ロードスターの「ひらひら感」とは?

ロードスターの「ひらひら感」とは?

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ヒトの感覚ほど、繊細で曖昧なものはありません。価値観の「基準」は十人十色であり、絶対的な正解は存在しないからです。

特に、自動車のインプレッションはその最たるもので、記述者の経験という「軸」がどこにあるかで、評価は180度変わることも珍しくありません。ある人にとって「刺激的」なエンジンフィールは、別の人には「荒々しい」と感じられるかもしれません。もちろん、好き嫌いは個人の自由ですし、共感を呼ぶことが一つの価値であることも事実です。また、クルマを定量的に知るために、メーカーは諸元表(スペックシート)を用意しています。

しかし、「ハンドリング」、すなわち「乗り味」を文章のみで表現することには、常に限界を感じます。なぜなら、百聞は一体験に如かず。実体験に勝るインプレッションは存在しないからです。

言葉の向こう側にあるもの、ロードスターの「ひらひら感」


さまざまなロードスターのレビューで、その乗り味を「ひらひら感」「ひらり感」と表現されることがよくあります。言葉の響きから、その情景は想像に難くありません。しかし、その本質を理解しているかと問われれば、私も含め、自信を持って頷ける人は少ないかもしれません。そこで、言霊(ことだま)という概念があるように、言葉の成り立ちを紐解くことで、新たな発見があるのではないかと考えました。

まず前提として、ロードスターのハンドリングを言葉にするならば、「絶対的な軽さに由来する軽快さ」「ドライバーの意思に即座に反応する回頭性の良さ」「手の内にあるパワー」・・・そんなイメージが一般的でしょう。ここでいう「普通のクルマ」とは、あくまで比較対象として、多くの人が日常の足として使うファミリーカーを想定しています。

そのうえで、ロードスターならではの感覚を表現するために引用されるのが「ひらひら感」だとしたら、その言葉の正体とは一体何なのでしょうか。

語源を探る旅路(序)、武士のきらめき「ひらり」


まず、「ひらひら」の丁寧な表現であり、語源とも考えられる「ひらり」から調べてみると、江戸時代初期の狂言師、大蔵虎明(おおくら とらあきら)が著した大蔵流最古の台本「狂言之本(1597~1662)」にその表現が残されていました。

「与一が兜 (かぶと) の鍬形 (くはがた) の、ひらりひらりとひらめくにぞ」〈虎明狂・文蔵〉

この「ひらりひらり」は「きらめくさま、きらりきらり」を意味し、現代語に訳すと「身を翻(ひるがえ)すたびにキラキラと反射する兜の光」という、非常に動的で鮮やかな情景を表現しています。これを元に、「ひらり」という言葉は、下記のように定着したとされます。

「ひらり」の意味

1 すばやく身をかわしたり飛び移ったりするさま。「ひらりと馬に飛び乗る」
2 物が軽くひるがえるさま。「木の葉がひらりと舞い落ちる」
出典:デジタル大辞泉(小学館)

これらの意味を知ると、確かにロードスターのハンドリングのイメージと重なります。特に「打ち込む太刀をひらりひらりとかわす」という表現は、コーナーが連続するワインディングロードを、最小限の操作で駆け抜けるロードスターの姿そのものではないでしょうか。しかし、さらに調査を進めると、「ひらひら」の方が、さらに古い歴史を持つことが判明しました。

語源を探る旅路(本編)、平家物語にみる「ひらひら」


「霊剣を抜かせ給ひければ、夜のおとどひらひらとして電光にことならず」〈平家物語〉

日本人ならば誰もが知る鎌倉時代(1185~1333年)の軍記物語「平家物語」。実に「ひらひら」という表現は、ここまで遡ることができました。その意味は「光がひらめいたり、炎が揺れ動いたりするさま」。この語源が、現在の表現に繋がっています。

「ひら‐ひら」の意味

【副詞】
1 薄くて軽いものが揺れ動くさま。「花びらがひらひら(と)舞い落ちる」
2 光がひらめいたり、炎が揺れ動いたりするさま。

【名詞】
軽くひるがえる薄い物。「レースのひらひらのついたブラウス」
出典:デジタル大辞泉(小学館)

また、同じ時代の和歌集「古事談(1212~1215年)」においても下記の一節があります。

「袖引ちがへて庭に出て、ひらひらとねりて」<古事談>

この場合の「ひらひら」は「身軽にあちこち動く」様を表現しています。これらの表現が醸成され「ひらり」に繋がり、さらには「ひるがえる(翻る)」などの言葉に派生し、現代まで受け継がれているようです。

「ひらひら感」が意味するもの


ロードスターの乗り味に対し、誰が最初に「ひらひら感」を用いたかは定かではありません。しかし、その言葉が軽快なハンドリングを的確に、そして詩的に表現していることは、語源からも明らかです。

一方で、この「ひらひら」という言葉は、安定性の欠如や、ステアリングセンターの曖昧さといった、ネガティブな側面を想起させる可能性も否定できません。実際、特に初期のNAロードスターは、現代のクルマに比べれば、そうした特性を持っていたことも事実です。しかし、それこそが、クルマがドライバーに積極的に対話を求めてくる、プリミティブな魅力の源泉でもありました。

800年以上前の言葉を引用し、センセーショナルな乗り味を持つ一台のスポーツカーを表現した最初の人物のセンスには、ただただ感服するばかりです。

私が個人的に調査した中で、「ひらひら感」は、NAロードスター、そして次点でNDロードスターのレビューで多く見られるようです。ボディ剛性を大幅に向上させ、よりリニアで安定志向のハンドリングを獲得したNBやNCの乗り味を「ひらひら」と表現する例は、あまり見かけません。

これは意図されたセッティングであり、グローバルカーとしてより多くのドライバーに受け入れられるための、必然的な進化でした。NBやNCのオーナーにとっては、「ひらひら」という少し掴みどころのない表現よりも、「人馬一体」という、よりロジカルで、ドライバーの意思への忠実さを示す言葉の方が、腑に落ちるのではないでしょうか。

ちなみに、NB/NCロードスター開発主査の貴島孝雄氏にインタビューした際、「人馬一体という感性をエンジニアリングの領域に落とし込むため、誰が乗ってもそう感じる客観的な指標として『ニュートラルステア』という乗り味を徹底的に作り込んだ」というエピソードを伺ったことも、ここに付記しておきます。

参考→https://mx-5nb.com/2019/12/29/kijima2017-1/

海を渡った人馬一体、海外におけるロードスターの表現


英語で「ひらひら」を訳すと「Fluttering(はためく)」となりますが、自動車用語としてはアイドリングの不調などを指すネガティブな意味で使われることが多いようです。

では、英語圏ではMiata(MX-5)のハンドリングをどう表現しているのでしょうか。

・Highs Playful handling(=喜びに満ちた、遊び心のある走り)
・Handling the best chance to thrive(=走りで最も素晴らしい瞬間を味わえる)
・Champagne Taste on a Beer Budget(=ビールの予算でシャンパンの味を)

ここに「ひらひら」という直接的な表現はありません。しかし、「Playful(遊び心)」という言葉は非常に示唆に富んでいます。これは単に「楽しい」という意味だけではなく、クルマがドライバーの操作に対して寛容で、意のままに操る「余地」を与えてくれることを意味します。例えば、限界領域での挙動が穏やかで、破綻をきたしにくい特性。これは、ドライバーに過度な緊張を強いることなく、純粋な対話を楽しませてくれるロードスターの本質を見事に表現しています。

彼らは「楽しい」という感情を起点に、その乗り味を表現するのです。これは日本の「人馬一体」という思想と、驚くほど近い場所にあります。ちなみに「人馬一体」は、今や世界共通の言葉「Jinba Ittai」として認知されています。

「ひらひら感」が良いか悪いかは、個人の価値観に委ねられます。しかし、それは「軽快感」という言葉に集約され、その表現の奥には、他のスポーツカーが重量やパワーと引き換えに失ってしまったかもしれない、素朴で純粋な運転の喜びが隠されています。

個人的には、私の愛車であるNBロードスターの、地に足の着いた安定感と意のままに操れるリニアリティを「人馬一体」と呼びたい。そう思うのは、やはり私がNB乗りだからなのでしょうね。

関連情報→

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