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スペシャリティクーペを所有するだけでモテた時代、満を辞して登場したのがMX-3(プレッソ、AZ-3)。
アルファロメオやRX-7を意識してデザインに全振りしたモデルでしたが、クーペブーム終了とともに撃沈し、最終的にMX-3はNBロードスター(MX-5)へキャラクター統合をされました。
顔のモチーフが似ているのは、ある意味意図的と捉えることもできます。
クルマを所有しているとモテた時代
携帯電話もテレビゲームもなかった高度経済成長期、庶民の3種の神器は「カラーテレビ」「クーラー」「カー(自動車)」(通称3C)を所有していることがステータスでした。
とくに、実用性ではなく趣味性を重視した自動車は【リッチ/ハイテク】の象徴として、娯楽の少なかった若者の心をがっちり掴んでいました。今では想像つかないかもしれませんが、90年代まではクルマに乗っているだけでモテた時代があったのです。
クルマの趣味性を定量的に評価するのは単純で、見た目が2枚ドアであることでした。ボディサイズが大きくても後部座席のドアがないことはリッチの象徴だったのです。目を三角にして走るスポーツカーではなくても、ぶ厚いトルクで余裕な走りを見せるのは粋なこと。いわゆるGT(グランツーリスモ)クーペは、羨望の的でした。
したがって、その時代には名車とされるスペシャリティカーは次々にデビューをしていきました。ソアラ、フェアレディ、シルビア、プレリュード、アルシオーネ、コスモ、MX-6など、いまや伝説のネーミングです。
また、価値観が多様化していく社会において、メーカー各社は「見た目」にすべてのステータスを振った、セダンをクーペ化したモデルをはじめ、サイノスやセラ、デルソルといったアフォーダブル路線のモデルも市場投入してくれました。シュッとしたクーペボディは、若者の憧れのだったのです。
そのような背景のなか、マツダが世界戦略車として市場投入したのが、ロードスターと同じ名前「MX」という名を冠したスペシャリティクーペ「MX-3(国内名「ユーノスプレッソ/AZ-3」)」です。今回はそんなMX-3シリーズのご紹介をさせていただきます。
MX-30のルーツ、MX-81&ASTINA
1981 Mazda MX-81 ARIA
アフォーダブルでカッコいいクーペを市場投入する。そんなMX-3のルーツは1981年の東京モーターショーで発表されたコンセプトカー「MX-81 ARIA」にまでさかのぼります。その未来的なクーペボディは、今の目でも色あせない魅力的なエクステリアでした。
マツダデザインにおける王道な血筋かと思いきや、デザインはストラトスやカウンタックを描いたベルトーネが手が手ていました。ただ、マツダのカーデザインにおけるこだわりは、この時代以降に色濃くなっていきます。
ちなみにMX-81はモーターショーのあと行方不明とされていましたが、2020年にイタリアマツダでレストアされ、MX-30のプロモーションに起用され、MXシリーズのルーツとして復活したことでも話題になりました。
ちなみに車台のベースとなったのはマツダ323(国内名ファミリア)。130ps出力する【新型1.5リッター4気筒ターボエンジン】を搭載するFRクーペとして発表されています。ちなみにその心臓は、後に量産されるB型エンジンになります。
1989 Mazda 323F/ASTINA
ただ、当時のマツダラインナップにおいてファミリアベースのクーペモデルは「エチュード(1987)」として販売されていました。ただ、好評であったMX-81のデザインを引き継がないわけがなく、そのDNAは【4ドアクーペ】という珍しいボディタイプでリファインされ、1989年に323F(国内名ファミリア・アスティナ/ユーノス100)としてデビューを果たしました。
323Fはこのクラスでは珍しかったリトラクタブルヘッドライトを採用や、室内空間を犠牲にしないパッケージとして欧州では大好評でした。実際、コンセプトカーのMX-81よりルーフが高くなってはいますが、それを感じさせないデザイン力を昇華させています。
しかしリベラルな欧州とは違い、国内では見慣れない(分かりづらい)パッケージであったことと、多チャンネル化していたマツダのネガティブなイメージがあり、目立つ存在にはなれませんでした。
なお、バッジエンジニアリングのユーノス100は、昔でも出会う確率がとても低かった、激レアモデルでした。
デザインルーツ、RX-7とMX-3の関係
そして、323Fの後継として密かに開発されていたのが、開発コードJ95C・・・つまり後の「MX-3」です。チーフデザイナーを務めたのは三菱からヘッドハントされてマツダへやってきた荒川健氏。他マツダ車ではユーノス500も担当されています。
MX-3は北米市場向けのスタイリッシュなセクレタリークーペとしてMRA(カリフォルニア)スタジオが作成していたのですが、デザインに行き詰まってしまい、広島本社で企画を引き継ぐことになっていました。余談ですが、同じ路線の企画で通されたのがMX-5(ロードスター)であり、マッチョな路線のクーペとして描かれたのがMX-6になります。
1964 Alfa Romeo Giulia 1600 Canguro
荒川氏は暗礁に乗り上げていたアメリカ案をすべてやり直し、同時期に開発が進んでいた「RX—7(FD)」がオーガニックシェイプ(オーガニックフォーム/有機的なデザイン)にチャレンジをしているなら、J95Cはベルトーネ時代のジウジアーロ・カングーロをリスペクトした路線として、セブンと並べて同じ世界観を共有するイメージで、デザインスケッチを描かれたそうです。
そんなMX-3のイメージは「ネコ科の猛獣でも小型で賢く、やたら走り回らずに一発で仕留める」ピューマ。そのキャラクターをMX-3のデザインに全力で託しています。
1991 Mazda MX-3
MX-3のデザイン的な大きな特徴は、かなり大胆にウェッジ(傾斜)したクーペフォルム。サイドから見るとルーフ中央(ドライバーの頭上)ではなく僅かにリア寄りが全高の頂点になっています。これは北米市場における絶対条件だった【リヤ席からの乗降性】を確保するための策でした。
そのため、ドアを通常のマツダ車よりも100mm延長しているとともに、サイドウインドウも大きな一枚ものとなりました。実は三角窓も検討したそうですが、サイドウインドウのバランスによりキャビンの「間」を持たせることに成功し、不採用でもスタイリッシュなイメージにまとまっています。
美しいクーペルックは3次元形状のリアガラスと極端なウェッジ形状のおかげで、実際よりも低いフォルムのイメージにまとまっています。止まっていても速そうなカタチです。
2003 RX-8
なお、このルーフの頂点でバランス調整するスタイリングは、のちのRX-8にもフィードバックされています。
ただ、リヤゲートのフレームや巨大な3次曲面ガラスはプレス工程やコストがかなりかかっていました。しかし、MX-3はデザインに全振りが許されたモデルなので、躍動感は大きな商品力になると、社内承認を得ることができました。その半面、インテリアにかけるべきコストが減ってしまったそうで・・・
デザイナーの荒川氏は「スペシャルなのはエクステリアデザインだけというのが残念だった」と回顧されており、右ハンドルのモデルにおけるインテリアは新規造形でしたが、左ハンドルモデルのインテリアは先代モデル(323F(アスティナ))をそのまま流用しています。
満を持して登場したMX-3
そして、1991年のジュネーブモーターショーで「MX-3」はワールドプレミアされました。
当時のマツダは国内外で積極的なブランド戦略を展開しており、そのアイデンティティを象徴する個性的な(尖った)モデルを次々にデビューさせていきました。もちろん、背景には多チャンネル化を展開していたことや、ロードスターのようなニッチなモデルで大ヒットを経験してしまったからでもありますが・・・
欧州の競合車種(2リッター以下のクーペ)はVW・コラードとオペル・カリブラしかない状況で、どちらも車格は上になっており、かつて隆盛を極めたホット・ハッチに変わるものとして、コンパクトで手ごろなクーペは潜在的な要望は存在していました。
しかし、ニッチすぎて(儲からなさそうで)どこも手を出していなかったなかで、まさかの直球勝負な市場投入で、ショーではかなり注目を集めることになりました。
発表された車両コンセプトは「スタイジリティ」。
これはスタイビリティ(安定性)とアジリティ(機敏さ)を合わせた造語で、「スポーティな外観を持ちながら空間を確保」「若い人たちにV6エンジンの世界を味わってもらいたい」「スポーティなフィーリングを提供する」といったプレゼンテーションを行い、会場は大いに湧いたと記録が残っています。
また、MX-3は国内においては先にユーノスブランドから「ユーノス プレッソ」としてデビューを果たします。プレッソ(presso )とはイタリア語で「仲間」という意味であり、ドライバーにとっての「友人」たれ、という意味が込められています。
当時、ユーノスのラインナップは新進気鋭のロードスターがヒットしたとはいえ、これは「スポーツカーとして」売れただけでした。その他カタログモデルのユーノス100(アスティナ)やユーノス300(ペルソナ)はバッジエンジニアリングで個性がないという評価で、新規ユーザーの確保に苦しんでいました。高級スペシャリティのコスモも、高級車購入層はディーラー間で引継ぎが上手くいかず・・・全く売れていない状況です。
そこで、満を持して導入されたのがユーノスプレッソであり、「世界初の小型V6エンジンを搭載」というストーリーも伴って、まさにスペシャリティであるクーペは、心待ちされたモデルだったのです。
ちなみに、オートザムからはB型エンジンが搭載された兄弟車「AZ-3」がデビューし、カナダ市場では「MX-3 Precidia」オーストラリア市場では「EUNOS 30X」という名で提供されました。
Mazda MX-3/Eunos Presso/Autozam AZ-3 | |||
車格: | コンパクトスポーツクーペ | 乗車定員: | 4名 |
全長×全幅×全高: | 4,215×1,695×1,310mm | ||
ホイールベース: | 2,455 mm | 重量: | 1,030-1,160kg |
ブレーキ: | ベンチレーテッドディスク/ドラム | タイヤ: | 185/65R14 |
エンジン型式: | B5ZE/B6ME/B6D/K8ZE | 種類: | 1.5L直4/1.6L直4/1.8LV6 |
出力: | 88~120PS | ||
トルク: | 133~156Nm | ||
トランスミッション: | 5MT/4AT | 駆動方式: | FF |
MX-3 走りの評価
他マツダ車にも漏れず、MX-3シリーズには一部熱狂的なファンがいるのが特徴ですが、商業的には厳しい状況が続きました。
それは、ハイテクの象徴だった自動車の地位が90年以降後退していき、特にクーペ・スペシャリティカーのブーム自体が一気に縮小していったからです。理由は簡単で、バブル経済の崩壊とともに自然回帰・省エネというアウトドアブームが始まり、(決して省エネではないが)RVブームによって、若いユーザーはそちらに流れてしまいました。
また、話題性があったV6エンジンも既存の4気筒(B型エンジン)と出力・トルクともに大きな差がなく、むしろ重量増加によりフロントヘビーになっていました。さらに部品点数の増加、複雑な機構によるトラブル、さらに燃費の悪さといったデメリットだらけで・・・さらに、世界最小のV6エンジン(1.8L)というストーリーも、すぐに三菱からV6エンジン(1.6L)搭載車が発売され、その座を奪われてしまいました。
なお、MX-3はマツダ・Eプラットフォームという独自シャシーで造られており、これは当時4WDターボを武器に活躍したBG系ファミリアのBプラットフォームからの派生でした。そのおかげで足周りやシートレールなどが流用でき、またB型エンジンの駆動系や排気系なども流用可能だったことから、4気筒モデルは比較的広い改造範囲を得ていました。
ただ、V6エンジンについてはマツダスピード以外からのパーツ供給は望めず、結果的にB型エンジンを搭載したモデルの方が走りの評価が高くなりました。MX-3シリーズのモデル後期は「ユーノスはV6、オートザムはB型」といった関係もなくなり(両方のエンジンが選べる)、そんなポリシーのなさもユーザー評価を下げる結果になりました。
MX-3の後継はNBロードスター
その後、マツダの多チャンネル化構想は失敗してユーノスは消滅し、車種ラインナップの統合が進む中、プレッソは「ユーノスロードスター」とともに、「ユーノスプレッソ」としてマツダブランドで販売継続されました。反面、(今回は紹介を端折りましたが)323F(アスティナ)のもう一つの後継ルートだった「ランティス」や「ファミリアNEO」は撃沈していきました。
結局、クルマのジャンルとして生き残ったのは「思ったよりも荷物が乗るカッコいいクルマ」ではなく、「荷物も乗る速いクルマ」であるシビックタイプRのようなホットハッチに座を奪われ、そのクラスを卒業した層は大排気量のフラグシップスポーツカーを求めていきました。
90年終盤には全世界のメーカーで小型スペシャリティクーペは終焉を迎えてしまったのです。
そして、ベースのファミリアがフルモデルチェンジされるタイミングでMX-3もモデル終了の時を迎えました。その際、マツダは実質的な後継車種として指名したのが、スペシャリティでもあり、クーペ化もできて、趣味性も高く、売れていた・・・さらに、クルマとしてのキャラクターも確立していたロードスターでした。
NBロードスターの開発デザイン段階では「丸目」のモデルもありましたが、オーガニックシェイプであり、ティアドロップヘッドライトである案が親会社のフォードから指名されたのも、MX-3シリーズからの連続性(共通性)を意識したことも想定されます。(※自動車デザインでは定番の手法です)
また、シリーズで引き継いだ共通パーツも存在します。MX-6、MX-3、MX-5(NB)全て同じ、フラップタイプのドアノブ(ドアハンドル)を採用しています。
そう考えると、MX-81としてスタートした企画がMX-5に統合されたという熱い展開が背景にあり、国内最後を飾った5ナンバークーペとして存在するロードスタークーペには、その血が色濃く流れていると確信できます。
また、MX-3シリーズはデビューから30年経ったいまでもデザインに古臭さはなく、むしろこの形で街を走っていたらレトロモダンで粋なカタチとして、今の風景に溶け込むのではないでしょうか。
そんな愛すべきスペシャリティクーペの最後を飾ったMX-3シリーズ、単にNBロードスターは「顔が似ている」関係だけではない、そんなエピソードのご紹介でした。
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