この記事を読むのに必要な時間は約26分です。
1990年代初頭に登場したマツダのクルマたちは、今の時代でも全く色褪せることのない美しいプロポーションと、有機的な艶やかさを持っていました。いわゆるオーガニックシェイプ(※)とされる、現在では安全基準やパッケージングの制約から少なくなってしまった流麗なスタイリングです。
※有機的で滑らかな自動車デザインを指す言葉として、他にも「オーガニックフォルム」「バイオデザイン」「エアロージョン(風化造形)」といった表現も用いられます
もちろん、令和のマツダ車も素晴らしいのですが、なぜ30年以上前のデザインであっても陳腐化せず私たちの心を打つのか。その根底には、工業製品の枠を超えてクルマを「生命体」として捉えたデザインフィロソフィー、「ときめきのデザイン(Inspired Sensation)」がありました。
とはいえ、近年のファミリーフェイスにあるような統一モチーフではなく、マツダデザインのなかでもいくつかの「流派」が混在していたのですが、本記事はロードスターを軸にして、90年代の一部のマツダ車で採用されていた「ときめきのデザイン」がどのように生まれ、日米の天才たちによっていかに高次元の融合を果たしたのか・・・今回はそのバックグラウンドを深掘りしていきます。
「感性エンジニアリング」の胎動

「ときめきのデザイン」の源流は1980年代前半にまで遡ります。オイルショックの悪夢が終わり、未来への希望を持って始まったこの時代の自動車デザインは「合理性」「直線基調」が主流になり、空力性能やパッケージングの最適解として、折り紙細工のようなウェッジシェイプや直線的なフォルムの(当時としては)未来的なイメージを得るクルマが街中に溢れていました。
そんな時代、ロータリーエンジンの実用化で知られる山本健一常務(のちの社長、会長)は、今後のマツダのクルマ作りにおいて「感性エンジニアリング」という概念を提唱しました。これは、馬力やスピードといった数字や性能を追うのではなく、人間がクルマに乗って感じる「気持ち良さ」や「フィーリング」といった主観的な価値を科学的手法で作り込む、先進的な哲学でした。
この哲学にいち早く呼応したのが、カリフォルニアにある北米マツダのデザイン拠点、PPR(プロダクト・プランニング&リサーチ)部門のMANA(マツダ・ノースアメリカン、現在のMNAO(マツダ・ノースアメリカン・オペレーションズ))でした。
当時のアメリカのハイウェイでは、ただ移動するための合理的で四角いコンパクトカーやトラックで埋め尽くされていました。そこに副社長として駐在していたマツダの福田成徳氏(後のデザイン本部長)は、その無機質な光景を目の当たりにし「理屈抜きで気持ちをワクワクさせる、豊かな表情を持つクルマが必要だ」「クルマは単なる移動の道具(アプライアンス)であってはならない」と強く確信しました。

1984年、MANAにフルサイズのクレイモデルが製作できるデザインスタジオが完成します。福田氏のもとで、ロードスターのコンセプトデザインを手がけることになる新進気鋭のカーデザイナー、トム俣野(俣野努)氏※が加わりました。彼らはスタッフが帰宅した後のスタジオで、山本会長の「感性エンジニアリング」を視覚化するためのデザイン思想を、毎夜練り上げたのです。
そして山本会長がアメリカを視察に訪れた際、彼らは「ロマンチック・エンジニアリングとトキメキのデザイン」と題したプレゼンテーションを決行しました。この出来事が、のちにマツダを世界的なデザインブランドへと押し上げる原点のひとつなりました。
世界的な名車を手がけた日本出身の伝説的カーデザイナー。1947年長崎県生まれ。1970年に渡米し、米GMや独BMWなどを経て1983年にマツダへ移籍。マツダのチーフデザイナーとして、世界的な大ヒットとなった初代「ユーノス・ロードスター(海外名:MX-5 Miata)」の誕生に深く貢献、流麗なデザインで今なお高い評価を得る3代目「RX-7(FD型)」のスタイリングにも携わる。後進の育成にも尽力し、国内外の自動車文化に多大な足跡を残したが、2025年9月20日に逝去。
20年後まで愛される「トキメキのストーリー」

トム俣野氏が描いた「ときめきのデザイン(Inspired Sensation)」は、単なるクルマのスタイリングの話にとどまりませんでした。
それまでのクルマは「購入してもらうまで」のストーリーで終わっていました。しかし、彼はのちのミアータ(ロードスター)に繋がるライトウェイトスポーツカーを例にして、「買ったあとのストーリーがあってこそ、本当に価値のあるクルマである」というロマンを語りました。それはユーザーがそのクルマと出会い、時には別れ、そして共に人生を歩む、壮大なストーリーをデザインの要素に織りこむという、壮大な内容でした。
高速道路であるマツダのクルマに追い越された。追い越していったクルマの後ろ姿(テールデザイン)がなんだか気になる。街やテレビのコマーシャルでも見かけるようになり、いったいどんなクルマなんだろうと調べたら、それが「ミアータ」だと分かった。
ついにはディーラーで実物を確かめたくなり、実際にクルマを見たら試乗したくなった。その時点で運転したらどんな気持ちになるだろうとワクワクし、エンジンがかかった瞬間、その期待を遥かに上回る心の高まりを実感した。最初のコーナーへ向けてハンドルを切ったらイメージ通りにすっとクルマが曲がり、走るほどにそのクルマが気に入った。試乗が終わったらとても満足し、購入していた・・・
納車され家に帰ったら家族をテストドライブ(お披露目)に誘った。納車後の興奮冷めやらぬまま夜が訪れ1日が終わる。就寝する前にもう一度車庫に行き、買ったばかりの新車に「おやすみ」を告げた。
翌日、通勤や通学時では最短距離で会社や学校に行くのではなく、自宅を少し早めに出てわざわざ遠回りをしたり、帰り道には普段通らないような面白い峠道を走った。購入して1ヶ月ほど経った週末、遠出をしようと思い立った。ツーリング先は普段の景色と違ので、クルマの表情も普段とは変わって見えた!
やがて何年もの月日が過ぎ、クルマを手放す時がやってきた。ミアータは2人乗りなので家族連れには使いづらいからだ。結婚して子どもを授かったため、実用的なクルマに乗り換えなければならないのだ。しかし、ミアータは手放した後も心の中にずっと思い出として残っていた。
それから何十年も経って子どもが成人し、また自分のために2シーターに乗れる機会がきた。もちろん、かつて自分が乗っていたのと同じミアータを再び手に入れた。たとえ少々傷んだ中古車であっても、自分の手でレストアしてでも、もう一度乗りたくなるようなクルマだからだ。
古いクルマに乗るためには、フェンダーやバンパーなどのスペアパーツ(補給部品)をいつでも提供できるよう、態勢を整えておかなければならない。当時のマツダにはそういう文化や発想がまだありませんでした。
また、20〜30年後に発売されるであろう、名車の歴史をまとめた「コレクターズガイド」が出版される未来まで俣野氏は思い描いていました。そのため、マーケティング部門が「限定車が売れたから、翌年も同じ色を出したい」と目先の利益要望をしてきても、「コレクターズガイドに『マツダは欲を出して、翌年も同じ色を作った』と書かれるのは恥ずかしい」と断固として退け、ミアータのブランドの価値を守り抜いたのです。
彼はミアータをはじめとしたクルマをマツダのいち車種ではなく、「歴史に残る名車」にするビジョンを提示したのでした。
この「買った後のストーリー(=感性のアプローチ)」こそが、クルマに感情を盛り込むことであり、2000年代のマツダブランドメッセージとなる「コントラスト・イン・ハーモニー」や「Zoom-Zoom」の原点に繋がっていきました。実際、現在は「歴代ロードスター」をまとめた本も売っていますし、古いロードスターに乗り続けたいというオーナーの要望に対応するため、クラシックマツダも発足しています。当サイトのようなファンサイトもその一部といえるでしょう。まさにトキメキのストーリーが実現しているのです。

歴史を動かしたV705(プロトタイプ・ミアータ)
この「ときめきのデザイン」による量産プロジェクトを強力に後押しする歴史的な出来事がありました。紆余曲折がありつつも、1985年10月にカリフォルニア州サンタバーバラで行われた「V705(ミアータ初期プロトタイプ)」の公道テストランです。
当時、マツダ本社の新技術開発本部でもライトウェイトスポーツの量産化には懐疑的な声(むしろ反対意見)が根強くありました。しかし、英国IAD社に依頼して製作した「走れるFRP製プロトタイプ」をアメリカの街に持ち出した途端、事態は一変します。
街を走らせると人々が歩道を走って追いかけてきて、赤信号で停まるたびに質問攻めに遭い、ついには「俺のベンツの鍵を渡すから、お前のクルマの鍵をくれ」と迫る人まで現れるほどの騒ぎになったのです。このアメリカ市場での圧倒的な反響が、当時の経営陣にLWS量産計画のGOサインを決断させる最大の原動力となりました。
日本の美意識「ひびきときらめき」

アメリカで産声を上げた「ときめきのデザイン」を持つライトウェイトスポーツ・コンセプトは、その後、強固な架け橋によって日本の本社へと繋がれます。北米でプロジェクトを牽引した福田成徳氏が日本に呼び戻され、マツダのデザイン本部長へ就任したのです。福田氏という強力な理解者が本社のデザインチームにおけるトップに立ったことで、日米間で「ときめきのデザイン」のDNAが共有されることになりました。
特に、日本側でこの哲学をプロダクト(量産デザイン)へと昇華させたのが、ロードスターやセンティアのデザインを手がけた田中俊治氏です。彼は元々は彫刻家もしており、当時のマツダのデザイナーのなかでも圧倒的な面造形で優れていた田中氏は、アメリカからやってきた「ときめきのデザイン」を、日本人特有の美意識で解釈し直しました。
四輪と二輪の両分野で歴史的な名車を送り出した伝説的工業デザイナー。1946年頃生まれ。マツダの本社デザイン部にて世界的な大ヒットを記録した初代「ユーノス・ロードスター(NA型)」のデザインチーフを務める。能面や茶室といった「日本の美意識」をデザインへ昇華させ、時代を超えて愛されるスタイリングを確立。さらに、大型セダン「センティア」のデザインも主導。2001年に川崎重工業(カワサキ)へ移籍しデザイン改革を牽引。2003年発売の「Z1000」を手がけ、現在の「Ninja」や「Z」シリーズに続くブランドの礎を築く。2021年12月に75歳で逝去。
田中氏が掲げた造形テーマは「ひびきときらめき」。彼は日本の古典芸能である「能面(小面)」に見られる輝き、張り、緊張感をクルマのボディラインに注ぎ込みました。自らノミを振るって打たれた能面のように、光と影の微妙な変化に応じて喜怒哀楽のさまざまな表情を見せる。クルマのフォルムに「静・動・寂」と、生命体の生み出すリズムを込めたのです。
欧米の模倣ではないマツダ独自のデザイン言語を造る。「ひびきときらめき」は、フラグシップ(高級車)であるセンティアを横に、休日返上でアフォーダブルスポーツカー「J58(ロードスターの開発コード)」の造形を行っていました。日本を代表するクルマとして、日本だからこそできることをやる。そんな矜持を持って、魂を削って、執念の作りこみがなされていきました。

それは、キャラクターライン(プレスライン)などのわかりやすい線に頼らず、太陽の光が描くハイライトと、地面の照り返しが作るシャドウのグラデーションだけで、シンプルかつ豊かな、生命体のような表情を表現する。これこそが「ときめきのデザイン」の核心でした。
プロダクトデザインが広島で進むなか、日米の衝突もありました。出張で本社を訪れたトム俣野氏は、制作途中のクレイモデルを見て愕然とします。ヘッドライト周りが、かつてのRX-7のような真っ直ぐでカクカクの箱形デザインにされていたのです。
面構成でクルマに感情を込めようとしていた彼は「おい、ここちょっといじってもいいか?」と自らクレイ(粘土)に手を突っ込み、丸みを帯びた愛嬌のある現在のデザインへ削り直しました。さらにハードトップの形状が他メーカー(ロータス)に似ていたことにも「うちはマツダなので、もどきを作ってもらったんじゃ困る」と自らテープを引き直しました。
この変更によってハイライトが崩れてしまっても、彫刻家である田中氏が一からやり直して面を整えることで、最初のデザインと寸分違わぬ位置に美しいハイライトをピタリと蘇らせたという、日米のプロフェッショナルによる執念のエピソードも残されています。
日米のアプローチの融合

この時代のマツダが傑作を次々と生み出せたのは、日米のデザインアプローチの違いが対立ではなく「高次元の融合」を果たしたからです。さまざまなプロジェクトが動き出すなか、数々の自動車メーカーで経験を積んできたトム俣野氏の視点が、マツダのデザイン開発プロセスに大きな変革をもたらします。
まず俣野氏が驚いたのは、広島から送られてくる図面が全て「1/10スケール」だったこと。アメリカの広大な土地では100m先でも「そのクルマ」であると区別がつく、明確な距離感とプロポーションが命ですが、スペースの狭い日本のスタジオでは近くからのディテールをいじりすぎる傾向がありました。「1/10では実体感が全く湧かない」と強く抗議し、スケールを見直させました。

また、プロポーションやスタンス、そして斜めから見た時(3/4ビュー)の、面の繋がりや骨格の美しさを徹底的に追求するため、従来は正面・側面・後面の3面図だけでデザインを評価していましたが、フロントとリアの3/4ビューを加えた「5枚セット」の評価方法を導入しました。

クレイモデルの制作手法も抜本的に改革しました。当時の日本では先に窓ガラスの位置を決めてからピラー(柱)を後付けしていく手法が主流でしたが、俣野氏は豊かな塊(面)を造形してからガラス部分を切り取る、「GM(ゼネラルモーターズ)式」のモデリングを導入しました。これにより、細いAピラーからボディ全体へと、あたかも「ひとつの塊」から削り出されたように、流れるシームレスで美しい面の繋がりが実現しました。
さらに、アメリカのスーパーマーケットの駐車場では「後ろ向き駐車(頭から突っ込む)」が多いため、クルマの「後ろからの見え方」が最も目にされるという、文化の違いにも着目します。そこでブランドアイデンティティを築くには、リアのデザインに気を配ることが有効であると断じ、フロントの顔つきだけでなく、リアビューのプロポーションにも異常なまでのこだわりを見せました。それにより、「ときめきのデザイン」では当時のロールスロイスくらいしか持っていなかったような、独特の曲線を帯びたトランク端末形状が生まれていきました。

一方で、田中氏ら日本のデザインチームは、近くで見た時のハイライトの移ろいや、1ミリ単位での面の張り、そして日本のナショナリティを感じさせる繊細でエモーショナルなディテールを極めていきました。当時の日本人デザイナーが陥りがちだった「ビジー(busy=余計な装飾が多い)」なデザインを徹底的に排除し、ハイライトに無意味なモールディングを足す悪習を止め、面の表情と自然なリフレクションだけで語る「シンプルな美しさ」が際立つようになりました。
文化の違いからくる「色」の認識のギャップもありました。カリフォルニアの強烈な日差しの下での見え方と、日本の湿度を帯びた空気のなかでの見え方の違いです。例えばアメリカ側が「ニュートラルなベージュ」と指定しても、日本側からは黄色みがかったベージュが上がってきてしまう。アメリカ市場で受け入れられる「赤いベージュ」を表現するため、詳細なカラーゲージを作り上げて日米の認識を擦り合わせました。

このような「文化の理解」「造形プロセスの改革」が両輪となり、「骨格を重んじるアメリカのダイナミズム」「生命の息吹を宿らせる日本の彫刻美」が、福田成徳氏という日米を繋ぐリーダーのもとで結びついた結果、世界中のどんなクルマとも似ていない、心を揺さぶる「ときめきのデザイン」が確立していったのです。
なお、この「ときめき」はデザイナーだけでなくエンジニアにも連携され、メカニズムのディティールも徹底的に追求されていきました。当時の一般的なプランナーが数値やスペックばかりを追う中、J58開発主査の平井敏彦氏は「手首だけで動かせるギアシフトの感触」「タコメーターの針の動きと加速感のリニアな同調」「気持ちが昂るマフラーサウンド」、さらには「エンジンルームから聞こえる電動ファンの音」など、ドライバーの五感に訴えかける感性領域を定め、作り込んでいったのです。
「ときめきのデザイン」が産み落としたマスターピース
こうして完成した「ときめきのデザイン」は、スポーツカーからセダンまで多様な車種に展開され、国内外で評価を受けるクルマを次々と生み出しました。

ユーノスロードスター/MX-5 Miata(NA) 1989年
「ときめきのデザイン」の象徴的モデル。リトラクタブルヘッドライトを採用し、ボンネットを極限まで低く抑えたスタイリングは、世界中にライトウェイトオープンスポーツの存在意義を再認識させました。クルマ自体の評価もさることながら、デザイン的にも技術的に注目されたパーツのなかに、テールランプがあります。最初からレンズに20〜30%のティント(色付け)を施し、中の反射鏡やブレーキランプが過剰に主張しないよう緻密に計算が行われました。
のちに世界的デザイナーとなるロス・ラブグローブ氏が「大昔の砂漠で見つけたら宝物として残されただろう」と絶賛し、日本の自動車パーツとして初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)に永久展示されたこのテールランプは、全体のオーガニックシェイプに機能部品すらも溶け込ませた造形美といえるでしょう。

センティア/アンフィニMS-9/MAZDA929(HD) 1991年
当時の高級車といえば「四角く威風堂々としたクルマ」が常識でしたが、センティアはジャガーを彷彿とさせる低く伸びやかなフォルムで登場しました。極端に絞り込まれたリアデッキ、キャビンを包み込むような美しいCピラー。光の反射を計算し尽くした深みのある塗装により、ときめきのデザインにおける美学が大型セダンというキャンバスで遺憾なく発揮されました。チーフデザイナーはユーノスロードスターと同じく、田中俊治氏です。

アンフィニRX-7(FD) 1991年
コンパクトかつハイパワーなロータリーエンジンの恩恵を、極限まで「美と空力」に昇華させたピュアスポーツ。アスリートの筋肉のように滑らかで官能的なボディラインは、冷徹な機械ではなく「血の通った生き物」のような生命感に溢れており、止まっていても速そうに見えるデザインです。チーフデザイナーは佐藤洋一氏、全体統括はトム俣野氏になります。
このFDのオーガニックシェイプは、海外の自動車ファンからも「90年代のカーデザインの中で、突出してうっとりする」と形容され、「世界で最も美しいスポーツカー」のランキングで常に上位に君臨し続けるなど、時代と国境を超越した評価を獲得しています。

ユーノスプレッソ/AZ-3/MX-3(EC) 1991年
1.8Lという小排気量のV6エンジンを搭載したスペシャリティクーペ。塊感のあるフロントノーズから、ガラスハッチを用いた未来的かつグラマラスなリアビューへの流れるようなラインは、コンパクトカーの枠を超えた彫刻的な造形でした。三菱自動車から移籍し、チーフデザイナーを務めていた荒川健氏がユーノス500と共に手がけています。RX-7の弟分として、横に並んでも違和感なく溶け込むセクレタリーカーとして造りこまれ、そのコンセプトは後のNBロードスターへ統合されます。

ユーノス500/Xedos6(CA) 1992年
「ときめきのデザイン」の真髄である「ひびきときらめき」をさらに昇華、4ドアセダンに凝縮したモデルです(「響きのデザイン」とされています)。フェンダーの抑揚と豊かな面の張りだけで魅せるボディは、後の「4ドアクーペ」の先駆けとも言える存在でした。このデザインは世界的に高く評価され、1993年には伝統あるカーデザインアワードで史上初の2部門同時受賞を果たしました。さらに、自動車デザイン界の巨匠であるジョルジェット・ジウジアーロが「コンパクトクラスで最も美しいセダン」「世界で最も美しい小型サルーン」と手放しで絶賛した伝説も語り継がれています。

MX-6(GE) 1992年
ミアータの兄貴分となる2代目MX-6のエクステリアデザイン開発においては文化の衝突がありました。豊かな感情を盛り込んだデザインをすべく、北米スタジオがグラマラスなオーガニックシェイプを描いたのに対し、日本からは「アメリカ人は脂っこいものを食べるからデザインまで太っている。こちらで贅肉を取ってスッキリさせてやった」とデザインが改変される一幕もありました。
しかし、俣野氏らはアメリカ市場の価値観と、豊かな曲面が持つエモーショナルな表現の重要性を粘り強く主張。最終的にこの北米発の艶やかなクーペフォルムが量産化され、「ときめきのデザイン」を体現する流麗なスペシャリティクーペとして結実しました。国内での人気は今一つでしたが海外では高く評価され、英国においてカーオブザイヤーを受賞しています。

ロードスター/MX-5 Miata(NB) 1998年
初代ロードスターが築き上げたクルマの楽しさを一切変えることなく、あえてキープコンセプトでクルマの素性(機能改善、軽量化、セッティング)を徹底的に鍛え上げる、当時のフルモデルチェンジではあり得ない「イバラの道」を歩んだ2代目NBロードスター。
デザインもあえて「ロードスターデザイン(=ときめきのデザイン)」を継承し、一般の人から見て『先代と同じだ、変わり映えしないな』と言われたら成功とされました。ただし初代のシンプルな造形から、鍛え上げたアスリートな体格をより艶やかなオーガニックシェイプで「寸分違わぬサイズ」で実現するチャレンジを行なっています。
フルモデルチェンジとはいえ実質は先代のマイナーチェンジモデルであることから、15年かけて鍛えたれたNBロードスターは、英国メディアにおいてポルシェ911と競って「どんな道でも楽しい」とベストハンドリングカーのアワードを受賞しています。
そして「コントラスト・イン・ハーモニー」へ

1990年代後半に入るとマツダは経営不振に陥り、再建のためにフォード傘下に入り、ブランド再定義が急務とされました。そこで新たに掲げられた統一デザインテーマが「コントラスト・イン・ハーモニー(=調和の中の対立)」です。
この戦略において、マツダは「ときめきのデザイン」が生んだ生物的な表現に、あえて力強いエッジやファイブポイントグリル(5角形グリル)を対比させることで、ブランド全体で統一されたファミリーフェイスを用いて、存在を際立たせようとしました。マツダのような規模のメーカーが生き残るためにはモデルチェンジの度にコンセプトを捨て去るのではなく、街中での存在感を積み上げていくしかなかったのです。
その転換を象徴するのが、「ときめきのデザイン」時代から継続販売をしていた、マツダスポーツカー群です。

FD3S 左:オリジナル(1991)/右:フェイスリフト(1999)
RX-7(FD3S)は1999年に5型のマイナーチェンジにてフェイスリフトを行いました。それまでの滑らかで流麗なフロントマスクに、「コントラスト・イン・ハーモニー」に基づくファイブポイントを、あえて大型のエアインテークにへ融合させています。これは「柔(オーガニック)」と「剛(エッジ)」が激しく火花を散らすフェイスリフトで、「機能重視」に振ったデザインは当時でも賛否両論がありました。

NB6C/8C 左:オリジナル(1998)/右:フェイスリフト(2000)
また、1998年に登場した2代目NBロードスターは、当初NAが築き上げたオーガニックシェイプを色濃く受け継ぐ「例外的な存在(=ロードスターデザイン)」として開発されました。
安全基準や軽量化の観点からリトラクタブルヘッドライトの廃止を迫られましたが、固定式となったティアドロップ型のヘッドライトを採用。フロントからリアへ流れる「コークボトル・シェイプ」はさらに磨き上げられ、NAの静的な美しさに対し、NBは光の当たり方によって筋肉が隆起して見えるような「動的」なアプローチを採用しました。5ナンバーサイズでありながら、視覚的にロー&ワイドなスタンスを実現したこの艶やかなフォルムは、「ときめきのデザイン」のひとつの到達点といえるでしょう。
しかし、2000年のマイナーチェンジ(NB2)においては、絶妙なバランスで「コントラスト・イン・ハーモニー」の要素を取り入れます。フロントバンパーの開口部を5角形グリルを想起させる形状に変更、ヘッドライトには歌舞伎の隈取(くまどり)のような鋭いキャラクターラインを入れて精悍な「動」の意志を獲得しました。生粋の「ときめきのデザイン」をベースの骨格に持ちながら、時代が要求した「コントラスト・イン・ハーモニー」のエッセンスを後からNBロードスター後期型は見事に調和させたのです。
![]()

スペックシートには載ることのない「感性性能」。
日米の天才たちが情熱を傾け、光と影の移ろいをクルマのボディというキャンバスに映し出した「ときめきのデザイン」の精神は、現代のマツダが誇る「魂動デザイン」へと脈々と受け継がれています。
当時のマツダ車に触れ、その鍛え上げられた「肉体」を眺めるたびに、私たちは何度でも、あの時代が放った鮮烈な「ときめき」を実感することでしょう。俣野氏は、生前に何十年もEメールやサインなどで「Always Inspired(常にときめきを)」と書いていました。
その語源こそが「Inspired Sensation(トキメキの世界)」であり、デザイナーたちの生き様そのものが刻まれていたのでした。
関連情報→