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今回はNA/NB時代のマツダスピードを複数回に渡ってご紹介します。
マツダスピードのルーツ
マツダスピードといえば、メーカー直系のチューニングブランド・イメージが強いかと思われますが、その始まりはマツダと別会社になります。
母体はマツダオート東京(現関東マツダ)、つまりディーラー部門からスタートしており、60年後半にマツダ・スポーツコーナーとしてロータリーエンジンのチューニングを始めたことがルーツになります。そして79年、スポーツコーナーを「マツダスピード」と名称変更しました。
さらに「RX-7」の改造車「252i」でル・マンに出場したことを契機にマツダ本体からも出資を受け、「株式会社マツダスピード」として法人化を行いました。その後の「787B」の活躍は周知の通りです。
ロードスターのネタをはさむと、貴島主査も山本主査も「787B」開発に関わっています。
ある日突然「合法」に
その少しあとの1995年に、自動車業界では「規制緩和」という大きな機転を迎えました。
それまでの自動車チューニングといえば、マフラー交換は問題外、車高を下げようものなら非国民、エンジンチューンはアンダーグラウンドと、現在のライトチューンとされるものでも違法改造で検挙されていました。
そこで合法的に楽しむには車検を通す必要があり、その「改造申請」はとてもハードルが高いものでした。吊るしで速かった「ポルシェ」がいかに憧れの神クルマであったのか想像できます。
当時、バブル景気は終焉を迎えていましたが、日本の輸出黒字は続いていました。そこで米国の外圧(日米包括会議)がかかり「牛肉オレンジ問題」と同様に、かの国から様々な提示がなされました。
特に自動車業界では、このままだと日本車に100%関税をかける・・・と、とても乱暴な交渉を受けていました。これは国内300万円のクルマをアメリカに輸出すると600万円で販売することになるのです。
この解決策として日本が提示したのが、自動車メーカーの工場をアメリカに造り、アメリカ製のアフターパーツを日本車に装着しやすい「環境構築を行う」というものでした。
つまり、これまで非合法とされたチューニングが、95年からあっさり合法に変わってしまったのです。これは、メーカー公認のチューニングマーケットが幕を開けた瞬間でもありました。そしてアンダーグラウンドといわれていた市場が一気にメジャー化したことで、街乗り重視の「ライトチューン」という言葉も誕生しました。
ついに始まる!マツダスピード
前置きが長くなりましたが、新たなクルマの価値観としてモデファイは合法になり、マツダスピードもマツダ車のチューニングブランドとしてメジャーな道を歩むことになっていきます。
95年といえば、ロードスターはNA8のシリーズ2が新車販売されていましたが、NA6の中古車が市場に出回り、絶好のチューニングベースになっていた時代でもあります。
ついに始まる!という予告がされていますが、当時それほどマツダに縛られなかったマツダスピードは、ここから面白いラインナップを揃えていくことになります。
有名どころではライトチューンの「A-Spec」と、ガチンコチューンの「B-Spec」という住み分けの、マツダ既存車種のチューニンググッズ販売がスタートしました。この時代は馬力やトルクが正義だった時代。ついにクルマいじりの時代が始まるのです。
1996 Mazdaspeed MS-007
駆動方式:FR
車重 :680kg
排気量 :1800cc(BP-ZE)
馬力 :129ps 6,000rpm
トルク :165Nm 4,000rpm
一方で「市販化目前」とまでアナウンスされていた、「MS-007」という車両に心をときめかせていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらはエンジンやトランスミッションはNA8ロードスターのものを流用し、シャシーを独自セッティングで造りこんだピュアスポーツです。
1994年に同じくNA6ロードスターベースで市販された「ミツオカ・ゼロワン」という前例もありますから、ついにマツダスピードの本気が見られると期待値が高まりましたが、残念ながら市販化されることはありませんでした。