっているS13シルビアもよく見かけました。
私の生活する地域の民度が低いのでしょうか・・・想像ではなく、これらは本当にあった出来事ばかり。床までアクセルを踏んでも全然速くないNB6ロードスターがカモにされることは少ないけれど、オープンカーなだけでちょっかい出してくる輩がいるのも事実です。
しかし、そこで自分もバトルに参加をしたら「いらないトラブル」に巻き込まれます。心に余裕を持って「敵を作らない運転」でいることが重要になってくるのです。「馬鹿だな~」と笑って、応援してあげるくらいが丁度いいのでしょう。なによりロードスターの看板を背負ってオラついたら、他のロードスターオーナーに申し訳が立たないです。
今やドラレコやSNSが普及している時代。峠などで黄色線をまたいで無理な追い越しをしようものなら、一発でネットに晒されてしまいます。どんな言い分があっても勝てないケンカに発展しますので、ただでさえ目立つオープンカーですから敵を作らないこと越したことはありません。
車名報道が偏よるのは仕方ない
関連することでいえば、交通事故において【メーカー】や【車名】が実名で報道されることがあります。高級車やスポーツカーがトラブルを起こすと「男性の乗ったポルシェ」とか「イタリア製高級スポーツカー(※これは忖度か)」なんて表現されるのを、目にしませんか?
言葉を選ばすに表現すると、下世話な話「他人の不幸は蜜の味」です。トラブル内容次第では、調子に乗っていた加害者に天罰がくだるのを見て、スカッとした気持ちになります。しかし、こういったトラブルの原因は基本的に【メーカー】や【クルマ】ではなく、事故を起こした加害者の行為に起因しています。だから、クルマ好きのあいだでは【クルマ自体】のイメージにかかわる報道に否定的になるの理解できます。
実際、報道機関は「イメージしやすい」表現を用います。一般的に、高級車やスポーツカーなどの趣味車にお金をかけていることへのやっかみがありそうですが、そんなステレオタイプなイメージ相応の行為に対する表現ともいえるでしょう。
だからこそ、普段から「敵を作らない運転」を心掛けることが必要なのです。ノブリスオブリージュ(高貴さは(義務を)強制する)とまではいいませんが、趣味車であるからこそ、それを駆るオーナーは品が求められるのです。クルマは実用性を持った便利な道具です。使い方によっては毒にも薬にも、そして凶器にもなるからこそ、トラブルを起こすような残念な方たちには社会的制裁とともに、撲滅していただく必要があります。
したがって、クルマのイメージに関わる報道がされているうちは、まだ認められていないのです。だから、そんなニュースを見るたびに、まだまだだな・・・と思った方がいいんです。プリウスの自己はクルマに不備はないので、固有名詞を使われることは少なくなりましたからね。素晴らしい。
老害の生まれ方
ある日、家族と出かけた公園でたまたまスポーツカーミーティングが行われていました。
旧車から現行車まで色とりどりのガソリン臭いクルマが並んでいて、心ときめく会場だったのですが・・・そこに爆音のマフラーを吹かして、違法サイズのGTウイングを背負った初代NSXがやってきました。
サーキットやイベントコミュニティなど相応のステージで、誰にも迷惑をかけない場所ならまだわかりますが・・・ブオンブオンと残念なアピールをおこなうスポーツカーは、公園で子供と散歩を楽しむ家族連れたちから、白い眼を向けられていたのがとても残念でした。
他人の頭の中をのぞくことはできませんが、少なくとも「超カッコいい!いい音!」「エアロの作りこみが凄い!」というのは好事家だけであり、「スポーツカーは最悪」「アホ丸出し」「燃費悪そう」という声が、周りの人たちの表情から聞こえてきたのです。
自分さえ良い、仲間内だけが楽しめればいい・・・その気持ちはわかりますけれど、社会生活で周りに配慮をおこなえないのならばヒトではなく、ケモノです。ケモノだからこそ「敵を作ってしまう」のかもしれませんが、そんなところで趣味車の株が下がっていくのは、残念で仕方がありませんでした。
モータースポーツ、映画、漫画などでカッコいいクルマをみても、身近な場所で見かけるクルマが下品だと、子供が大人になってからスポーツカーに憧れるなんありえません。若者のクルマ離れは下品な大人たちにも原因があると思うのです。
もちろん、クルマの楽しみ方は十人十色ですから、何が正しいなんて答えはありません。限界まで車高を下げて道路をずるずる滑っても、鬼キャンバーでマフラーをブイブイ吹かしても、それはオーナーの自由です。
でも、無法地帯になったモデファイは新たなレギュレーション(規制)を生み出していきます。一時期緩和されていたマフラー音量も厳しくなり、今やタイヤノイズでさえ音量が定められるようになっています。ナンバープレートをオフセットしようものなら車検に通りません。こんな時代に誰がした・・・なんて、明らかです。
だから「昔はよかった」なんていうのは、ただの老害です。
本当に趣味車を楽しむのであれば、それなりの覚悟・・・というか、社会的要件を満たすことが必要な時代です。繰り返しますが「不便を楽しむ」のはエンスージアスティックな行為で素晴らしいのですが、それにより周辺に不快を振りまくのは、単なる迷惑行為です。
だから、スポーツカーであるならばこそ「敵を作らない運転」という言葉が大切になってくるのです。何も難しいことはありません。車間距離は空ければいいし、車線変更も早めにすればいい。割り込んだと思われないようにサンキューハザードを焚くだけでも、相手は「しかたないなぁ」となってくれます。同じクルマに乗る仲間たちの品位を傷つけないよう、心構えておくのです。漫画で学んだことを偉そうに・・・という話ではありますが、スポーツカーに乗るならば、こんな「心意気」を持ちたいところです。
最後に、【湾岸ミッドナイト】はアニメやゲームではなく、漫画から読んだ方が”学べる”と思います!
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