M2の残した功罪(メーカーチューンのデメリット)

M2の残した功罪(メーカーチューンのデメリット)

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第二のマツダ、「M2」


【M2 1002 Vintage/M2 1001 Cafe Racer】
「M2(エムツー)」とは、1991年から1995年頃まで存在した、マツダ車の商品企画を事業目的としたグループ会社です。マツダ本社を「M1」ととらえ、M2はマツダの「2番目の会社」であることを意味していました。

その目的は、マツダ車の新たな商品開発です。「TOKYOソフト開発実験工房」として、広島本社、カリフォルニア、ドイツ、横浜にあった開発拠点に次ぐ新たな拠点として設立されました。さらに、大きな特徴として既存の拠点とは明確に異なるコンセプトを掲げました。


【M2 1015A Spartan Micro Rally WRC】

それは、商品企画においてプランナーと顧客が直接コミュニケーションを重ねる場を設け、「クルマの新しい価値創造」を発見しながらオリジナルモデル制作や本社開発にフィードバックを行っていくという、当時としても極めて先進的な試みでした。


会社設立にあたっては、東京都世田谷区の環状八号線沿いに建築家・隈研吾氏デザインによるポストモダンな自社ビル(通称「M2ビル」)が建設されました。そこには会社機能だけでなく、マツダやユーノスのディーラー、イベントホール、レストラン、洋書専門店などがマツダ直営店舗として併設され、まさにクルマ文化の発信基地としての役割を担っていました。

余談ですが、このM2ビルは非常に特徴的なデザインから、海外の旅行サイトにおいて「世界で最も醜いビル10選」に取り上げられています。「M2は、支離滅裂、憂鬱で徹底的に汚い」という評価で、隈研吾氏自身も「建築界でM2の評判は芳しくなかった」「M2がトラウマ」と回想されており、良くも悪くもバブル経済時代の勢いを象徴するアイコンのような存在といえるでしょう。

確かに、中央に巨大なイオニア式の柱頭を配したポストモダン建築は、良くも悪くも一度見たら忘れられない強烈な個性を放ち、マツダの、そしてM2の挑戦的な姿勢を無言で物語っていました。現在、この建物が葬祭場として利用されているのは、時代の移ろいを感じさせる皮肉なエピソードかもしれません。


【M2 1005 323WRC/M2 1023 Mazda Familia Sport-4】

閑話休題、このM2ビルにはマツダの商品開発スタッフが常駐し、実際に来場者からの「生の声」を聴いて企画作業に活かされていきました。それまで限定的に行われていたクリニック(開発中の市場調査)を恒常的に行うという、ユニークな事業形態を実践していたのです。

M2の残した功罪


M2ブランドで有名なのは、ユーノスロードスターをベースに市販された「M2 1001」「M2 1002」「M2 1028」と、オートザムAZ-1をベースにした「M2 1015」でしょう。

特に、M2ブランドを冠した市販第一弾である「M2 1001」は、ひとつの伝説です。初代ロードスター開発に深く関わった立花啓毅(たちばなひろたか)氏の思想のもと「カフェレーサー」をコンセプトに、量産車という制約の中で妥協せざるを得なかった部分に、徹底的に手が入れられました。エンスージアストの理想を追求した、押し付けがましいほどに凝った仕様は「メーカー純正」の域を完全に逸脱していました。限定300台に対し7倍もの応募が殺到したという事実は、M2がいかにエンスージアストの心を的確に射抜いていたかの証明です。


【M2 1019 S.Presso/M2 1009 Compact Utility】
M2ブランドのクルマはチューニングカーのイメージが強いかもしれませんが、実際は(欠番もありますが)「M2 1031」まで連番で様々なコンセプトが披露されていました。そのラインナップはSUVからMPV、スポーツピックアップまで多岐にわたります。


【M2 1022 New family Sedan/m2 1024 Panorama tall boy】
後にマツダの経営危機を救うことになるデミオの原型となった「M2 1022」や、ボンゴフレンディのキャンパー仕様「オートフリートップ」の源流である「M2 1024」も、M2の活動から生まれています。


【M2 1020 based MAZDA RX-7 SP】
また、市販には至らなかったものの、後のマツダ車に繋がるコンセプトも数多くありました。

海外レースのホモロゲーション取得を目的とした「M2 1020」(RX-7 SPのベース)、4座スポーツカーの「M2 1007」(RX-8の思想に近い)、ロードスターベースのクーペモデル「M2 1008」(NBロードスタークーペとして実現)、そして車椅子対応のロードスター「M2 1031」(現在のロードスターSeDVに通じる)などは、M2の先進性を示す好例です。


【M2 1010 FUSER】
振り返ると、M2はマツダという大企業では実行しづらい試みを、形にこだわらず積極的にチャレンジしたことで、多くのアイディアや功績を残しました。

しかし、バブル経済の崩壊と、それに続く5チャンネル体制の失敗を起因とするマツダの経営難により、株主となったフォードから「M2は大赤字だから畳め」と真っ先に指令がくだり、1995年春、残念ながら休眠会社となってしまいました。

M2活動のナンバリングルール


【M2 1011 Cosmo Vintage】
M2の活動は全て「実験成果物」としてコードナンバーが充てられました。有名なものはクルマに振られた1000番台ががありますが、情報発信誌として配布された「M2 VOICE」「M2 PAPER」には個別に9000番台が充てられています。そんなM2企画のナンバリングルールは以下の通りです。

M2 1001~2999 クルマ創り
M2 3001~5999 クルマ関連の商品開発
M2 6001~7999 クルマ関連以外の商品開発
M2 8001~8999 イベント
M2 9001~9999 コミュニケーション

特に、1000番台で制作された数々のコンセプトカーは、後のマツダ車に少なからず影響を与えた、個性派ぞろいでした。


【M2 1004 Fullhouse】

M2 Incorporated planned car
Model Concept Overview Status
1001 Cafe Racer / Clubman ユーノスロードスターのスポーツチューン 300台製造
1002 Vintage ユーノスロードスターのヴィンテージリファイン 300台製造予定、実販売84台
残パーツは「Tokyo Limited(40台)」へ流用
1003 Junior ユーノスロードスターの軽量ハードチューン 1002の販売不振でキャンセル
1008のベース車へ
1004 Fullhouse オートザムレビューのハイルーフ
(フルゴネットバージョン)
コンセプトカー
1005 WRC ファミリアのグループAラリーバージョン 1023へアップデート
1006 CobraSter ユーノスロードスターに
ルーチェ3L・V6エンジン(JE-ZE)を搭載
大幅な改造が必要なため開発中止
試作2両製作
1007 4人乗り、4ドアのスポーツカー 開発中止、コンセプトはRX-8として実現
1008 Berlinetta ユーノスロードスターのクーペ 開発中止
後にロードスタークーペ(NB7)として実現
1009 Compact Utility 小型・都会派SUV コンセプトカー
1010 FUSER 前半分ファミリアアスティナ
後半分ファミリアセダンベースのスポーツピックアップ
コンセプトカー
1011 Cosmo Vintage ユーノスコスモのラグジュアリーバージョン コンセプトカー
1012 Clubhouse アンフィニMPVのラグジュアリーバージョン コンセプトカー
1013 Living アンフィニMPVの2列シートバージョン コンセプトカー
1014 AZ-1 MiniRV オートザムAZ-1のオフロードバージョン コンセプトカー
1015A AZ-1 Spartan Micro Rally
WRC
オートザムAZ-1のWRCイメージバージョン コンセプトカー
1015B AZ-1 Canvas Top オートザムAZ-1のキャンパストップ仕様 コンセプトカー
1015 M2 1015 オートザムAZ-1のスタイリング変更仕様(販売促進) 50台製造+追加生産
計 327台
1016 AZ-1 The Rally オートザムAZ-1のオンロードラリー仕様 クレイモデルのみ?
1017 欠番
1018
1019 S. Presso ユーノスプレッソに
クロノス2.5L・V6(KL-ZE)エンジンを搭載
開発中止
1020 アンフィニRX-7のスポーツチューンバージョン 試作2両製作。欧州GT-Pレースホモロゲーション
(RX-7 SP 30台生産)のベースへ
1021 欠番
1022 New family Sedan 初期は2列6人乗り大型ミニバン、クリニックの結果オートザムレビューベースへ デミオとしてデビュー
1023 Mazda Familia Sport-4 1005の量産検討モデル コンセプトカー
1024 Panorama tall boy ボンゴフレンディのキャンピングカーバージョン ボンゴフレンディ
オートフリートトップとしてデビュー
1025 欠番
1026
1027
1028 Street Competition ユーノスロードスターのサーキットチューン
1001リスペクトモデル
300台製造
1029 欠番
1030
1031 車椅子対応のユーノスロードスター コンセプトカー
後にロードスターSeDVとして実現

主査を悩ませた「専用パーツ」


M2の活動は会社が休眠したことで終わりませんでした。むしろ、ここから新たな問題が始まったのです。M2モデルのために凝りに凝って作られた専用パーツや社外部品のアフターサービスを、「顧客フォロー」を徹底するフォードの厳命により、マツダ(M1)が引き継ぐことになりました。


ちなみに、車両生産が終了しても消費者保護法の観点からパーツ供給義務を定めている国はありますが、日本において法令の定めはありません。

自動車業界団体でも、最低部品保管期間を定めているわけではないため、実情はカーメーカーごとに扱いが異なっています。※マツダのクルマは基本的にグローバル展開を行っているので、生産打ち切りからほぼ10年くらいはパーツ供給が見込めます。


もちろん、販売前に想定される補修部品の需要数はコスト管理のもと算出されていますが、M2の専用パーツは明らかにその想定を超える要望が継続しました。極端な話、M2モデルのバンパーが請求されたら、M2時代にメーカーとしてバンパーを供給していたので、再生産してでもパーツを出さなければいけません。

メーカーとしての販売実績が振るわなかったM2であっても、多くのロードスターオーナーにとって「憧れの存在」であり、モディファイのベンチマークとなっていたため、過剰なパーツ請求が続いたのです。


例えば、バンバン量産していたら1万円で供給できるパーツも細いロットだと10万円かかってしまいます。それでも、それを1万円で売らなければいけなく、その差額(9万円)はマツダが被っているような状況でした。

メーカーとして販売した以上、たとえそれが少量生産のチューニングカーであっても、部品供給の責任から逃れることはできません。この「専用パーツ」の問題は、M2廃止後10年以上にわたってロードスター開発主査(貴島さんは「来ないでくれ」と願っていたそうで・・・)の頭を悩ませ続けることになりました。(当時「車検証が無いとパーツ請求できない」と言われた経験のある方もいるのではないでしょうか?)

メーカーである限りは採算のことも考えないといけない。最初に限定300台で1台あたり100万円ぐらいノーマルよりも高い価格設定で売ったとしても、ずっとサービスするということを考えたら、本当はもうあと50万円ぐらいは高く売っておかなければいけなかった。そうでもしないと赤になってしまう。ああいうクルマは、価格設定からして難しい。

上記は、ロードスター主査の貴島さん(当時)がメディアのインタビューで語っていた言葉です。

この教訓は、近年のメーカー製コンプリートカー、例えば「GRヤリス」や「GRカローラ」の価格設定にも通じるものがあります。メーカーがアフターパーツまで含めたチューニングカーを世に送り出すということは、その後の部品供給という長期的な責任まで見越した事業計画が不可欠なのです。

アフターパーツの生産にメリットはない?


実際、メーカーとして「部品の生産終了」を決定することは大きな課題です。採算が合わなければ価格を上げればよい、と単純にはいきません。メーカーごとに値上げ幅や生産ルールに制約があり、仮に値上げしたとしても、生産ラインを動かす非効率さを考えれば、製造自体を中止した方が合理的という判断もあり得ます。


特に、様々な物品の供給難が続くこのご時世ですから、発表されずとも「いきなり廃版」は普通に耳にします。NAロードスターの公式レストアプロジェクトはアフターパーツの安定供給を図る一、歩踏み込んだ企画だと実感できます。パーツ価格を上昇させてでも「継続」してくれることは、とてもありがたいことなのです。(※190部品の復刻を行うも供給困難部品もちらほら発生し、メーカーとして「最終調達リスト」が定期更新されています)

少し話はそれますが、最近はNDロードスターのブレンボキャリパーがオーバーホール用のシールキットが用意されず、ASSY交換になってしまうことが話題になりました。小パーツ単位のアフターパーツ供給では採算が取れないという判断かもしれません。ただ、パーツリストに記載されていない「隠し供給」もあるようなので、要望が多ければ対応されるかもしれませんが・・・

なお、ユーノスロードスターはパーツ供給を「継続」するため、意図的にNBロードスターのパーツに互換性を持たせていました。当時はNAのコンディション維持のためにNBが役立っていましたが、現在は逆の立場になっているのも面白いですね。


「M2 1028」が販売されたのは1994年。単純計算で2004年頃まで部品供給が期待されましたが、実際にはパーツを製造していたサプライヤーの廃業なども相次ぎ、早期に供給が打ち切られた部品も少なくありません。現在、それらのパーツがオークションサイトで高値で取引されているのはご存知の通りです。本当にその価値があるのかは個人的には疑問ですが、チューニングカーはオリジナル状態にこだわると、維持するハードルが一気に上がっていきます・・・


また、M2の教訓を活かして作られたチューニングカーとしては「NBロードスターターボ(マツダスピードミアータ)」がありました。実際、パーツ供給の継続を頑張っていましたが、残念ながらここ数年で一部廃版も出ています。販売の2004年から20年を超えているので仕方ない部分もありますが、海外需要が多かったことからアフターパーツに恵まれているのが(それを見込んでいたのが)、国内展開のみだったM2とロードスターターボの大きな違いかも知れません。


ただし、暗いニュースばかりではありません。

2020年7月にポルシェ911GT2RSのピストンが3Dプリンターで開発されたニュースが話題になりましたが、精度の高いパーツも技術革新で開発・再現できる世の中になりました。ハイパワーエンジンの最も過酷なピストンを軽量化してプリントして、しかも30psの性能向上になったなんて・・・ものすごく夢のある話です。

つまり、オリジナルパーツにより近しく(さらにアップグレードした)パーツが、データから復元・生産が可能になる時代がもうすぐ来るのです。著作権や特許のハードルをクリアできれば、レストアパーツ・プリント専門店ができるかも知れません。パーツが無くて我慢する日々は無くなるかも知れませんね。

実際、ロードスターの専門ショップが2025年7月に「ロードスタープロショップネットワーク」を設立し、マツダ協力のもとリプレイスパーツの供給に奮闘を始めています。他メーカーではトヨタがAE86のパーツ設計図を公開していたりと、旧車の維持に明るい未来が差し込んでいることも事実です。

M2の精神は、現代に蘇るか


M2が遺したものは、数々の名車やコンセプトだけではありませんでした。顧客との対話からクルマを創り上げるという思想、そしてメーカー製チューニングカーを継続することの難しさという教訓。これらはその後のマツダに大きな影響を与えました。

そして2022年、マツダはそのモータースポーツ活動を統括するサブブランドとして「マツダスピリットレーシング(MAZDA SPIRIT RACING)」を発表しました。これは単なるレース活動に留まらず、スーパー耐久シリーズなどの過酷なレース環境で実証された技術や知見を、市販車やパーツにフィードバックすることを目的としています。

すでに「MAZDA SPRIT RACING ROADSTER」の販売が決定しており、その内容はサスペンションやエアロパーツ、バケットシートといった、まさに「走り」に直結する部分の強化が中心です。これは、メーカーという枠の中で、いかにしてエンスージアストが求める「尖った」クルマを創り出すか、というM2がかつて挑んだテーマへの再挑戦と見ることもできるでしょう。

顧客との対話を重視し、走る楽しさを追求する。その手法は時代と共に変われども、根底に流れる精神は、30年の時を超えてM2からマツダスピリットレーシングへと、確かに受け継がれているのかもしれません。(※マツダスピードはルーツが異なるので別トピックで・・・)

関連情報→

M2 1001(NA6CE改)試乗記

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