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1989年に誕生し、世界中のエンスージアストを熱狂の渦に巻き込んだユーノスロードスター(NA型:MX-5 Miata)。当時、十数年ものあいだ途絶えていたライトウェイトスポーツカー(LWS)というジャンルの再開拓を行い、その後「ポルシェ ボクスター」「メルセデスベンツ SLK」「BMW Z3」を始めとした数え切れないオープンスポーツカーのフォロワーを生み出した、歴史的なマスターピースです。
しかし、この偉大なるスポーツカーは決して一朝一夕に、あるいは西洋スポーツカーの単なる模倣として生まれたわけではありません。
その源流にはカリフォルニアの北米マツダ(MANA)においてトム俣野氏や福田成徳氏らが描き出した「Inspired Sensation(ときめきのデザイン)」という、【クルマと人の一生の物語を自動車デザインに落とし込む】哲学がありました。そして、太平洋を渡って広島本社へ継がれたバトンを量産車として昇華させたのが、プロダクトデザイン(量産デザイン)の主査を務めた天才デザイナー・田中俊治氏です。
今回は「ときめきのデザイン」がいかにして日本文化、精神性、美意識と深く結びつき、NAロードスターの肉体を獲得していったのか。NAロードスターにおける量産デザインのストーリーをご紹介します。
四輪と二輪の両分野で歴史的な名車を送り出した伝説的工業デザイナー。1946年頃生まれ。マツダの本社デザイン部にて世界的な大ヒットを記録した初代「ユーノスロードスター(NA型)」やフラグシップセダン「センティア(HD型)」のデザインチーフを務める。能面や茶室といった「日本の美意識」をデザインへ昇華させ、時代を超えて愛されるスタイリングを確立。2001年に川崎重工業(カワサキ)へ移籍しデザイン改革を牽引、2003年発売の「Z1000」を手がけ、現在の「Ninja」や「Z」シリーズに続くブランドの礎を築く。2021年12月に75歳で逝去。
「ステーキの食べ過ぎ」からの脱却

J58プロジェクト(ライトウェイトスポーツカー)が正式にスタートし、量産化に向けたプロダクトデザインがいよいよ本格的に動き出しました。先行デザイン(アドバンスデザイン)となる真っ赤なダイノックフィルムが張られたクレイモデルが、北米MANAから広島の本社へ送られてきました。
アメリカのハイウェイを疾走する姿を想像し、現地のデザイナーたちが情熱を注ぎ込んだ先行デザイン。しかし、それを見た田中氏の第一印象は、手放しで賞賛するものではありませんでした。田中氏は当時の偽らざる心境を、こう書き記しています。
「いささか大柄にみえ、私にはヘビーウェイト・スポーツにしか見えないし、兄貴分のRX-7の大きさにみえる代物であった。林(※)には申し訳ないが、彼も米国生活が長く、USAのスケール感と、ステーキの食べ過ぎか、日本食の繊細さには欠けていた」
※アドバンスデザインを主導した林浩一氏

広大なアメリカで眺めることを前提とした「ダイナミックな骨格」は、遠目では確かに見事でした。しかし、ライトウェイトスポーツカーとしてドライバーが触れ、操る「身の丈に合ったタイト感」や「繊細な命の息吹」が、ここには不足していたと彼は感じました。また、このまま量産化を進めるには、日本の道路事情に対して「大きすぎる」現実的な問題もありました。
当時、田中氏はマツダのフラグシップセダン「センティア」のデザイン開発に没頭し、多忙を極めていました。しかし、アメリカでアドバンスデザインを行った愛弟子・林浩一氏の「尻拭い」は師匠である自分しかいないと腹を括り、デザイン主査を兼任で引き受けます。そして、自らノミ(スクレーパー)を握ります。
この瞬間こそ、アメリカで生まれた「ときめきのデザイン」が、日本の職人の手によって「引き算の美学」のチューニングを行ったターニングポイントになりました。
「ひびきときらめき」、生命の造形

デザインの方向性を定めるにあたり、田中氏には明確な危惧がありました。それは当時の自動車デザインが、「ハイメカニズムを多用して、機能的な合理性と快適性を追求するあまり、人間の間尺を越えているのではないか」というもの。彼が目指したのは、インダストリアルデザイン(工業製品)の領域を打ち破り、精神的日常性を打破する、そんな「スポーツカーの世界」を表現することでした。
彼はときめきのデザインを「Swinging Time Machine(心躍るタイムマシン)」と解釈しました。
自由を欲する人、自然を愛する人、誰もがいつでもどこへでも、時間をも越えて「ときめきの世界」に行くことが出来る。ワクワクする一瞬を青春のページを過去に持ったことのある人、今でも持っている人、今から持とうとしている人、そんな人達を時空をこえて「心躍る世界」に連れて行ってくれる、そんな人生の道具であり、素晴らしい機械。

そこで、J58デザインの造形テーマとして掲げたのが「ひびきときらめき」という言葉です。そして、このテーマを具現化するためのモチーフとして彼が着眼したのが日本文化であり、日本の古典芸能である「能面」でした。

田中氏は、元々彫刻家としてのバックグラウンドを持つ異色のデザイナーでした。自らノミを振るって面を打つ喜びに魅了されていた彼は、数百年の時を経て現代に伝わる能面の完成度の高さに畏敬の念を抱いていました。
簡略を極めた曲面の中に封じ込められた、造り手の種々の思いや願い。それが「光と影」の微妙な変化に応じて、まるで生きているかのように様々な表情(シャドー)となって現れる。その感性を具象化する手法は、明らかに西洋のインダストリアルデザインの観念とは異なる、日本特有の美意識の極致でした。

田中氏はデザインスタッフに能面の実物を手渡し、その陰影の微妙な曲面を体感させました。特にインスピレーションの源となったのが、なめらかで色気のある女性のラインを表現した能面「若女(わかおんな)」です。
喜びや悲しみといった感情をあえて限定せず、「中間」の表情に作られる。そのため、演者の動きや舞台の照明、角度によって「微笑んでいるようにも、泣いているようにも」見えるのが最大の特徴。「小面(こおもて)」と呼ばれる若い少女のような面と比べると、少し面長で理知的、かつ艶やかで洗練された大人の女性の魅力(気品)をたたえる。貴族の愛人や悲恋の女性、時には幽霊など、人間の深い感情や情念を伴う役柄で、その複雑な内面を表現するために使われる。

ライトウェイトスポーツを心に浮かべて、「静」の時は豊穣さを象徴するたおやかな女性の曲線のように、たたずんでいるだけで美しい。「動」の時は、獲物を求めて俊敏に疾走する肉食動物のように獰猛で、猛々しい野生を感じさせる。そして、ワインディングロードを攻めた後、素晴らしい自然を展望できる場所でクルマを止めた時、自らを無にして自然と同化する「寂(じゃく)」の姿。

日本人の心に潜む「静」「動」「寂」のリズムを、スポーツカーのフォルムに込める。光と影をコントロールし、曲面とシンプルな線のみで構成していく。
その造形は偶然にも「おでこのライン」がボンネットへ、「あごのライン」がトランクへと繋がり、クルマ全体が【えも言われぬ色気】を放つようになりました。これこそが、NAロードスターがどこから見ても有機的で、生き物のように語りかけてくる最大の理由といえるでしょう。

車名(エンブレム)のレタリングに関しても、あえて英文字でありながら毛筆体(筆文字)のニュアンスを持たせることで、日本文化の香りを残すという細かい演出が施されています。

「Roadster」はもちろん、北米仕様の「Miata」のロゴも同様に毛筆のタッチで描かれており、海を越えてもそのDNAは大切に守られました。

孤立無援からの奇跡
しかし、この彫塑的なアプローチは、社内で「趣味に走っている」と冷ややかな目で見られる場面もありました。MANAからは「デザインを壊された」と苦情が入り、福田成徳デザイン本部長からも「アメリカのモデルの方がよかった」とこぼされるなど、田中氏は一時孤立無援の状況に追い込まれたそうです。
それでも内田デザイン副本部長から「日本の伝統的感性からアプローチした造形こそが絶対に正しい」と強力な後押しを受け、田中氏は天才クレイモデラーの梶山茂氏と共に休日返上で面仕上げに挑みます。

彼らは完成したクレイモデルを本社の屋上にあるターンテーブルに乗せ、冬の淡い自然光の中で回しました。そこでは途切れることのない美しいハイライトが浮かび上がり、J58が「有機的な生命体」へと昇華したことを確信し、言葉を失って見とれたのでした。
インテリアは「茶室」から、緊張感と「にじり口」

インテリアのデザインは、田中氏と新入社員の松尾素之氏、設計担当エンジニアの吉村俊輝氏とわずかな人数でスタートしました。エクステリアが「能面」の生命力を宿したとすれば、ドライバーが身を置くインテリア空間のモチーフは、日本の伝統的な「茶室」でした。
「Simple is the best」を貫き、虚飾を徹底的に廃したタイトな空間。田中氏はそのイメージを固めるため、広島にある上田宗箇流(武家茶の家元)を何度も訪ねました。四百年の歳月の中を脈々と、原爆の戦禍にも奇跡的に助かり、ひっそりとたたずむ茶室。そこには無機的ともいえるシンプルな造形でありながら、極限まで研ぎ澄まされた機能美がありました。

インテリアを設計する過程で描かれた唯一の白黒スケッチ(レンダリング図)を見た田中氏は、それが「山水画の一幅の掛け軸」を想わせるものであり、自身が思い描く茶室のイメージにぴったりと合致していたと語っています。「茶室」の精神はドアを開けて乗り込むという精神的な儀式から、乗り込んだ後のタイトで心地よい緊張感、そしてシートの柄に至るまで、NAロードスターのインテリア全体を貫く重要なデザインフィロソフィーとなっています。

インテリアのあらゆるパーツの造形イメージは、すべて「円(マル)」を徹底的なテーマとしました。シンプルで柔らかく、同時に強い意志を持つ「円」は、エクステリアの三次曲面との完璧な整合性を持ち、茶室の心地よい緊張感の中に愛くるしい「遊びごころ(フレンドリーさ)」を演出したのです。

また、ファブリックシートの柄に「畳」の目のようなパターンが採用されたのも、この茶室のインスピレーションが息づいている証拠です。(※ちなみにこの畳柄は、真っ黒に染め上げることで社内の役員たちの目を欺きながら、日本のアイデンティティを忍ばせていました)。

シンプルで軽く造るということは、コストダウンにも大きく寄与しました。
設計担当の吉村氏が他車種から使えそうな部品を山のように集め、軽量化のためインパネの構造をハードPP(ポリプロピレン樹脂)にしつつ表面を柔らかくしたいという矛盾に対し、「樹脂の上にソフトパッドを両面接着テープで貼り合わせる」というアイデアで切り抜けました。「貧すれば、ニューアイデアが出る」の精神で、ダッシュを貫く美しいマツダ伝統の「横一文字インパネ(T字型)」が完成しました。
メーター類はオートザムレビューのメカニズムを流用しつつ、文字盤を大径化して視認性の高いホワイトタコメーター風にアレンジ、独立したクロームのメッキリングを装着。指針も細く削ぎ落として精密機械の精度感を追求しました。フラグシップとなるセンティアを隣でデザインしていた田中氏自身が「極端すぎて滑稽」と振り返るほどの割り切りです。
なお、安全面のハードルから対米向け仕様では「美しい3本スポーク・ステアリング」は諦めざるを得ませんでしたが、国内仕様にはMOMOやナルディが採用されました。

さらに、日本文化のこだわりは、ドアを開けるための「アウターハンドル」にまで及んでいます。
NAロードスターのドアノブは指を掛けて手前に引くという、現代のクルマとしては非常にクラシカルな形状をしています。このデザインは茶室に入るための「にじり口」のメタファー(暗喩)として作られたものです。茶室のにじり口は、決して合理的とはいいがたい小さな入り口ですが、腰を屈めてそこを入る時、人は俗世を外に置き一人の「個」に返り、顔を上げるとそこには別空間の広がりを感じます。
このドアハンドルはエンジニアリングと真っ向対立となりました。最小・軽量で「その単品だけでも欲しくなるような美しい造形」を提案したところ、エンジニアたちからは「使いにくい」「インダストリアル(工業)デザインではない」と、大不評を買いました。しかし田中氏は、「不合理を肯定して、その不合理の限界を探る」というアプローチで押し切り、操作性の検討へと突入していきました。
実は、田中氏は全体的にもっとスリムな「1本指操作のデザイン」にしたかったと語っています。しかし、1本指では力が足りず「女性が扱えるように」という操作性・安全性の観点から激しく葛藤します。しかし、「2本指で穴に指を引っかける仕草は、なんだか妙に卑猥な感じがする」というスタッフの一言が決定打となり、テコの原理を工夫して、女性でも人差し指1本で確実に解除できる現在の形状に落ち着きました。

なお、NB型へとフルモデルチェンジした際に、空力、操作性、コストなどの観点からロードスターのドアハンドルは一般的な形状へ変更されてしまいます。田中氏はこの変更について「次のモデルでプルハンドルになったのは残念である」と率直な悔しさを書き残しています。
極限のダイエット、機能美の追求

理想の造形を追い求めるデザイナーと機能を追求するエンジニアの意見は、対立と融合の連続が続きました。NAロードスターには、そのような逸話が数多く残されています。
マツダの自動車技術者。1961年に入社し基礎設計に従事。販売会社への出向経験から「他社にない独自の車作り」の必要性を痛感。1986年に開発主査へ就任、1989年発売の初代マツダ・ロードスター(NA型)開発を牽引、その後AZ-1の主査としてプログラムを主導した。「人馬一体」のコンセプトを掲げて世界的なライトウェイトスポーツカー復活の立役者となり、2020年には日本自動車殿堂入りを果たした。2023年4月、87歳で逝去。

「男2人でゴルフは美しくない!」トランクスペース
平井氏(開発主査)からの強い要望として「トランクにはゴルフバッグが2個入るスペースを確保する(※当時の国産車における暗黙の了解)」という条件がありました。しかし田中氏は、スポーツカーで最も大切なのは「キュートなヒップライン」であると考え、造形中にゴルフバッグの要件をあえて完全に忘れ、リアホイールから後ろを思い切り絞り込んだデザインを作ってしまいます。案の定、主査からは猛烈なクレームがつきました。しかし田中氏は一歩も引かず、大激論を展開します。
さらに、「どうしてもゴルフに行くのであれば、助手席の女性にゴルフバッグを膝の間に優しく挟んで持ってもらうような、そんな小粋な乗り方をすべきだ」という無茶苦茶な芸術論を展開。最終的には平井主査も苦笑して折れ、リアオーバーハングを延ばしてデザインを崩すよりも、美しいヒップラインを活かす結論で着地しました。
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幻の8本スポークホイール
バネ下重量の軽減を狙ったアルミホイールは、クラシックに見えるワイヤースポークを模した「8本スポーク」でデザインを仕上げていました。しかし、田中氏が出張中の隙を突き、平井主査が独断で「重量軽減のために、スポークを1本減らして7本にしろ!」と決定します。激怒した田中氏は猛烈なクレームをつけますが、主査から「奇数にしたことでさらに軽く、かつマツダの厳しい耐久基準を100%クリアする」と説得され、渋々怒りを収めました。
しかし、結果的にスポークの数が奇数(7本)になったことで回転時の視覚的なシンメトリーが崩れ、走っていても止まっていても「躍動して見える」素晴らしいホイールデザインに大化けする、嬉しい怪我の功名を生みました。
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英国老職人の教え「幌はアンブレラ(傘)」
オープンカーの生命線であるソフトトップ(幌)の設計において、イギリスから派遣されていた初老の英国人エンジニアが、クレイモデルを見ながらぼそっと呟きました。「タナカ、幌の本質は『アンブレラ(傘)』だよ。退屈なエンジニアは完璧なスチールキャビンを屋根の上に作ろうとして自滅する。ただの、粋なアンブレラでいいんだ」。
この本質を突いたアドバイスにより、重くて複雑なモーター駆動などをすべて捨て、世界一軽量でシンプルに、手軽に開閉できる「6節リンク方式」に割り切りました。
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「カエル目」回避の1軸構造
フロントノーズを極限まで低く下げるため、田中氏は最初からリトラクタブルヘッドライト(ポップアップ式)を提案しました。重量増や空力の観点から「固定式にすべきだ」という猛烈な反対に対し、田中氏は固定式では出せない、あの愛くるしいハッピースマイル(丸目のパッチリとした瞳)にするため強引に押し切りました。
そこで、導入されたばかりの三次元CADを駆使し、最初は高く上がりすぎて「カエルの目」のようだった開閉のアーク(弧)を再計算し、目の位置を「20mm引き下げる」ことに成功。わずか4日間で完璧なハッピースマイルのバランスに収めました。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)への永久収蔵

NAロードスターのデザインにおいて、歴史的な快挙を成し遂げたパーツがあります。
それが、リアビューのハイライトである「テールランプ」です。このユニットの大きなブレイススルーは、トランクスペースやデザイン制約のなかで「最小構成で全ての機能を満足させる」という厳しい課題をクリアしたことでした。

田中氏がここでモチーフに選んだのも日本文化です。有名な点でいえば、テールの光かたが分銅型となるデザインソースを用いていることでしょう。また「まゆ(繭)形」の外形ラインの中に、丸(円)を複合させる造形も大きなチャレンジでした。スポーツカーのリアスタイルは「後ろから抱きしめたくなるような魅力がなければいけない」という情熱から、わずかに中央に向かってラウンドした(傾斜した)面構成を採用しています。

しかし、そのデザインを実現するためには、赤、オレンジ、白の「三色同時注入成形」という、ランプメーカーが「初めてのトライで不安だ」「次のモデルくらいからこの新技術をやらせてほしい」と泣きを入れるほどの高度な新技術が必要でした。それでも田中氏らは頼み込み、外装設計の佐伯課長と共に夜遅くまでクレイモデルを見ながらポンチ絵を描き、試作を重ねました。
深夜の実験室、裏面の反射板をニッパーとヤスリで切って張り、「はっきりと分銅型の光の輪郭を浮かび上がらせたいんじゃ!」と調整を繰り返し、ついに闇の中に赤い光が浮かび上がった時、外の空は美しい朝焼けでした。


結果、このテールランプユニットは工業製品の枠を超えた芸術作品として評価され、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」に永久収蔵されるという、自動車の部品としては異例の栄誉に輝きました。
MoMAの依頼へ田中氏は「もちろんクルマ全部(を展示したい)。特に一つだけといわれるならば、テールランプです」と答えると、MoMAの学芸員も「私もそう思います。このテールランプがあるからクルマ1台分でなく、部品でお願いしたのです。全てのこのクルマのエッセンスがテールランプに凝縮されています」と絶賛した逸話が残っています。なお、ボディソニックシート(畳柄のヘッドレストスピーカー付き純正シート)も展示検討されたのですが、こちらは実現しませんでした。
後に、著名なデザイナーであるロス・ラブグローブ氏もこのテールランプについて「現在の我々にとっては単なる工業製品でしかないが、大昔にもしこのテールランプを砂漠の中で誰かが見つけたら、ものすごく珍しがって宝物として残されていったであろう」と最大級の賛辞を贈っています。
アメリカ・ニューヨークのマンハッタンにある、世界最高峰の近代・現代美術専門の美術館。正式名称は「The Museum of Modern Art」で、その頭文字をとった「MoMA(モマ)」の愛称で世界中から親しまれている。1880年代のポスト印象派から現代の最先端アートまで約20万点の作品を収蔵し、教科書で見るような名作が数多く並ぶモダンアートの聖地。
ロス・ラブグローブ(Ross Lovegrove)
1958年イギリス・ウェールズ生まれの工業デザイナー。自然界の有機的なフォルムと先端テクノロジーを融合させた「オーガニック・デザイン」の世界的第一人者。
絶望からの大逆転、ロサンゼルス・クリニック

あらゆるパーツに血の滲むようなドラマを込め、ついに役員へプレゼンできるフルスケール・デザインモデルが完成しました。
しかし、ここで最大の危機が訪れます。アメリカ、ヨーロッパ、そして日本の三大市場すべての販売会社(マーケティング部門)から、「LWSのマーケットは地球上に存在しない。こんな不便なクルマは売れない」「月販150台では金型の採算が取れない」と全否定、事実上の死亡宣告を受けたのです。
唯一、オーストリアの販売責任者シュミット氏と、ニューヨークのトップディーラーであるピエール氏だけがこのクルマの真価を理解し、「頼む、早くこの美しいスポーツカーを発売してくれ。今日初めて、マツダで心から本当によかったと思った!」と涙ぐんで手を握ってくれました。
「このままでは会議室の中でなぶり殺しにされる」
田中氏は平井主査と共に経営トップへ直訴します。クリニック(市場調査)を行い「これでユーザーの点数が悪ければ潔くデザイナーを辞めます。アメリカのエンドユーザーに直接見せて、彼らの生の声を聞かせてください」と最後の賭けに打って出たのです。プロダクトデザインを木箱に梱包し、彼らは決死の覚悟でロサンゼルスへ渡米しました。

そして現地に着くなり予想外のことが起きました。LWS企画に最初から携わっていたボブ・ホール氏、企画デザインのトム俣野氏、林浩一氏らがちぎれんばかりの握手を求めてくるのです。日本から空輸されたクレイモデルの梱包を解いた瞬間、MANAの全デザイナー・モデラーたちから割れんばかりの凄まじい拍手喝采が巻き起こっていたそうで、プロの彼らの目には「これこそが、我々が何年も夢にまで見た、本物の1990年代のライトウェイトスポーツカーだ!」と大絶賛されていたのでした。
そして運命のデザインクリニック、マジックミラーの裏側の隠し部屋でモニター越しに見つめる田中氏と平井主査。現地の何も知らない一般ユーザーたちは・・・J58を見るなり目を輝かせ、「この美しいクルマを、今すぐここに小切手を置いていくから、このまま乗って帰らせてくれ!」と大歓声を上げていました。2日後の集計結果は、歴史的な大勝利でした。
60%が「熱狂的に好きである」、そのうち80%が「本気で購入を検討する」と回答。さらに、予想提示価格の平均は「17,000ドル」と、マツダが死に物狂いで設定したコスト「12,000ドル(国内170万円)」を大きく上回り、ビジネスとしての勝利が確定しました。

メーカー名を隠した状態での予測は、ポルシェやアルファロメオが大半を占め、マツダと答えたのはごくわずか。「メーカーはどこでも良いから早く発売してくれ!」という熱狂的なコメントの数々。隠し部屋で男泣き、がっしりと手を取り合った田中氏と平井主査。地獄のような苦労がすべて吹き飛んだ瞬間でした。

帰国後、この圧倒的なデータを見た経営トップから「開発スケジュールを4ヶ月前倒しして一日も早く発売しなさい」と100%の色良い返事が出ました。前倒しによりクレイを修正する時間が1日もなくなったため、平井主査の「役員には見た目では絶対に解らん!」という豪快な判断のもと、アメリカで絶賛されたモデルのまま経営会議に上程され、異例の満場一致で承認を受けました。
究極の引き算と「漆の赤」、そして量産ラインの死闘

NAロードスターのデザインを語る上で欠かせないのが、そのカラーリングです。
通常、新型車のプロジェクトであれば多様なニーズに応えるため少なくとも5〜6色、多ければ10色近いカラーバリエーションを用意するのが一般的です。しかしNAロードスターの開発は、常に厳しいコストと時間の闘いでした。平井主査率いる開発チームは、世界最初の導入となるアメリカ向けの量産開始(国内よりも約4カ月早くスタート)にあたり、重大な決断を下します。
それは、初期の量産ボディカラーを「赤」「青」「白」のたった3色に絞り込むというもの。スポーツカーとして絶対に外せない基本色であるこの3色を選び抜き、それ以外の欲を完全に捨て去ることで、まずは無事に量産開始することを最優先したのです。(※日本はシルバーを加えた4色展開)

ここでも田中氏は、日本の美意識を色濃く反映させています。特にイメージカラーとなった赤に関しては、ありきたりなオレンジ系のレッドではなく、日本の伝統工芸である「漆の赤(ブルーの深みのあるレッド)」を目指しました。田中氏自らペイントメーカー(関西ペイント)の広島工場に泊まり込み、カラーエンジニアと夜通し調色を行って誕生した「田中レッド」こそ、初代以降で愛された「クラシックレッド」です。

マリナーブルーはMANAのカラーデザイナー、マーキー譲より提案を受けたもので、当初はカリフォルニアの陽の元では「鮮やかすぎる」と判断されましたが、ブルーの目をキラキラさせて彼女がプレゼンテーションをおこなったことで採用に至りました。また、白はアメリカの販社から、シルバー(日本のみ)は国内販社からの要望で、既存カラーの流用となりました。

いかに「引き算の美学」で作られたライトウェイトスポーツカーとはいえ、「たった3色」しか選べないとなれば、顧客からクレームが来ることを覚悟していましたが、海を渡ったミアータを待っていたのは予想外のものでした。アメリカのディーラーや顧客たちは、この「赤・青・白」のカラーラインナップを見るなり、「これはアメリカ『星条旗(Stars and Stripes)』く同じゃないか!」と大絶賛したのです。
さらに、販売現場となるディーラー経営者たちからも別の意味で賛辞を受けました。「色が3つしかないから注文処理も、在庫の管理もめちゃくちゃ楽で助かる」と、実利的な好評を得たのです。クレームを覚悟していた平井主査たちにとってまさに胸を撫で下ろす、そしてアメリカという市場の懐の深さを痛感する出来事でした。

「わしが数値じゃ!」プレストライの攻防
いよいよ生産ラインでの実作業が始まると、プレス工場との闘いが待っていました。リヤフェンダーの「能面の絞り(深絞り)」に対しプレス担当者は「マツダの歴史でこれほどの深絞りはない。鉄板が破れる」と消極的でした。しかし田中氏は「この骨盤の張りは生命線じゃ!鉄板が破れるなら金型を2分割にしてでも死守する!」と一歩も譲らず、トランクルームの分割線をわずかに変更する妥協案で美しいヒップラインを守り抜きました。
さらに、フロントボンネットの微妙なパワーバルジをアルミで成形することも困難とされ、プレスエンジニアから「中途半端なバルジなら、いっそ平らにしてくれ」と要求されると、田中氏は大演説を打ちます。

この熱弁に気圧された職人たちは、意地でこの難しいアルミ成形を見事に実現させました。そしてプレストライ(型合わせ)の最終工程。プレス機から出てきたリヤフェンダーの鉄板を見た田中氏は、光のリフレクションの動きが死んでいることに気づき、「型が狂っとる。修整じゃ!」と自ら砥石を握り、5トンもある巨大な金型を削り始めました。プレス課長が「これ以上削ったら図面の厳格なデジタル公差数値から完全に外れて不良品になる!」と叫びますが、田中氏は一喝します。
夜中まで型調整に暮れていると、定年目前の老職人が現れました。彼は数種類の紙の切れ端から1枚を選び、1万トンのプレス機と巨大な金型の隙間にペタッと挟み込みました。「打ってみい」。稼働したプレス機から出てきた鉄板を光にかざすと・・・夢にまで見た能面の繊細で妖艶な張りが、完璧な完成度で浮かび上がっていたのです。職人の神技に、田中氏は鳥肌が立つほどの感動を覚えました。

品質保証部との対決「白丸」
パイロット生産の1号車が完成し、品質保証部(品証)の検査員によってボディに無数の「白い色鉛筆の丸(傷や隙間の指摘)」が描かれました。しかし田中氏は白い色鉛筆を奪い取り、本当に修正が必要な3個所のみを指定して「残りの白丸は直す必要がないクリア項目である。このままで行く」と宣言します。
怒り狂う品証部長に対し、田中氏は真っ向から言い放ちました。
杓子定規な管理ではなく「お客様の立場で見て、乗って、五感で感動できる品質」に徹する。その姿に現場の職人たちも影で大喝采を送りました。
心躍るタイムマシーン(Swinging Time Machine)

1988年の暮れも押し迫った冬の小春日和。全周4.3キロのマツダ三次車両試験場にて、過酷なワインディングコースへピカピカに磨き上げられた真っ赤なJ58パイロット1号車がたたずんでいました。ロードスターが本物のエンジン音を響かせて大地を走る姿を見るのは、田中氏も人生で初めてでした。
J58が平井主査のドライブでコーナーからしなやかに立ち上がり、心地よい排気音を残して目の前を疾走していく。我が子の美しい姿を見た瞬間。田中氏の両目からは熱い涙がボロボロと溢れて止まらなくなり、リヤのテールランプの分銅型の赤い光が、涙で滲んでぼやけて見えました。横にいた梶山名人(クレイモデラー)も、作業着の袖で静かに目を拭っていました。
「田中、次はお前が乗れ」
キーを受け取りシートに滑り込みます。ステアリングの触感を愛おしむように確かめ、キーを回すと、縦置きエンジンが力強く目覚めました。トップロックを外し、手を後ろに伸ばして幌を一気に開く。少しタイトなキャビンから、冬の青空と自然の光が一気に飛び込んできました。物理的な空間の解放のみならず、自分の心までもが大宇宙へ解放されたのでした。

カリフォルニアのハイウェイから生まれた「Inspired Sensation(ときめきのデザイン)」は、広島で田中俊治という不世出のデザイナーと出会い、彼の手によって日本文化の精神性を注ぎ込まれました。
骨格を重んじるアメリカのダイナミズムと、生命の息吹、光と影の移ろいを宿らせる日本の彫刻美。そして、徹底的な「引き算」によって生まれた緊張感。これらが奇跡的な次元で融合した結果、J58は単なる「運転が楽しいクルマ」を超え、人とクルマがコミュニケーションを取りながら、心躍る世界へと連れて行ってくれる「Swinging Time Machine」として完成したのです。

歴代ロードスターの中で、今なお初代NA型が世界中のエンスージアストから最も愛され続けている理由。それは愛らしいフォルムの奥底に、私たちが本能的に美しいと感じ心を震わせる「日本文化の確かな魂」と「ときめきのデザイン」の哲学を感じるからではないでしょうか。
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